この一枚に…

[ ニューヨーク / 信仰 / 家族 ]

東城キリスト教会 - 特別講師: 本田弘慈師 (1964年)

広島県の山奥の、自分の故郷である東城という田舎町にある母教会。母の胎内にいる頃から16歳で渡米するまで通った、自分が育ち、洗礼も受けた場所だ。今の教会堂は1952年に建ったらしい。

この写真は1964年に撮られたもの。

自分が物心ついた頃には既に教会にいらして、幼い頃からの自分を知っている方々が何人もいる。勿論知らない人達も数人。

当然のことながら、中には既にこの世にはいらっしゃらない方々も。そして、結婚前のうちの親も。

うちの親が結婚したのは、この次の牧師先生の就任数ヶ月後だったので、自分はこの写真に写ってる先生にはお会いしたことがない。

自分が人生の中で、まともに通ったと言える教会は3つだけ。

まず、両親も若い頃から何十年も関わったこの母教会。

その次は、テネシーの高校時代に通った教会。週末、寮に残っている生徒は、日曜日の朝になると、キャンパス内で行われる聖書のクラスか、または自分の選んだ教会の礼拝のどちらかに出席しなければならないと校則で決まってたんで、歩いて行ける最寄りの教会に、時には二日酔いの状態で行っていた。そこの奏楽者のお宅でピアノのレッスンを受けてたこともあった。

そして過去22年近く関わってる今のニューヨークの教会

自分が今の教会に行くきっかけになったのは、ある友人のニュージャージーにある日本語教会での洗礼式だった。

1996年、自分は同じニューヨーク州でも、約2時間北の方にあるオルバニーというとこに住んでたが、ある時、その友人から電話があり、「信じてくれないかもしんないけどさ、俺、今度洗礼受けるんだよ。」ということだった。以前その教会に行ってたとは聞いてたが、しばらくするとあまり行かなくなったとかいう話も聞いてたので、結構驚いた。

そして5月26日の日曜日。渡米10年目にして初めて日本語教会というものに行ってみた。その夜は、マンハッタンのその友人のアパートに泊まったが、教会の方から電話があって、翌日、ウェストチェスター(現在自分が1999年から住んでいるニューヨーク市に隣接している郡)に新しくできた日本語教会で、本田弘慈師が招かれて特別集会があるとのこと。自分はせいぜい名前を聞いたことがあるようなないような、といった程度だったが、せっかくの機会だし、その新しい教会が東城の教会と同じ系列の教団に属していたのも興味深かったんで、2人で行ってみた。さすがに最初は時々だったが、それ以来、その教会にどんどん深く関わり始めることになる。当時は本田師のお孫さんもその教会のスタッフの一人だったが、今でも連絡を取り合ってて、昨年2月数年ぶりに帰国した際にも東京で再会できた。

数日後だったか、日本に電話して、ウェストチェスターの礼拝に出席して本田師の話を聞いたということを親父に話すと、数秒間黙り込み、

「おぉ…。そりゃぁ、ええ経験したのぉ…。」と一言。

長年、あの沈黙が気になってた。

それから10年以上経ち、結婚前の両親について、それまで以上に色々知る機会があった。

それでわかったのは、当時の2人は、(臭い表現だが)恋愛にも信仰にも燃えまくってたらしく、有名な伝道師を招いて行われる特別集会の準備のため、東城に住む1人でも多くの方々にイエス・キリストの福音が届くのを願いながら張り切っていた時期があったということ。

この写真はその集会の記念撮影で、説教師として招かれていたのが、最前列中央に座っている本田弘慈師。それを知った時、あの電話での沈黙の意味がなんとなく解ったような気がした。親父も不思議な気持ちだったんだろう。

そして6年近く前、この写真をネットに載せたら、数ヶ月後に、牧師夫人に抱っこされてる『赤ちゃん』から連絡があった。東城は彼女が生まれた町で、写真の中の彼女の後ろの男性が当時の牧師先生だとか。それも、ご家族でカナダに住んでらっしゃるとかで、よくまぁ見つけてくださったと、不思議な縁を感じた。後で聞いたんだが、その先生にとって、初めて牧師を務めたのが東城の教会だったらしい。

その方とは今でも連絡を取り合ってるが、去る12月31日、先生が天に召されたということを聞いた。

その数日前には、東城の教会の今の牧師先生からのメールで、長年教会に関わってこられ、この写真に写ってる方も、12月1日に召されたということを知らされていた。

思わずこの写真を出し、一人一人の顔を見つめた。

自分が生まれる6年以上も前に撮られたこの写真に、様々な想いが込められている。

広島の山奥の田舎町で撮られたこの一枚が、今でも東城とニューヨーク、そしてカルガリーをつないでいる。

神様から与えられてる色々なつながりに、改めて感謝した。

Jesus loves y’all.


手術

[ 家族 ]

ここ数年、教会のことで色々あってストレスが溜まってた。それと同時に、ある事情で、自宅でも落ち着かない時期が何度もあって、それまでだったら教会で仕事したり昼寝したりできたが、一昨年末から、それもできなくなって、落ち着ける居場所がないような気分になることが多かった。

んで1ヶ月半前、ちょっとだが、とうとう体調を崩してしまった。今じゃ酒の量もラーメン喰う頻度も、前の半分以下に抑えとる。野菜は以前の倍以上。そんな感じだったんで、ただでさえ更新が少なくなったブログも、結局先月は全く書かず終い。

だが、手術ってのは、自分じゃなくて、せがれの話。その事もあって、もっと自分もせがれのために元気でいなければ…と思い、色々気を付けることにしたのも正直なところ。

2月に、様子が変なことが一度あって、それ自体は一晩経ったら治まったが、念のため検査に行かせた際、数ヶ月後に再検査してみるという話になった。

そして先日、血液検査や内臓のスキャンなど、再び診てもらったら、ちょっとした手術が必要だとか。よく、「アメリカの医者は保険会社から金もらってなんぼだから、やたら手術したがる。」という意見を聞くが、放置してても絶対良くならない部分らしいし、今回は赤ん坊の頃から何年も世話になってて、普段ちょっとのことじゃぁ薬を出さない小児科医から「凄く薦める」と言われて診てもらった医者なんで、とりあえず信用してみようかと。

癌とか腫瘍とかでもなくリスクもかなり少ない手術だということだが、なんせ6歳の小さな体に全身麻酔となると、全く心配しないというわけでもない。

こっちの病院は余程のことが無い限り、手術しても当日か翌日退院。自分も17年前、脱腸の手術で下腹部に14針縫ったのに同日退院。今思えばそれでよかったと思うが、今回のせがれの場合も、とりあえず翌日の予定。でも、中には調子良けりゃぁ当日退院出来ちゃう子もおるとか。

先週から、手術のことを話して聞かせていた。

「今度の水曜は、学校休んで、病院行って手術じゃ。おなかに穴開けるんよ。でもその前に、寝る薬を飲むんで、痛くないんよ。」

最初は、「こわい。」を連発してたが、3日くらい前に、3~4歳の頃によく見てたノンタンのビデオをいきなり久々に見たいと言い出した。それも、何でもいいんじゃなく、特定のやつ。

ノンタンが遊んでたら、耳を怪我して、医者に行って麻酔を打ってもらって、縫ってもらうという話。たまたま選んだビデオにその話が入ってたのか、手術が近づいてるのを察してあえて選んだのか知らんが、ちょうどよかった。

「見たか? ノンタン寝とったけぇ、縫っとる時も全然痛くなかったろ? ノンタンは注射で寝たけど、今度の手術はマスクで寝る薬じゃ。」

なんか、急に安心したらしい。

だが、手術前夜はやっぱ緊張してたらしく、寝る時に、再び「こわい。」「痛いの好きじゃない。」を連発。

寝る前のお祈りを済ませて、こっちが「おやすみ。」って言うと、話かけてきた。

「父ちゃん…。」

「明日早い言うたろ。もう寝ぇや。」

「父ちゃん、question があるよ。」

「questionは、『質問』って言うんよ。」

「父ちゃん、質問があるよ。」

「なに?」

「『Sleep next to me.』って、日本語で何て言うの?」

「『隣に寝て。』かなぁ。」

「父ちゃん、隣に寝て。」

おいおい、珍しいのぉ…。やっぱ明日の手術が相当こわいか。

隣に寝転がってたら、すぐ眠り始めたが、寝言で「どうして?」とか「もう、わかんない…」とか不満そう。

朝6時に病院に来てくれとのことだったので、昨日の朝は5時に起きて、毎朝のように自分がせがれも嫁さんも起こした。どうせ夜は大人1人しか同伴で泊まれず、自分は翌日朝から仕事なんで別々の車で行く予定だったし、みんな揃うのを待つとどこに行くにも必ず遅刻するということになってる家族だし、そのうえ嫁さんの両親も来るとかで、自分がせがれだけ連れて先に病院に向かった。

当然外はまだ暗い。車の中の時計が5:40くらいだということに気付くと、せがれが言った。

「ピタゴラスイッチ、見ないの?」

平日の夕方6:55からテレビ・ジャパンでやっとるピタゴラスイッチ・ミニ。もしかして外が暗い間に無理やり起こしたんで、朝と夕方の判断ができとらんか?

病院に入り、待合室ではやたらと、

「ママ、遅いね。」

「ママはいつも遅いじゃん。」

その後、呼び出されて、準備室のようなとこに入り、薬を飲ませてもらったり、血圧を測ってもらったりしてると、再び、

「ママ、遅いね。」

「ママはいつも遅いじゃん。」

…と、同じ会話を何度も繰り返す。

しばらくして嫁さんらも到着。そうこうしてるうちに、担当医の先生も来て、いよいよ手術に。

前回の診察で会ってるはずの『ドクター・D』。 姓をなかなか覚えてもらえないんで、こども達には自らそう呼ばせてるとか。正直、自分も、「今日の彼女は何かが違う…」と思ってたが、普段他人の名前を結構覚えるせがれでさえも、

「名前何ていうの? 前に会った?」

と、訪ねた。

「こないだ会ったドクター・Dよ。今朝は早かったもんで、まだお化粧してないからね、前に会った時とちょっと違うかもね。」

どうりで…。

手術室に入って麻酔が効くまでは大人1人同伴していいということだったので、動揺しそうな嫁さんじゃなく、自分が行くことに。なので、自分もスクラブやマスク、帽子を着けるはめに。途中、移送車で運ばれてるせがれがこっちを振り向き、

「父ちゃん、なんでドクターなの?」

「これ着てくださいって言われたんよ。心配すんな。父ちゃんがやるんじゃねぇよ。」

手術室に入り、麻酔が効き始めると、助手の一人が、

「Please give him a hug and kiss him good-bye.」(お子さんを抱きしめて、お別れのキスをしてあげてください)

などと言ってきた。なんか、もっと別の言い方はないんかいな…。

大体出てくるまで3時間くらいかかるとのこと。病院のカフェテリアで朝メシ喰ったが、どうせ待合室に戻っても暇だし、スマホで遊んでてもバッテリーが切れるだけなんで、自分だけ病院を出て、その辺を散歩。

この国では多くの場合、特にニューヨーク周辺で大きな病院があるのは、あまり治安や雰囲気がよさそうじゃない地域で、ここも例外じゃない。電話してるわけでもないのにでかい声で1人で喋ってる奴、大したことでもないのに車から顔出して怒鳴り散らしてる奴、単にクスリでいっちゃってそうで路上に突っ立ってたり座ってたりする連中など、ある意味典型的なニューヨークの物騒な下町っぽい感じだった。

近くの公園のベンチに座ってしばらくぼけぇっとしてたら、他のベンチにいたおっちゃんやおばちゃんらの会話が聞える。どこからか歩いてきて、そこに加わってベンチに座ると、「ハレルヤ…」とか呟いてるばあさん、杖持ちゃええのに一生懸命片足を引きずるようにしながらゆっくりと歩いて来るじいさん、まるで80年代に路上で巨大なラジカセ担いでラップを聴きながら歩いてたかのようなノリで、でっかいスピーカー抱えてR&Bを聴きながらやってくるおばちゃん、色んなのがその輪の中に入ってくる。思わず、「おたくら、どこの教会?」と聞いてみたくなるくらいの、コミュニティっぽいものを感じた。

病院に戻り、手術も終わり、ドクター・Dが出てきた。手術がうまくいったどころか、麻酔が切れるとすぐに暴れ始めたらしく、とりあえず元気らしい。「大人2人までどうぞ」っつうんで、嫁さんと一緒にせがれがいる部屋に行ったら、当然のことながら、体の色んなところにパイプがつながってたり貼られてたり。時々、「痛い!」と叫びながら暴れるもんで、穴をあけて縫ったのが4箇所ある腹に力を入れるわけで、余計に痛がる。

そして泊まる部屋に移動。9階だったんで、窓からはクイーンズやマンハッタンが見える。

同室には何とか歩けるような感じでまだ言葉の喋れない赤ちゃんがいた。昼間に母親らしき女性がちょっと来てたが、夕方から夜まで時々看護師が連れ出す程度で、あとは1人ぼっち。かなり病院慣れしてるらしい。そのうえ、近所の別室の、キモセラピーなんだろうか、髪がかなり短そうで頭に何か被ってる女の子が、点滴を自分で引っ張ってきて、その赤ちゃんの相手をしている。2人とも常連か長期っぽい感じで仲良くしてる。昼間公園で見た「十分生きてきたぞ」と言わんばかりの和気藹々の雰囲気とは相反して、ここには全く違う形のかわいそうな背景の『コミュニティ』があるのかと思うと、うちのせがれの手術なんか屁でもねぇ。

親はそう感じてても、せがれ本人はと言うと、手術後と似たような状況で、普段でも声が人一倍大きいのに、こういう時には更にすごいわけで、夜になっても騒ぎ続け、担当じゃない看護師まで入ってきて、「隣で寝てる赤ちゃんが起きちゃうから、なるべく静かにしててね。」と言われる始末。挙句の果てには、後のことは看護師に全て任せてるはずのドクター・Dを再び呼び出すはめになり、その後も色々と続いたが、なんとか落ち着いたんで、せがれと嫁さんを残して、彼女の両親を連れて帰った。その後、ガソリンスタンドに行って、久々に大好きなブルックリン・ラガーを買って自宅で飲んだ。

そして今日退院。

一部の人達には数日前から手術のことをお伝えしてたが、手術中もずっと色んな人達からSNSやメールなどで声をかけていただいた。みんなの祈りに感謝したい。

当然のことながら、穴を開けた腹や手術したところを痛がったり、トイレに行きたがらなかったり、手がかかる部分もあるが、よくよく観察してると、なんとなく甘えてるだけみたいな部分もあるし、予想してたよりもマシ。

とはいえ、今回はリスクも低く大した手術じゃなかったらしいし、世の中には病気や事故、戦争などで死んでいくこどもたちを身も心も引き裂かれるような想いで見守ってく親が大勢おるっつうのを考えると、全然なんでもないのは判っとるけど、やっぱ自分のこどもが苦しんどるのを見るんは、ええ気分がせんなぁ。

それと同時に、いつも感じることだが、今の自分がせがれを見守る気持ちと、同じくらいの、またはそれ以上の気持ちで自分の両親が自分のことを見守ってくれてたかと思うと、感謝しきれない。

当然、それ以上の計り知れない愛で見守ってくれてる神様には更に感謝。

Jesus loves y’all.


ガンプラ

[ 家族 ]

多くの日本の男の子たち同様、小さいころからプラモデルは好きで、イマイのロボダッチシリーズもかなり買ったし、田宮の戦争物にも結構熱中してた。塗料やパテなどによる改造で、メキシコの覆面レスラーを作ったりもしたし、ひどい時には悪ふざけで兵隊のプラモデルを使って、ヒトラーを作って、母ちゃんに嫌な顔させたこともあった。

ガンダムシリーズについては、初めて買ったのが、小学校の、4年生か5年生の頃だったと思う。幾つか買ったけど、ブームになる、またはブームだと知ると引いちゃう傾向にある自分は、周りほど盛り上がらず、相変わらず田宮の戦争物ばかり集めてたような記憶がある。

こないだ日本に帰国し、東京でうちの教会の20周年集会をやった時、色んな方々から色んなプレゼントをいただいたが、その中に、せがれ向けにガンプラを下さった方がいた。

ニューヨークに戻って来て、早速開けてみると、『グフ』だった。

うちらの時代は、接着剤と格闘し、塗料を使ったりするのが楽しかったが、今のは最初から色がある程度部品ごとに分けてあるし、接着剤もいらない。

確かに、幼児にあの塗料はまずいか。中学の頃、あの臭いをかぐ度に、「これが先輩らが吸うとるやつか。これじゃぁ頭おかしゅうなるはずじゃ。」とか、よく思ったもんだ。

先週の初めあたりから、「じゃぁ、今度の土曜は、父ちゃんと一緒にこのプラモデル作ってみるか。」とか言ってて、せがれ本人は乗る気だった。

レゴには、かなり夢中になってて、説明書なしでも写真だけで組み立てようとする。

が、どの部品も、はめ込む部分が殆ど同じサイズのレゴと比べると、プラモデルの場合、勝手が違う。

土曜日、早速二人で組み立て始めたが、レゴとは全く違う複雑さに圧倒されたのか、頭と胴体、足の先を作った時点で、「もうおしまい。(時間が)長過ぎる。」とか言って、断念した。

日曜も、月曜も、「このプラモデル、もう作らんのか?」と尋ねると、「だって、時間長すぎるじゃん。終わらないじゃん。」と言って、まったくやる気なし。

夕べ(火曜)、「おい、このプラモデル、父ちゃんと一緒に作ろうや。」って、言い方を変えてみたら、笑顔で、「うん!」ときた。

さすがに時々手伝わなければならなかったが、なんとか完成。

そういえば、自分が小学生の時に初めて買ったガンプラも『グフ』だった。

せがれ初のプラモデルも『グフ』だと思うと、なんか嬉しかった。

Jesus loves y’all.


わしだけかのぉ…。

[ わしだけかのぉ…。 / 家族 ]

その昔、「あるよ」っつうセリフだけで有名になった、

田中要次を見る度に、

……。

 

 

田中要次を見る度に………、

 

…………………。

 

わしの父ちゃんを思い出すのは?

※ 冗談抜きで、親父に似た唯一の有名人のはず。


Chuck Berry (1926 – 2017)

[ ニューヨーク / 家族 / 音楽 ]

1998年のことだったと思う。まだ結婚前だった自分は、ニュージャージーに住んでたが、コネチカットに住んでた彼女(後の嫁さん)のアパートに結構入り浸りだった。

その頃は、行きたいコンサートはなるべく2人で行くようにしてた。レイ・チャールズもB・B・キングも彼女と一緒に行った。

スタンフォードでチャック・ベリーがコンサートをするとのこと。日本じゃまず観れない。行くしかないと思った。

ある日、日本の雑誌で『ロックの神様』として紹介されてたことがあった。だとすると、ロック界におけるニックネームとしては、
親分 = ブルース・スプリングスティーン
王 = エルビス・プレスリー
父 = リトル・リチャード
神 = チャック・ベリー
ということになるんだろうか。

彼女はあまり興味なかったんだけど、当時ニューヨークに住んでた弟が話に飛びついてきた。

自分も弟も音楽が大好き。アーサー・アレクサンダーもトム・ウェイツも、ウィリー・デビルも、みんなあいつのおかげで知ることができた。チャック・ベリーなら、行きたいのは当然のことだった。

当日、弟は、ポケットサイズのジャック・ダニエルを上着の内ポケットに隠し、会場内でこっそり飲んでた。

コンサートは、往年のヒット曲の数々以外にも、結構ブルースっぽい曲もいくつかあり、期待してた以上に楽しかった。

自分は終始、切符に番号が書かれてる座席に留まってたが、酔っ払った弟は、席が空いてるのを見ると、どんどん前の方に進んでたっけ。

コンサートが終わり、会場を出た。

「おめぇは飲んどるけぇ、ええかも知らんが、わしもどっかで飲みてぇのぉ。腹も減ったし。」とか言いながら、入れそうな店を探そうとして歩き始めた。

すると酔っ払った弟が、結構大きな声で言った。

「なぁ、ひさくん。わしらぁ今、チャック・ベリー観たんよのぉ。チャック・ベリーで? わしゃぁ、もう、やることねぇ。死んでもええわ。」

兄弟揃ってニューヨーク近郊に住んでて、幸せだと思った瞬間だった。

RIP…