遺伝子

[ 信仰 / 家族 ]
2011年4月1日 金曜日

2008年3月、母が心臓発作を起こし入院した。

1987年4月に渡米以来、一度もホームシックになったことがなかったが、情けないことに、初めて、「親にどう感謝しようか。」ということを考えた。

夏に夫婦で帰国することを決めた。

と同時に、一緒に音楽やってる相方も夏に帰国することを考えてたらしいんで、いっそのこと、両親の前でコンサートやることにした。頼まれたことをやった場合を除いて、初めて、父に、「ありがとう」って言われた。

そんな2008年の夏。自分が、両親とまともに会話する最後の夏となった。両親とは、それまでで最も深い会話だった。

翌2009年春、父が脳出血と脳梗塞を患い言語障害。今まで、自分の両親は、何を自分に伝えたかっことを、これまた情けないことに初めて真剣に考えてみた。んで書いたのがこれ

そして夏には、前夜食事の準備をできてた母が急死。

でも、その時思ったのは、自分ら夫婦には、ちゃんと子供が与えられるってこと。その時は感覚的なものでしかなかったが…。

母の葬式のために、約一ヶ月帰国した。

ただでさえ、話の内容が深すぎるし、そのうえ回りくど過ぎで、なかなか理解してもらえない父が、言語障害ときた。

母もいないし、言わんとしてることを理解してもらえない中、客や業者と一生懸命語り合おうとする父。自分自身は社会的にシカトされてもおかしくないと判ってても、商売を続けて、世話になった人達にお返しをしようとする父の姿に感動した。

とはいえ、両親が自分に伝えようとしてたことなんて、ここで書ける程、安っぽいもんじゃない。

でも、感覚だけでも、少しずつ、ジグソーパズルのピースを合わせていくかのように、両親の想いに気づいてくと、いつの間にか、「じゃぁ、自分も伝える相手が現れるはず。」って思えてきた。

そして今日、1999年秋に結婚した我々夫婦に、初めての子供が与えられた。かなり『訳あり』の親父から数えると、田辺家三代目か。まぁ、全然説得力無ぇけど。

正直、今はまだ、夢心地で、実感が沸かない。

妊娠中から出産までずっと苦しんでた嫁さんの姿と、この子に会わせてやりたかった自分の母のことを思うと、涙が出てしまうんだけどね。

まぁ、今回もまた、オチの悪い投稿になってしまったが、まだ頭の中が混乱状態なんで、簡便してやってくれ。


仙台からの贈り物

[ 信仰 ]
2011年3月13日 日曜日

5年前、うちの教会が開拓10周年ってことで、帰国して東京で記念集会をやったが、日本滞在中、集会に出席できなかった数名に会いにいった。

その中の一人で、12年以上前にうちの教会で洗礼を受けた後帰国、以前仙台に住んでいたけど今は東京に戻ってきているという人がいた。

その後、その人はまた移転したらしく、メールは返ってくるし、こっちが持っていた携帯番号に電話してもつながらなかった。数年間音信普通だったので心配だった。

今朝の礼拝で、賛美のリードを終わらせてピアノを離れ、いつも座ってるとこに戻ると、礼拝堂の向こう側に、その人が座っていたので驚いた。

ただでさえ、その人のことを心配してたので、嬉しかったが、「東京に住んでると思ってたが、もしもこれが実は今再び仙台在住で、なぜか今回NYに来てるとなると…」とか、礼拝中であるにも関わらず、ふと考えてしまった。

そしたら、実際仙台在住らしく、地震が起きた朝に日本を出発し、NYに到着してから事態を知ったらしい。彼のアパートは、市内で最も被害が大きかった区の中の、比較的大丈夫だったとこらしいが、確認はできてない。その人の勤務先の会社の人々も、とりあえず全員大丈夫だが、取引先の大部分は、気仙沼などの被害が大きかった地域で、おそらくやられてるらしい。今回このタイミングでNYに来ていたことについては、「本当に神様によって助けられたと思うので、帰国したら東北の人々のために何かをしたい。」とのこと。

その人がこうやって奇跡的に災害を逃れNYへ、それも約12年ぶりにうちの教会に来てくれたってことは、日本のことで胸を痛ませてる自分にとって励みになったし、教会の人達のために持ってきてくれた大量のカマボコよりも、そのおっさんの訪問自体が、最高のお土産となった。


揺れ動く地に立ちて

[ 信仰 / 音楽 ]
2011年3月12日 土曜日

同じ広島県出身クリスチャンのMOMOさんが、ブログである聖歌を載せてたんで、こちらでも紹介したい。

が、その前に…。

23年前、以下のビデオの二曲が入ったアルバムを、お偉いさん達は発売中止にさせ、もみ消そうとした。レコード会社の親会社が、原発機器を開発していたからだといわれてる。

そして、東京の某民放FM局は、アルバム収録曲を全て放送禁止にした。その原発機器の納入先の電力会社が大株主だったからだといわれてる。

でも、これらの曲を通して警告されていたことが、とうとう起きてるのかもしらない。その電力会社所有の原子力発電所も、今回の大地震で大きな影響を受けているからだ。

癌で死にたくないとか、長生きしてえとか、その願いはかなわなかったけど、彼らの叫びは、今こそお偉いさん達も聞いてほしいもんだ。

さて、本題の聖歌。

「とおきくにや」聖歌397番
“There’s a light on the cross”
J.V. Martin (1923)

J.V.マーティンは自作の手書きの原稿をわたしながら次のように語った。「東京大震災の9月1日(1923年)の夜、多くの罹災者が芝白金の明治学院の運動場で夜をむかえました。九死に一生を得た人々に蚊やとろうそくが支給されました。その夜、たまたま東京にいた私は明治学院に見舞いに来たところ、蚊やの中で点火されたろうそくの火が丁度、暗の中の十字架に見えたのです。私はさっそくペンをとりこの詩を書きあげ、その後大阪に帰ってこの曲をつけました」と。その後中田羽後の訳でロードヒーバーが横浜のYMCAで歌ったのが世界の初演であった。作者マーティンは大阪市立高等商業学校(今の市立大学)の英語講師で大阪に在住していた。

(聖歌の友社 聖歌撰の解説より転載)

遠き国や海の果て いずこにすむ民も見よ
なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けり

なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ

水はあふれ火は燃えて 死は手ひろげ待つ間にも
なぐさめもて変わらざる 主の十字架は輝けリ

なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ

仰ぎ見ればなど恐れん 憂いあらず罪も消ゆ
なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けリ

なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ

くめさゆり (久保田早紀)による歌はこちらをクリック(埋め込み無効らしい)。


地震

[ 信仰 ]
2011年3月11日 金曜日

すげぇなぁ、しかし…。

自分も、東京にいる弟となかなか連絡が取れず、さすがに心配した。大丈夫だったらしいけど。

被害者の方々のことを思うと、胸が痛い。

今晩は、毎週行われている教会での祈祷会。こういう大事な時とはいえ、普段より参加者の人数が多かったわけでもない。そのうえ、最初はどう祈ればいいのか戸惑った。こんなことが起こると、神の御心ってのが全く理解できないからだ。

とはいえ、それと同時に、自分達の無力さを再確認するのも事実。結局自分達には祈ることしかできない。

亡くなった人達の霊が神の御手の中にあるように。

ご遺族の方々に癒しがあるように。

生きてるけど見つけられてない人達が、早く救助されるように。

生存者の方々に、不安ではなく平安と希望が与えられるように。

これ以上被害が増えないように。

そして自分達も、日本のために何ができるか示されるように。

今度の日曜は、各教会とも、特別に時間を設けて、共に祈りの時間を持ってくれたらと思う。


森繁 昇 in New York

[ ニューヨーク / 信仰 / 音楽 ]
2011年3月1日 火曜日

先週から、ハワイ在住シンガーソングライターの森繁昇を招いて、米北東部の教会数箇所でコンサートが行われている。

学生の時にブルーグラスのバンドを結成し、思い出つくりにナッシュビルに行き、他のメンバー達は帰国したが、彼はそのまま居残り音楽を続ける中で、イエス・キリストに出逢った…とか、そんな感じだったと思う。

ギターやハーモニカはもちろん、バンジョーやビオラもこなす。ビオラに関しては、三味線のよう弾いたりもする。

土・日・月の三回の公演は、同じポスターや新聞記事で宣伝した。

んで、土曜にコネチカットの日本語教会で行われたコンサートは、なんと50人くらい来たという。

だが何故か、同じ広告だったにも関わらず、日曜午後のうちの教会でのコンサートは少なかった。本人は、「(人数が問題なんじゃなくて)神様が連れて来る人を決めるからね。」と全然平気そうだったが、20人もいなかったのでは? そのうえ、ノリが悪い。ここ数年のうちの教会のノリの悪さは今に始まったことじゃない。とはいえ、もちろん本人は日米の各地で演奏してきてるんで、そんなのは慣れてるんだろうけど、主催教会の一員としてはちょっと申し訳なかった。

コンサートが終わると、なんだかんだで宿泊地に最寄の自分が送ってくことに。帰る間際に友人の一人が、「森繁さんとビールとか飲みに行きたいな。」とか言ってたけど、本人はさっさと帰りたそうだったんで、車に乗っていただいた。

が、なんとなく気になったんで、「実はKさん、森繁さんと軽く飲みに行きたがってたんですよね…。」と言ってみた。

すると本人は、「行こうよ! んでないと、せっかく会ったのに勿体無いよ!」

結局、四人で行き着けの店に。そこで楽しく談笑した後、解散。でもまだ腹減ってたんで、我々二人はこれまた行き着けの寿司屋に。そこでも盛り上がってしまった。

翌日は、自分も中心メンバーの一人であるJCFN New York主催で、マンハッタンでのコンサート。夕方、会場となった教会で現地集合だったが、自分が着くと、本人は多少バテてる様子だった。どうやら、昼間歩き過ぎたのと、泊まってたホテルが乾燥し過ぎてて、喉もやられてたとか。前の晩、飲んだことについては、「あんなの大したことない。いつものことだから。それが原因じゃない。」とか。とりあえずちょっとだけ安心。

ぐったりしたまま準備。自分が音のチェックを手伝いながらリハーサル。やはり声が出ない音がある。

7時頃になり、どんどん人が集まった。50人はいなかっただろうが、前日のうちの教会とは打って変って多く集まった。ほんの少数だったがクリスチャンじゃない人達もいて嬉しかった。

内容はというと、うちの教会でやった時とほとんど同じことだったが、会衆のノリも全く違い、なかなか盛り上がった。

アンコールの前にやった曲が一番激しく、実は準備の時に疲れてるし声も出ないということを知ってた自分は、そんなこと関係なく歌いまくる姿に感動した。

でも、本人からすると、結局、何人集まったかとか、みんなを感動させて認められたいとか、そういうんじゃなく、誰かに神様のことを伝えたいってだけらしい。素晴らしい。

コンサート後は、その教会の地階でみんなでお茶しながら談話。本人もCDにサインして、色んな人達と話してる。さすがに、疲れてるだろ…。

と思ってたら、「あのさぁ、親戚の子が来てんだよ。この後どっか行こうよ。」

「マジっすか?」

「当たり前だよ。行こう行こう。せっかくじゃん。勿体無いよ。」

結局、自分の友人達も含めて合計5人で、これまた行き着けの居酒屋に。最終的には日付が変わって帰宅。60歳とは思えないくらい元気だ。さすがに物覚えは悪いが。

…と、いつものとおり、飲んでる話ばかりになってしまったが、自分は運転だったんで勿論普段の何分の一も飲んでない。そんなことよりも、やっぱ、飲んでる間や帰途での会話が大切なわけで、ミュージシャンとしても学べることが色々あった。いくら自分はプロでやってるわけではないとはいえ、教会や色んなとこのイベントで人前で演奏するわけで、そういう人間にとって何が大切か、再確認させてもらったこともあれば、新しく発見できたこともあった。

本人はコンサートの度に、「牧師でも神学生でもない、普通のおじさんです。」って自己紹介するが、このおっさん、ただ者じゃねぇよ。色んな意味で。(笑)