30周年

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自分が渡米したのは、1987年4月23日。今月後半で30年になる。

当時浜松にオフィスがあったNCI (Nippon Christian Insititute)という団体の留学制度を通して、中学3年~大学1年の合計33人の生徒のグループの1人としてやって来た。

東城を出たのが22日で、成田を出てロサンゼルス到着が23日。そこですぐ乗り継いでノースキャロライナ州シャーロットに向かうはずだったが、日本からの便の到着が遅れ乗り継ぐことができず。LAの空港でしばらく待った後、NCIが緊急で手配してくれたホテルで夜まで休息。ホテルのラウンジで弾いてたピアニストの演奏を、もうちょっと聴きたいと思いながら、しぶしぶ空港に向かう貸切バスに乗り、夜間の便でアトランタ経由でシャーロットに向かい、結局目的地のベルモントに着いたのは24日だった。1日ずれとるかもしらんが、とりあえずわしの記憶じゃそんな感じ。その頃のことは、2007年にも書いたんで、そっちを読んでいただくとしよう。

当たり前のこととはいえ、年齢を重ねるに連れ、時間が経つのが早く感じられる。あっと言う間に過ぎてった。

あれから10年、こどもには恵まれたが、両親祖父母ももういない。東城に『帰る家』というのもなくなった。

今のコンドを購入し引っ越してきたのが10年前の1月だったんで、それだけここに住んでることになる。

数年間働いてた現地の会社を離脱しフリーに転向。って、プロレスラーか?

交通事故で車ぶつけられたのが3回。そのうち2回は廃車

自分が卒業した高校のあるテネシーへ数年ぶりに、大学のあるテキサスには21年ぶりに行った。

プロレスは、以前より頻繁に観に行くようになった。Dragon Gate新日本プロレスといった日本の団体の米進出ってのもあったし、以前よりも日本の選手がこの辺の興行に出場することが増えたってのが主な理由かも。

反核・反原発を唱えてきた忌野清志郎は他界し、その2年後には東日本大震災。

色んな教会で演奏したり話をさせていただく機会も増えた。日本でコンサートしたり、母教会の礼拝で話させていただくこともあった。

信仰の先輩方も含め、何人もの友人知人が他界。

うちの教会はというと、相変わらず外野による理不尽でアホ臭いことで振り回されてるが、その分数少ない常連の信仰は成長したと思う。

このブログを始めて11年半。ここ数年は、短いことや友人限定にしたい内容はfacebooktwitterで済ませてしまうことが多いんで、前ほど、ちょっとしたネタもブログで載せるということが激変、その分ブログ更新の頻度も下がった。

もちろん、これを書くのは、23日にするつもりだった。

でも去る4月3日、故・鈴木理平氏(NCI理事長)の元夫人であり、離婚してNCIを離れてからも電話や手紙、メールなどで励ましてくれたりで、大変お世話になった鈴木春代先生が天に召されたという一報が友人経由で入ってきた。ここ数年はパーキンソン病で苦しんでたらしい。

さすがに、過去30年を振り返らずにはいられなかった。

本当に、これまで多くの方々に支えられてきたんだと、改めて実感する。

これまで自分のような奴でも相手にしてくれたみんな、そして全てを可能にしてくださった神様に感謝。

Jesus loves y’all.


2016年

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今日で2016年が終わるが、なんか、いいことよりも、嫌なことが多かったような気がする…。って、同じこと言ってる人が結構おるよな。

まず、多くの有名人が亡くなった年という印象が強い。自分はあまり映画とかテレビドラマとか見ないんで、俳優とかはよくわからんが、音楽プロレス関係だけでも多数いる。

自分が一時でもよく聞いたミュージシャン (括弧内は年齢):

  • デヴィッド・ボウイ (1月10日、69) – 実は、彼の存在が気になり始めたのは、ミュージシャンとしてではなく、『戦場のメリークリスマス』で坂本龍一やビートたけしと共演した時だった。
  • グレン・フライ (1月18日、67) – 2年前、再結成コンサートに行っといてよかった。
  • ジョージ・マーティン (3月8日、90) – ビートルズのプロデューサー。 デビュー盤の『Please Please Me』から『Abbey Road』まで、最後にリリースされた『Let It Be』以外は全て彼によるもの。
  • マール・ハガード (4月6日、79) – カントリー界の大御所。実は、ドラマーの友人がレコーディングに参加したこともある。
  • プリンス (4月21日、57) – 別にファンじゃないけどどうしてもコンサートには行っておきたかったミュージシャンってのが二人いて、彼はその一人で、もう12年くらい前かな、やっと行くことができた。ちなみにもう一人はマドンナだが、多分行くことはないと思われる。
  • レナード・コーエン (11月7日、82) – 『Hallelujah』って、実は宗教曲じゃないが、とにかく、すごい曲だと思う。
  • レオン・ラッセル (11月13日、74) – ありきたりかもしらんが、カーペンターズやレイ・チャールズのカバーも含め、やっぱ『Song For You』がええなぁ…。
  • ジョージ・マイケル (12月25日、53) – 実はワム!も、『Last Christmas』くらいまではよく聴いてた。
  • アラン・ウィリアムス (12月30日、86) – 『Please Please Me』でメジャーデビュー以前のビートルズがリバプールやハンブルグで活動していた時代のマネージャー。

プロレス関係も、思いついただけで、こんなにもいる。実際にはもっといるが…。

  • マイク・シャープ・ジュニア (1月17日、64) – あのシャープ兄弟の片割れの息子。日本に何度も来た。
  • モンゴリアン・ストンパー (1月23日、79)
  • ロード・ジェームス・ブレアース (3月3日、92) – ハワイに本部を持つとかいう『PWF』の会長ということで、全日本プロレスでの選手権試合の多くに登場。実際にハワイでプロモーターをやってはいたが、PWFという名前は使ってなかった。現役時代には世界ライトヘビー級選手権など多くのタイトルを奪取し、結構活躍していた。
  • ハヤブサ (3月3日、47)
  • ジェフ・ポーツ (4月1日、82)
  • ボールズ・マホニー (4月12日、44)
  • チャイナ (4月20日、46)
  • ムハマド・アリ (6月3日、74) – 言わずとしれたボクサーだが、プロレス史を語るにおいて、どうしても外せない。
  • ジプシー・ジョー (6月15日、82)
  • ミスター・フジ (8月28日、82)
  • ロード・リトルブロック (9月9日、87)
  • ムース・モロウスキー (9月10日、81)
  • エド・フランシス (11月18日、90) – 世界ジュニアヘビー級王者でもあったが、後に前述のブレアースと共にハワイでプロモート。
  • 永源 遙 (11月28日、70) – 東京プロ > 日プロ > 新日本 > ジャパン・プロ > 全日本 > NOAHと各団体を渡り歩く。
  • マリオ・ミラノ (12月9日、81)
  • ハーレー斉藤 (12月15日、48)
  • モチョ・コタ (12月22日、62) – 実は他界してたの、さっき知った。

他にも、うち教会の建物が約一年前に売られて、教会としても色々祈って語り合える機会が与えられて感謝してるが、とはいえ、「新しい大家になって良かった。」と心から感じれることが未だに一つも思いつかない。

そのうえドナルド・トランプ当選。決してヒラリー・クリントンを応援してたわけでもなく、二人とも貧乏人を食い物にし、極悪非道なことをする連中だとは思ってるが (自分の手を汚さずに殺してる人数はクリントン夫婦の方が断然上回ってるという説も強い)、選挙運動中に差別を煽るような発言を連発したトランプが当選することによって、調子こいた白人達によるマイノリティに対する攻撃も増え、差別的な犯罪が増えた。そのトランプをまた、『同性愛結婚反対』や『中絶反対』などを理由にパリサイ派…じゃない、キリスト教徒達が応援しているという何とも言えない状況。実際トランプ本人からしたら、どうでもいいことなんだろうけど。とはいえ、「じゃぁ誰が適役?」とか聞かれても、答えられないという悲しい状況でもある。

おまけに昨日(30日)は、この年末って時に、下の階のトイレから水が溢れた。実はこの一年間で似たようなことはこれで4度目で、今回が最悪。廊下やキッチンまで汚水が流れ出てた。我が家が原因ではなく、他の部屋からの物としか思えないものが汚水から出てきた。昨日のうちに業者が来て、消毒などもしてくれたが、板の床の下には、まだ汚水がしみ込んでるはずで、それを乾かすのは年が明けてから。おかげで、毎年大晦日には友達数人招いて、一緒に紅白見たりカウントダウンしたりするが、そういう状況じゃない。せっかく生そば、何パックも買ったのになぁ…。

んで、良かったことはというと…。

昨年末から数日、うちの故郷から来客

3月には、大学卒業以来21年ぶりにテキサスに行った。あれは本当に楽しかった。

秋には、以外にも初めてキャッツキルに行って、山小屋に泊まるってのをやってみた。次回はもうちょっと暖かい時期に行って、外でビール飲みながらバーベキューとかして楽しんでみたい。

教会がなんとか20周年を迎えられた。これには本当に感謝したい。

我々家族も健康がなんとか守られた。やっぱ一番大切なことやね。

他にもあったけど、とにかく今年はいろんな出来事があって、一年が早かったような気がする。

来年はもっと落ち着いた年になればいいが…。

A Happy New Year!


教育

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偉そうな題名にしたが、これしか思いつかなかった。

先月も似たようなこと書いたけど、こどもに対して何かを教える時、すごく気をつけなきゃいけないと思うことが多い。

ちょっと前に思い出したことがあった。自分の小学校一・二年の担任だったH先生と三年の担任だったT先生の大きな違い。

H先生は、うちの教会の近所に住み、娘さんも時々教会に来てたので、小学校に入学した時点で既に知り合いではあった。なので、特に目の敵のように意地悪されたこともなかった。

でも、『ダメな子』という目では見られていたようだ。実際自分でもダメな奴だと思い込んでたのも事実だが、今思うと、その先生の影響も多かったと思う。

とにかく偏見の強い先生だったと思う。例えば、自分の同じクラスには、小学生の野球チームに入ってる子たちもいたんだが、その中の一人(現在名古屋拠点某プロチーム監督)がいつものように悪さをすると、「あんたらの野球チームはいつも…」というような叱り方をしてた。そいつは学年一の悪ガキだったんでしょうがないとしても、同じチームに属してても、そこまで酷くなかった一員がたまにアホなことやってもクラス全員の前で同じ言い方をしてた。

ある時、提出後に即採点というミニテストを受けた時のこと。同級生のYが、「なんであんたはこうなんよ!? この学級でここまでダメなのは、あんたと田辺だけじゃ!」と叱られていた。いくら自分はダメな奴だと思ってた頃だとはいえ、さすがにショックだった。

もっと酷かったのは、ある日の宿題で、詩を書いて来いと言われた時。

その日、学校から帰る際、途中にある家の庭に生えてた草の葉っぱの上で、クモがハエのようなの虫を喰ってるのを見かけた。それを宿題のネタにしようと思い、何という名前のクモかもわからなかったが、とりあえず百科事典などで見覚えのある『はえとりぐも』という題名で詩を書いた。内容は覚えてないが、当時は、「これで褒めてもらえる。」と思った。

翌日、自身満々に宿題を提出。しばらくしたら、いつものように否定された。それも、いつものように大声だして叱られるんじゃなく、かなり白けた態度で。

「どっから盗んできたん? あんたにこんなええ詩が書けるわけねぇ。」

そんな感じなんで、どうせ何をどうがんばっても意味がないと思った。だから、毎日提出しなきゃならなかった日記も、ほぼ毎回「かえって、○○くんと、ミニカーであそびました。」だけ。

二年生になった時も同じ担任だと知ると、本気で学校に行くのがいやになった。でも当時は、なんで学校が嫌なのか、明確にはわかってなかったと思う。ただなんとなく、自分にとって居心地の悪い場所だった。

親父に愚痴っても、「しんどい時ゃあのぉ、神様が自分のことを試しとるんじゃ思え。」だけ。当時ガキだった自分にとっては理不尽な対応だったが、今となっては親父のそういう話の積み重ねが、自分の信仰の糧となってると思う。

そして、三年になった時。新しい担任のT先生は、H先生よりも更に厳しそうな人相。瞬間、心が暗くなった。ちなみに前述のYも引き続き同じクラス。

でもそのT先生は、全く違った。

授業中、みんなからの発言を求める時、「手を挙げてる暇があったら、喋り始めなさい。他の誰かが同時に喋りだそうとするなら、『僕(私)が言います!』と、主張しなさい。」といった感じの、当時の日本じゃなかなか考えられなかったはずの先生だった。要するに、アメリカでは通常の、こども達同士の議論を導入した授業ってのを、小学校の三年生でやらせてた訳だ。授業だけではなく、誰かが誰かをいじめたりしても、学級会で議論させてた。

基本的にそんな先生だったもんで、こども達を見る目もH先生とは全く違い、少しずつだったかもしらんが、自分も自信を持ち始めることができた。そして、当時から知識を積みたがるという面ではオタクだった自分とYは、当然のごとく、授業中は鎬を削り発言しまくっていた。(笑)

そして、今思えば、他の子たちにはすごい不公平な話だったかもしらんが、ある日の授業中、T先生が突然言った。

「わたしゃぁね、田辺君と(前述の)Y君が、いつもええことを発言してくれて、この二人がこの中で一番好きなんよ。」

その瞬間、何か、それまでひっかかってたものが、取れたような気がした。

偏見で以って、人のことを否定するのは、すごい簡単なこと。

反対に、人のいい部分を引き出すってのは、アメリカ人はよく口にはするが、実は難しいことだと思う。

決して自分にとっては、今(?)流行ってそうな、『いかにこどもを怒らせずに育てるか』ってのは、正直ありえない。叱ってないと、成長なんてできないと思ってる。ただ、それと、『人格否定をするか』ってのは、全く別の問題。

こどもも一人の人間として、自分の価値観を押し付けるんじゃなく、そいつが色んなことに関してどう感じてるのかを引っ張り出してやるのが必要なんだろうな、とつくづく思う。自分がそれをちゃんとできてるかどうかは、もちろん別なんだが…。


言霊

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よく、芸術作品などについて、「作者の魂が込められている」という表現が使われる。

『魂』という表現が合ってるかどうかはわからないが、通常芸術作品と分類されるものだけじゃなく、仕事で造る商品や日常の料理など、誰かが作ったものの全てにおいて、作者や発明者の気持ちというのが影響しているのは当然のこと。愛情が込められたものかもしれないし、手抜きやごまかしで作られたものかもしれない。

歌もそうだ。いくら単純な歌詞でも、書いた人間の気持ちが解るような気にさせられるものも多いし、多くの言葉を並べたり、複雑なコード進行やアレンジで着飾られてる曲でも、気持ちが込められてないように感じる曲もある。多くの人々が、歌に影響され、何かの行動に移すということも多い。かつてボブ・ディランが、「宗教指導者達のことは信じない。自分が信じるのは歌の力だ。」という内容のことを言ったことがあるが、音楽好きな自分も共感できる部分がある。

普段我々が口から発する言葉も同様だ。自分で言ってる言葉が相手に及ぼす影響というのを、気付かないことの方が多いはず。

先日、ニューヨークの地下鉄の中で、比較的若い母親と幼い二人のこども達が一緒に乗っているのを見かけた。お姉ちゃんと弟だったと思うが、その男の子が、膝を席について電車の外側を見ようとしていた。数秒すると、母親が、
「Sit the fuck down or I’ll spank your ass!」
と、その男のを叱った。
普通に訳せば「ちゃんと座っとかないと、お尻ペンペンよ!」程度でいいのかもしれないが、卑語が二つ入ってると、「ちゃんと座らんと、ケツ引っ叩くぞ!」の何倍もきつい言い方のような気がする。いずれにせよ、3~4歳だと思われる幼児に対しての言い方じゃない。

その瞬間、こういう言われ方をしながら育っていく子が、かわいそうに思えた。こういうのが続くと、ゆがんだ性格になったり劣等感に陥る可能性もあるし、将来周りの人達にも失礼な言い方をすることが多くなるかもしれない。

と同時に、自分自身も、それまで以上にせがれに対する言葉使いを気を付けなければならないと、再認識させられた。自分は決して、せがれや嫁さんに対して『ダメな奴』だとか『バカ』、『アホ』のような、本人の人格を蔑むような表現は使ってないが、それでも言い方がきついのは確かだし。家族に対してだけじゃなく、周りの人達に対してもか。

聖書にも言葉の持つ力について書かれている(特に新約聖書の『ヤコブの手紙』3章とか)。

良くも悪くも、「あの時のあの人の一言があったから…」というのは、実際よく聞く話。本人が軽い気持ちで言ってても、それが聞かされた人の人生を変えるような一言だったりすることもある。

感謝したかったり褒めたかったりするなら、素直に言葉に出せばいい。人格否定したかったり罵りたかったりする時は、我慢して黙ってりゃいい。

……と自分自身に言い聞かせている今日この頃。


『死ぬ』ということ

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昨日も書いたが、人生、いつ何が起こるかわからない。

自分自身、2012年12月、2013年9月と、一年以内で二度車をぶつけられ廃車になるくらいの事故に遭った。一度目なんか、高速道路だったし、二度目は、車が360°一回転した。180°で止まってたらどうなってたことやら。

この辺を運転していると、道路の脇にリスや鹿、アライグマなどの動物の死骸がしょっちゅう転がってる。そういうのを見る度に、せがれに、「あれ、死んどるなぁ。かわいそうに。」って語りかける。「死んでるねぇ。」とか「かわいそうだねぇ。」とか、とりあえずこっちが言ってることを繰り返してはみるが、実際『死ぬ』ということについて理解があるとは思えない。

ペットとか飼ってればまだわかるのかもしれないが、我が家では飼わないことにしてるので、今のせがれに『死ぬ』ということについて理解させようにも、なかなか難しい。

最近、よく、誰がどこに住んでるか、説明したがる。

「○○さんは、日本帰ったね。」
「grandpaとgrandma(本人にとって母方の祖父母)も日本行ったねぇ。」
「○○はマンハッタン。」
「Uncle ○○○とAunt ●●●(叔父夫婦)はメリーランド。」

ここまではよく言ってることなんだが、この間、突然、

「(父方の)じいちゃんも日本だねぇ!」

とか言ってきた。

「もうおらん。死んだ。」
「死んだ…? もう来ない?」

「うん。もう来りゃぁせんよ。死んどるけぇ、日本にもおらん。」
「マンハッタンいる? 飛行機乗ってる?」

「いや、どこにもおらん。」
「……???」

別に焦ったわけじゃないが、こればかりはなかなか説明してわかってもらえる話じゃない。

自分が今のせがれくらいの年齢だったころは、既に『死』ということについて多少の知識はあったと思う。日本のこども向けのテレビ番組は戦闘物が多く、大抵最後には敵が死ぬし、時として、主役の仲間さえも死ぬことがあるからだ。また、現代のアメリカと違い、こども達だけで川や山に遊びに行くことができたので、カエルや虫をわざと殺してみたり、何匹も捕って家に持って帰って、対して面倒も見ずに死なせてしまうこともあった。

もちろん無理して教える気もないし、そのうち学校かどこかで学んでくるだろう。

でも、人や物を「大切にする」ということの大事さってのに、気付くのは早い方がいいし、目に見える全てのものにはいつか終わりが来るってことは、なるべく早く理解してもらいたいとは思う。