お別れ

[ 家族 / 旅行 ]

今回の帰国の日程を決めたのは12月だったが、その後、嫁さんが幼いころから大変世話になっていたJさんが心臓の問題で急遽手術。

Jさんはご主人のHさんと共に、我々の結婚式にわざわざ広島県からニューヨークまで来てくださった。

それ以降も、自分自身Jさんとは日本やニューヨークで何度も会い、図々しくも(?)自分一人でお宅に泊まらせていただいたこともある。行く度にご夫婦と一緒に飲み、Hさんのクルーザーで瀬戸内海を駆け周ったり、ご用達のスナックにも連れて行ってもらったこともあった。母が急遽他界した際には、ご夫婦で広島空港まで迎えに来てくれて、暗い夜の山の中、車で自分の故郷の東城まで送ってくれたし、親父の葬式にも出席してくださった。ご夫婦にはお子さんがおらず、嫁さんにとってまるで第二の両親のようだったが、自分も帰国の度に多くの面でお世話になり、自分にとってもいつの間にか実の親戚以上に親戚のような人達になっていた。

Jさんが既に危篤だったため、親族ではない自分はお見舞いに行けなかったが、Jさんにとって娘のような存在だったうちの嫁さんには許可が出たため、先週の木曜(3月2日)、岡山県の病院まで行くことができた。

だが翌晩、永眠。日本ではこんなこと書くと不謹慎とか言われるかもしらんが、まるで、嫁さんが会いに行くのを待ってくれてたような気がした。

通夜が5日(日)、葬式が翌日に決定。自分は東城にいたが、教会での礼拝と昼食会を終え、両親の遺骨が納められている教会墓地に行くと、牧師先生の車で姉のアパートに戻り、姪の運転で急いで姉と共に嫁さんの滞在地へ。通夜の間は姪がせがれの相手をしてくれた。

姉と姪は通夜の後、自宅に戻り、自分はその町で1泊し、家族で翌朝の葬儀にも出席。せがれには前以って何度も何度も「今日は、お友達が死んだから、みんなでさよならって言う日だから、絶対に静かにしてくれ。」と言い聞かせた。

実はあまり期待してなかったんで、いつでも会場内のこども部屋に連れてく心の準備はしてたが、普段騒がしいせがれも、退屈そうにごそごそ動いてはいたものの、驚くほど静かにしてくれた。途中で、何か食べたいって言うんで、こども部屋に行ってバナナを食べさせてトイレに行かせただけで、その後は、再び本人の希望で会場に戻った。最後まで普段の大声どころか、殆ど話さえせず、よくがんばってくれたと思う。

葬式の最後には、スクリーンに、在りし日の写真の数々が映し出されたが、最後の1枚は、うちの嫁さんとクルーザーに乗ってる時のJさんの写真だった。

前に出て、最後の挨拶をさせていただいた時には、せがれも連れて出て献花させた。

以前も書いたが、アメリカに住んでると、幼児に『死ぬ』ということを教えるのが、日本に住んでる場合よりも難しい。

「どうして、あそこで寝んねしてるの? ベッドじゃないじゃん。」
「父ちゃんが何回も言うたけど、あれが『死ぬ』っつうことなんよ。」

「いつ起きるの?」
「もうずっとずっと起きんのじゃ。じゃけぇ、みんなでさよなら言いに来とるんよ。」

「え~? せかっくみんないるのに…。せっかくみんなお花あげたのに…。」と悲しそうな顔をするせがれ。
涙を流しながら再び、「これが『死ぬ』っつうことなんよ…。」と、それ以上何も言えなかった自分。

Jさんの人生に感謝するとともに、涙をこらえながら遺族代表の挨拶をしたご主人のHさんのため、そしてJさんの霊の癒しのためにも祈り続けたいと思う。

Jesus loves y’all.