前進

[ 家族 / 旅行 ]
2011年12月2日 金曜日

故郷に帰る時間さえなかったけど、毎晩姉や姪と飲みまくったり、お好み焼きだけじゃなく寿司やホルモンも喰いまくったり、同級生達とでかけたり、姉や甥姪達と初めて一緒にカラオケに行って7時間歌いまくったり…。

楽しかったはずだけど、なんとなく虚しさも残った今回の帰国。

でもここ数回の帰国は全てそんな感じで、その度に自分自身に対して「前進あるのみ」と言い聞かせてきたような気がする。

数年前、うちの教会の修養会で、面白い話合いがあった。夜の聖書勉強の後、プログラム外の会話で、ある意味、毎年修養会では参加者が最も楽しむ部分でもあった。

恋愛に関する話題で、女性の大半は、新しい彼氏ができると、過去の相手をいとも簡単に忘れることができるんだとか。そのくせ、過去の男がいつまでも自分のことを好きなんだという錯覚もあるという、厄介な部分もあるらしい。一方男性はというと、ナンパの達人かなにかで余程多くの女性を相手にしてない限り、結構過去の女性を心の奥底で引きずってたりで、酷い場合には、結婚した後も、過去に抱いた相手の肌の感触まで覚えているとか。

そんな事が遠慮なく平気で話題になるのが、うちの教会の特徴なのかもしれないが、結論として、女は忘れちゃいけない過去も忘れられちゃうけど、男は忘れなければならない過去をいつまでも引きずることがあるとか、なんかそんな感じだったと思う。事実、政治や経済を動かしているのは、昔から男が大半なわけであって、過去に拘るからこそ前進できてない部分もあるような気がする。

勿論、人間誰しも、忘れちゃいけない過去ってのがある。自分の人生の中で尊重して愛し続けなければいけないものが必ずある。それがあるから自分の存在があり、それがあるからこそ未来を築いていける。未来に前進するために必要な過去ってのがある。

ただ、過ぎ去るから過去なわけであって、必ず別れもついてくる。

愛情や感謝、敬意を表す機会もないまま、ある日突然いなくなることもあれば、やがて見届けなければならない別れを予期しながら付き合っていかなければならいこともある。いずれも、辛く悲しいことだ。

一方、自分の未来という点においては、今年明確に見える形ってのが授けられた。今回、姉のアパートに滞在中、我が家の色々な資料に目を通す機会が与えられ、新しく知ったこともあり、感謝することが多かったが、過去から学んだことも含め自分が持っているものを、時代に沿わない形での強要を避けながらも、どう未来に発展・適用させていくかが、今後の大きな課題なんだろうと思う。

自分の人生の過去となろうとしている部分が未来と出会えた今回の帰国。ただ、片方の記憶には全く残らないはずだ。

次回ってのがあるのかはわからない。人間のエゴだって言われたらそれまでとはいえ、お互いの記憶に明確に残る再会が与えられるよう祈り続けたい。

仮に今回限りだとしても、その未来に対して強く前進していく姿を見せつけなければならない自分がいるのも事実。


帰国

[ 家族 / 旅行 ]
2011年11月18日 金曜日

今から数時間後には日本へ向かう。

病気で施設をたらい回しにされてる親父に、4月に生まれた息子を会わすため。

前回の帰国は二年前、母ちゃんが急死した時。

今回もまた、あまり『遊びに』とか『休みに』帰るって感じじゃない。外野がゴタゴタ言ってきたりで、結局思い通りに予定が立てれなかったってのもあるし。

できる範囲で楽しんできたいとは思うが…。


独立の日

[ 家族 ]
2011年7月5日 火曜日

昨日はアメリカの独立記念日。うちの嫁さんがふざけて、質問してきた。

「What year was it? (何年だったか知ってる?)」

「1776. I was also a history major, you know… (わし、大学でコンピュータ・サイエンスと歴史の二重専攻じゃったろ)」

「From whom? (じゃぁ、誰から独立したん?)」

(思いっきり皮肉で) 「Native Americans. (アメリカ原住民。)」

毎年、外は花火大会で賑わってるが、ここんとこ不況を理由にやらない町が増えた。

我が家は今年は外出断念。どうせ人ごみの中でガキ抱いて花火見るのも疲れるだけだろうし。

それはさておき、独立ということについて、ふと考えてしまった。

自分の身近な人間で、いい歳して、未だ親に反抗できず、言うことをほぼ全て聞いてしまうのがいる。時としてかなり迷惑だったりする。親に、一人前の大人として認めてもらってないもんで、未だにつまらんことで色々言われ、おそらく幼い頃からそんな感じなんで、今でも、何をやるにしても自信が無い。もちろん、優し過ぎるから、親にあえて反抗しないのかもしらんが…。

自分はどうなんだろうか。

決して自信満々なわけじゃない。が、留学してから、そんなに色々と親に相談するわけでもなかったし、2ヶ月くらい全く電話さえしなかったこともあったくらいなんで、学校を出て仕事に就いたら、あまり親に頼るということが無くなった。

母は約二年前に他界。親父はそれよりちょっと前に脳出血・脳梗塞で、言語障害。今も施設をたらい回し。まともな会話をするのは難しい。

でも、両親がそういう状態になってから、やっと独立できてるんじゃないかと実感し始めたような気がしないでもない。

最後に両親とまともな会話をした2008年の夏、親父が、「おめぇはもうわしから離れて生活しとる方が長うなったのぉ。」って言ってきた。

色々語り合って、特に自分の信仰に関する見解を話した時、「やっと、『こうなってくれりゃぁ、ええ』いうのに、近づいてくれたような気がする。」って言われた。

もしかしたら、あれが、やっといただいた『お墨付き』ってやつだったのかも。

5:22辺りから先日他界したクラレンスのサックスソロだが、やっぱ泣けてくる。自分と親父との関係は、この曲とは全く違うけど。


遺伝子

[ 信仰 / 家族 ]
2011年4月1日 金曜日

2008年3月、母が心臓発作を起こし入院した。

1987年4月に渡米以来、一度もホームシックになったことがなかったが、情けないことに、初めて、「親にどう感謝しようか。」ということを考えた。

夏に夫婦で帰国することを決めた。

と同時に、一緒に音楽やってる相方も夏に帰国することを考えてたらしいんで、いっそのこと、両親の前でコンサートやることにした。頼まれたことをやった場合を除いて、初めて、父に、「ありがとう」って言われた。

そんな2008年の夏。自分が、両親とまともに会話する最後の夏となった。両親とは、それまでで最も深い会話だった。

翌2009年春、父が脳出血と脳梗塞を患い言語障害。今まで、自分の両親は、何を自分に伝えたかっことを、これまた情けないことに初めて真剣に考えてみた。んで書いたのがこれ

そして夏には、前夜食事の準備をできてた母が急死。

でも、その時思ったのは、自分ら夫婦には、ちゃんと子供が与えられるってこと。その時は感覚的なものでしかなかったが…。

母の葬式のために、約一ヶ月帰国した。

ただでさえ、話の内容が深すぎるし、そのうえ回りくど過ぎで、なかなか理解してもらえない父が、言語障害ときた。

母もいないし、言わんとしてることを理解してもらえない中、客や業者と一生懸命語り合おうとする父。自分自身は社会的にシカトされてもおかしくないと判ってても、商売を続けて、世話になった人達にお返しをしようとする父の姿に感動した。

とはいえ、両親が自分に伝えようとしてたことなんて、ここで書ける程、安っぽいもんじゃない。

でも、感覚だけでも、少しずつ、ジグソーパズルのピースを合わせていくかのように、両親の想いに気づいてくと、いつの間にか、「じゃぁ、自分も伝える相手が現れるはず。」って思えてきた。

そして今日、1999年秋に結婚した我々夫婦に、初めての子供が与えられた。かなり『訳あり』の親父から数えると、田辺家三代目か。まぁ、全然説得力無ぇけど。

正直、今はまだ、夢心地で、実感が沸かない。

妊娠中から出産までずっと苦しんでた嫁さんの姿と、この子に会わせてやりたかった自分の母のことを思うと、涙が出てしまうんだけどね。

まぁ、今回もまた、オチの悪い投稿になってしまったが、まだ頭の中が混乱状態なんで、簡便してやってくれ。


味噌汁

[ 家族 / 飲み喰い ]
2011年3月4日 金曜日

幸か不幸か、うちら夫婦は結婚する前に交わした約束なんか、殆どない。

唯一覚えとるのは、もし自分が毎回皿洗いするなら、嫁さんが毎朝味噌汁を作ってくれるっつうこと。

でもそんな約束続くわけがない。彼女の実家では、朝食はいつもパンが中心だったらしく、味噌汁に思い入れがないことくらい判ってたから。

案の定、続かんかったどころか、11年以上前に結婚して以来、朝食に味噌汁を作ってくれたことは一度もない。皿洗いは結構自分がやっとるんじゃが…。

大学では、最初の年に寮にいただけで、後はずっと結婚するまでアパートで一人暮らし。料理も結構頑張ったし、時々和風の朝食を準備したこともあった。

一昨日まで一週間、嫁さんの母親がベビーシャワーのため我が家に来てて、毎回食事の準備もしてくれて、普段とらない朝食も、ちょっとだけ早めに起きてとらなきゃいけなかったんだが、もちろんそれも全てトーストと果物。やっぱ何か違和感を感じる。

客が去った当日ってのは、疲れとるのが普通で、夕飯は外食じゃったが、夕べは嫁さんが久々に味噌汁を作ってくれた。多分この11年半の間で、2、3回目じゃと思う。

いつもは何でも結構多目に作る癖があるが、今回は丁度ええくらいの量じゃった。

が、自分も夕べはあまり多く食べず、控えめにしといた。今朝まで味噌汁を残しておきたかったから。

というわけで、今朝、嫁さんが会社に出かけた後、久しぶりにご飯と味噌汁の朝食をとった。

やっぱ、日本人はこれじゃよのぉ。毎朝やる気はねぇが、時々自分で早めに起きて準備しよっかの。

自分が覚えとる限り、前回ご飯と味噌汁が朝食じゃったのは、2008年7月25日 (それ以降にそんな朝食を準備してくれた方々には大変申し訳ないが…)。夫婦と友人の三人で帰国し、故郷の教会でHappy Hourのコンサートを終えた数日後、実家を出発した日の朝。塩分が多いと言われ、婆ちゃんからも「料理が下手」といつも言われてた母ちゃんの味噌汁じゃったけど、結局自分はそれで育ったわけで、それに勝るものは無い。旅館や友人宅でどんなに美味しいのが出てきても、やっぱ「母ちゃんのとは違うけど」って思ってしまう。