帰国

[ 家族 / 旅行 ]

昨日の便で帰ってきたわけだが、自分の場合、歳を重ねるごとに時差ボケが治り難くなってるので、4年10ヶ月ぶりの今回は、相当きつくなりそうな気がする。

過去数回、両親の病気や葬式やらで、毎回悲しい気分で日本を去った。今回はそうならないかと思ってたが、ある程度可能性を感じてた部分があったものの、結局寂しさ抱えてニューヨークに戻ってきた部分もある。

だからこそ、ここでは、あえて、楽しかったこと中心にふれてみよう。ほとんど暴飲暴食ネタになるが(笑)。

2月24日(金):
成田到着後、Airbnbで見つけたアパートのある大門へ。部屋に荷物を置いて、夜には弟と、嫁さんの高校時代からの友人と共に、近所の居酒屋へ。幸い座敷だったんで、時差ボケだったせがれは終始寝たまま。まぁ、その分、気を遣うことなく会話できたかも。

2月25日(土):
うちの教会の20周年記念集会、その後二次会

2月26日(日):
羽田から広島へ。途中で富士山が上から見えた。

姪1号が迎えに来てくれたが、彼女の車だけでは3人と荷物全部が入り切らないので、姉のアパートからそんなに遠くないとこに住む自分の小中学校の同級生にも来てもらった。姉宅に着くと、さっそく買い出しに行って、部屋に戻り田辺家伝統の味、キリンビールを。姉宅滞在、初日から飲みまくり。甥も、今回のうちらの滞在に合わせてよその県にある大学から帰ってきてくれてた。

ちなみに広島空港では毒蝮(三太夫)発見。ネタとして写真撮っときゃよかったような気がしないでもない。

2月27日(月):
昼メシはうちら家族と姉、姪2号、甥でラーメン屋へ。数年前にも来たことがある店で、悪くない。

午後からは、みんなで河原へ行って、せがれ初の凧揚げ。大人も盛り上がった。

夜には、去年の正月にニューヨークの我が家に泊まった女の子とご両親が東城からわざわざ出てきてくださり、うちの家族と姉家族の全員で会食。というか、飲み会。かなり盛り上がった。

2月28日(火):
昼メシには府中焼を。広島では他地区同様、一般的に豚肉の薄切りを使うが、府中焼ではミンチを使う。その脂分を上手く利用してパリパリに焼きあがったのが美味しかった。自分は普通の焼きそばではなくピリ辛にしてもらい、トッピングもホルモンを追加してもらった。
府中焼

3月1日(水):
丸亀製麺』で昼メシ。チェーン店とはいえ、あなどれない。うどんもよかったが、鶏肉の天婦羅も美味しかった。

3月2日(木):
姪1号が仕事休みのため、姪2号や甥と共に、せがれを遊びに連れて行ってくれた。当初動物園を予定していたが、連日天気予報によるとこの日は雨とのこと。なので、色んな車に実際に乗ったりできるという自動車時計博物館に行くことを計画。でも結局天気はそれほど悪くならずに、動物園にも行けたらしい。その後再び凧揚げにも行ったとか。
動物園自動車時計博物館

3月3日(金):
2日後の礼拝でのお話を控え、自分の急な思いつきで散髪しようかと、近所で散髪屋を経営する同級生に連絡。甥と2人でお願いすることに。かなり負けてくれた。

姉宅に戻った後、嫁さんとせがれは、翌日嫁さんの叔母さんの7回忌に出るため、県内の別の町に移動。以降、広島空港で待ち合わせるまで別行動のはずだったが…。

3月4日(土):
我が故郷東城で一泊

3月5日(日):
東城の教会の礼拝でお話させていただいき、教会での昼食会後、教会墓地へ行って両親の墓参り。もっとゆっくりする予定だったが、その後すぐに牧師先生の車で再び姉宅へ。詳細はこちらを。

色々急いでたもんで、牧師先生の車の中で、東城の地酒『超群』を買うのをすっかり忘れてたことに気付く。

夜には、再び行動を共にすることになったせがれと、姉、姪1号とで回転寿司へ。100円寿司とかじゃなかったんで、ちょっと高めだったが、おいしかった。

3月6日(月):
嫁さんが別行動だったんで、自分とせがれは川沿いで散歩したり、公園に行ったりして、旅行中には珍しく2人だけでの時間を過ごした。夕方には嫁さんとせがれを残して姉宅に戻る。
沼田川

3月7日(火):
昼メシに『手打ち蕎麦むらかみ』で鴨丼定食。茶飯に鴨の煮込みをのせたものと、手打ち蕎麦のセット。味付けも丁寧で気に入った。夜のメニューも居酒屋っぽいのが色々あって気になる。
鴨丼定食

3月8日(水):
姉通院に付き合い、甥と共に朝から福山へ。早めに用事が済んだため、数年前にも姉達と行った、駅のそばの『瀬戸内小魚 海の幸八』で前回も喰った鯛飯定食を。880円で鯛飯、刺身、煮物、海老や野菜の天婦羅、吸い物、蕎麦とかなんで、お得。昼食時は混むんで、早めに行けてよかった。
鯛めし定食

幸い、福山駅のデパートで『超群』も発見。当然翌日用に購入。

夜は空港まで迎えに来てくれた奴と散髪してくれた奴と同級生3人で飲みに行った。どこがいいか姉家族に相談してたら、『つむぎ』という店が美味しいとのこと。『手打ち蕎麦むらかみ』の夜のメニューもよさそうだったので、友人達にその2件を挙げたら『つむぎ』にしようとのこと。内装もよく、牛筋煮込みや生せんまい、サザエもよかったが、鶏刺の盛り合わせは、ささみやももだけじゃなくズリやハツ、レバーもあって、かなり嬉しかった。〆で喰ったラーメンは味がかなり濃かったけど、それ以外は全て美味しかった。次回また行きたい店だ。
鶏刺し盛り合わせサザエ、生せんまい、刺身盛り合わせ

3月9日(木):
午前中は、まるで運動会にでも行くかのように、姉と姪達が料理。午後は姉と4人の姪甥、計6人でカラオケ。1人1杯ずつ飲み物を注文しさえすれば、あとは持ち込み可のため、朝料理したものや肉屋で注文した焼き鳥、キリンビール、ウィスキー、『超群』で盛大に。6時まで安いので、1時から5時間の予約だったが、約1名(自分じゃない)が酔っ払って、1時間延長、計6時間飲み食い歌いまくり。
カラオケ超群

…にも関わらず、その後自分は姪2・3号と甥を連れて、歩いて再び『手打ち蕎麦むらかみ』へ。午後ずっと宴会だったというのに、それでも馬刺しや蕎麦を喰って帰った。4人で色々話ができた貴重な時間だった。
馬刺し

3月10日(金):
広島を出て、同日ニューヨークへ帰宅。姉のアパートに、わざわざ東城から教会の牧師先生が迎えに来てくださり、そのまま車で広島空港へ。信仰について、とくにニューヨークの教会が求めてるビジョンについて語り合うことができたんでよかった。

これ以外にも、姉家族が色々な食材を買ってくれて料理してくれたり、姉宅にいる間は毎晩プチ宴会のような感じだった。せがれにとって結構年上のいとこ達も、楽しんで相手してくれた。姉が録画してた『レッツゴーヤング』の再放送も楽しかった。

あと、姪1号がいつの間にか忌野清志郎のファンになってたのも嬉しかった。やっと良さがわかるようになったか。(笑)

全体的に振り返ると、帰国して本当によかった。今後は4、5年とは言わず、自分だけじゃなく嫁さんやせがれ、そして日本にいる家族や友人知人について考えても、もっと頻繁にできればいいと思うんで、そういう機会や状況が与えられるように祈ってくれたら嬉しい。

共に時間を過ごしてくれた人達全員、そして全てを可能にしてくれた神様に感謝したい。

Jesus loves y’all.


お別れ

[ 家族 / 旅行 ]

今回の帰国の日程を決めたのは12月だったが、その後、嫁さんが幼いころから大変世話になっていたJさんが心臓の問題で急遽手術。

Jさんはご主人のHさんと共に、我々の結婚式にわざわざ広島県からニューヨークまで来てくださった。

それ以降も、自分自身Jさんとは日本やニューヨークで何度も会い、図々しくも(?)自分一人でお宅に泊まらせていただいたこともある。行く度にご夫婦と一緒に飲み、Hさんのクルーザーで瀬戸内海を駆け周ったり、ご用達のスナックにも連れて行ってもらったこともあった。母が急遽他界した際には、ご夫婦で広島空港まで迎えに来てくれて、暗い夜の山の中、車で自分の故郷の東城まで送ってくれたし、親父の葬式にも出席してくださった。ご夫婦にはお子さんがおらず、嫁さんにとってまるで第二の両親のようだったが、自分も帰国の度に多くの面でお世話になり、自分にとってもいつの間にか実の親戚以上に親戚のような人達になっていた。

Jさんが既に危篤だったため、親族ではない自分はお見舞いに行けなかったが、Jさんにとって娘のような存在だったうちの嫁さんには許可が出たため、先週の木曜(3月2日)、岡山県の病院まで行くことができた。

だが翌晩、永眠。日本ではこんなこと書くと不謹慎とか言われるかもしらんが、まるで、嫁さんが会いに行くのを待ってくれてたような気がした。

通夜が5日(日)、葬式が翌日に決定。自分は東城にいたが、教会での礼拝と昼食会を終え、両親の遺骨が納められている教会墓地に行くと、牧師先生の車で姉のアパートに戻り、姪の運転で急いで姉と共に嫁さんの滞在地へ。通夜の間は姪がせがれの相手をしてくれた。

姉と姪は通夜の後、自宅に戻り、自分はその町で1泊し、家族で翌朝の葬儀にも出席。せがれには前以って何度も何度も「今日は、お友達が死んだから、みんなでさよならって言う日だから、絶対に静かにしてくれ。」と言い聞かせた。

実はあまり期待してなかったんで、いつでも会場内のこども部屋に連れてく心の準備はしてたが、普段騒がしいせがれも、退屈そうにごそごそ動いてはいたものの、驚くほど静かにしてくれた。途中で、何か食べたいって言うんで、こども部屋に行ってバナナを食べさせてトイレに行かせただけで、その後は、再び本人の希望で会場に戻った。最後まで普段の大声どころか、殆ど話さえせず、よくがんばってくれたと思う。

葬式の最後には、スクリーンに、在りし日の写真の数々が映し出されたが、最後の1枚は、うちの嫁さんとクルーザーに乗ってる時のJさんの写真だった。

前に出て、最後の挨拶をさせていただいた時には、せがれも連れて出て献花させた。

以前も書いたが、アメリカに住んでると、幼児に『死ぬ』ということを教えるのが、日本に住んでる場合よりも難しい。

「どうして、あそこで寝んねしてるの? ベッドじゃないじゃん。」
「父ちゃんが何回も言うたけど、あれが『死ぬ』っつうことなんよ。」

「いつ起きるの?」
「もうずっとずっと起きんのじゃ。じゃけぇ、みんなでさよなら言いに来とるんよ。」

「え~? せかっくみんないるのに…。せっかくみんなお花あげたのに…。」と悲しそうな顔をするせがれ。
涙を流しながら再び、「これが『死ぬ』っつうことなんよ…。」と、それ以上何も言えなかった自分。

Jさんの人生に感謝するとともに、涙をこらえながら遺族代表の挨拶をしたご主人のHさんのため、そしてJさんの霊の癒しのためにも祈り続けたいと思う。

Jesus loves y’all.


故郷にて

[ 信仰 / 家族 / 旅行 / 飲み喰い ]

うちの教会の20周年記念集会をした翌日、広島に移動。以来、県内の姉のアパートに滞在中。

色々あって、故郷の東城では先週の土曜(3月4日)に1泊したのみ。嫁さんとせがれは、前日県内の別の場所に移動し、金曜(10日)に羽田に向かう飛行機に一緒に乗るまで別行動。

夜には東城に古くからある『香川飲食店』で同級生5人と、去年NYの我が家に来た女の子のご家族とで飲み会。16歳で渡米し、町内でも違う地区に住んでた自分にとっては、実はこの店に来るのは初めて。だしを換えずに延々と使っているといわれる伝説のおでんなど、色々いただいた。最後の方は、具が少なくなった鍋の中からスジを探し出して皿に移すと、同級生の一人から、「そりゃぁ多分2ヶ月くらい浮いとるやつじゃろ。」と、冗談か本気か検討のつかないコメント。
香川飲食店

翌朝は、自分が育った母教会の礼拝で、お話させていただいた。当初は数曲弾き語りするのを含め40分くらいにしよう思ってたど、合間に色々故郷での昔話や、ここぞとばかりに超主観的な見解などを入れてたら、1時間超えてしまった。正直、自分が言いたかったことがどれだけ伝わったか分らんが、喜んでもらえてたような気はする。

中には久々に来られたという方々や初めて礼拝に出席した方々、そしてニューヨークで知り合い、今回のためだけにわざわざ島根から車で3時間もかけていらした方もいて、嬉しかった。

本当はもっとゆっくりしていきたかったが、ある突然(?)の出来事により、昼食会の後、両親の遺骨が納められている教会墓地を訪れたら、県内の別の場所に移動。急いだ理由については次回書くとして…。

ちなみに、礼拝後の昼食会で、自分の両親と同世代で長年教会に関わってるご夫婦に、前の晩『香川』で飲んでたことを話すと、ご主人の方から、「あそこのおでんは、だしを換えてんねぇけぇ、わしらが行きょった数十年前の何かが、今でも沈んどるんじゃねぇかの。」と、これまた冗談か本気か検討のつかないコメント。

自分は実家がもうないわけで、この町に帰る場所はないけど、色んな人達と話してて、この町を守っていきたいという気持ちがすごく伝わって、これまた嬉しかった。

決して故郷を満喫したとはいえないが、それはそれで、なるべく近いうちにまた来たいという気持ちもかき立てられた。

次回はせがれ同伴ならええなぁ。

Jesus loves y’all.


20年

[ ニューヨーク / 信仰 / 旅行 ]

現在、色々事情がって、この変な時期に家族で日本旅行中。23日(木)にNYを出て24日(金)に到着。

どうせ帰国するなら…ってことで、今回は最初に東京に2泊、25日(土)に新宿区内の教会で、うちの教会の20周年記念集会を、帰国者の方々に集まっていただいて開催することにした。

10周年の時も同じ教会を使わさせていただいたが、更に10年経つと、さすがに集まる層も厚く、重みも増す。

最初の年にいた人達から一昨年帰国した人達まで、50人ちょっといただろうか。

今回はこれまた色んな事情があって、当日まで、集会の流れを細かく決めれない状況だった。自分がみんなの前で喋る内容も、トピックだけで、あとは行き当たりばったり。でも、それだからこそ、雰囲気に任せて進行することができたような気がする。

終わってからは、参加者のうち、11人で池袋の居酒屋で二次会へ。思ったより早めのラストオーダーで、追い出されたような気があるが、それなりに盛り上がった。

集会中も色々忙しくバタバタしてたが、感情的になって声が詰まりかけたことも何度かあった。でも珍しく、この涙もろい自分が涙を流すことがなかったんで、数人は驚いてた。

でも、真夜中、時差ボケで目が覚め、色々思い出して、やっと少しだけ涙が出てきた。

あの場でも似たようなことを言ったが、今後うちの教会がどういう方向に進むかに関わらず、今回の集会が、ただのお祭り騒ぎではなく、NYに残る人達も帰国や移転した人達も一緒に、みんなが一つの『祈りのネットワーク』を築き上げていけたらと思う。

Jesus loves y’all.


山奥にて

[ 旅行 ]

今週末は、嫁さんの元同僚の結婚式で、アパラチア山脈の中のキャッツキルという山地へ行ってきた。

どこに行っても大騒ぎするせがれを式に同伴するわけにもいかないんで、嫁さんの案で自分の『音楽の相方』である友人に一緒に泊まりに行って面倒を見てもらうことに。

ホテルを予約しようとしたのが遅かったんで、どこも満員。これまた嫁さんのアイディアで、山小屋を借りることにした。

金曜の夕方、自宅を出て、目的地の近辺に着く頃には暗くなりかけてた。途中でどこかレストランにでも入って夕飯を済ませるつもりだったが、そうしようと思ったら、なかなか面白そうな店が見つからない。やけに場違いな感じのリゾート施設があったんで、もう少し進んで、もし何もなかったら、諦めてそこにしようと思ってたら、ステーキ屋を発見。その町がフェニシア(Phoenicia)、店の名前もThe Phoenician Steakhouseだったんで、チェーン店じゃない地元の店だろうという理由で寄ってみることにした。入り口でメニューを見ると、普通の高級なステーキ屋をちょっと安くした程度で、うちらには結構高めだったが、せっかくなんで、一か八かで入ることに。

店員の話だと、その日は、リブアイスペシャルがあるとのことで、$29でリブアイステーキにサイドメニューとしてサヤインゲンやマッシュポテト、ヨークシャー・プディング、さらにデザートでパンプキンチーズケーキも付くとのことだったんで、早速そのセットと、もう一つボロネーゼも頼んで、三人で分けることに(せがれはこども用ハンバーガー)。ステーキは予想してより大きく、パスタもまるで手打ちかのような美味しさで、ステーキのサイド3点も、おまけに(嫁さん曰く)せがれ用に注文したハンバーガーまで、全てが美味しかった。マンハッタンだと、あのステーキセットの味と量なら$50でも無理だろうなぁ…。とにかく、全員満足した後で、目的地の山小屋へ。

到着するころには既に真っ暗で、文字通り山奥なんで、街灯もない。最後に曲がる道には、標識もなかったが、「多分これだろうな」って感じで曲がってみたら当たってた。よくまぁあんな状態で着けたもんだ。

小屋に入り、荷物を整理して一段落ついたら、予定どおり、友人と二人で外のテーブルで飲むことに。嫁さんとせがれも途中出てきたが、寒すぎたみたいで、すぐに入ってった。彼女はこの日を楽しみに買っておいたTrader Joe’sの亜硫酸無添加ワイン、自分はステーキ屋の兄ちゃんに尋ねておしえてもらったスーパーで買ってきた大好きなオーガニックビール『Peak Organic IPA』。近所のバーの外のテーブルではしょっちゅう飲んでるし、旅行で静かな海辺ってのはあったが、山の中の静かな環境で、それも夜にゆっくり飲むなんて、もしかしたら初めてかも。

Running Horse Chalet (1) Running Horse Chalet (2) Running Horse Chalet (3)

翌日土曜は朝から近所のファーマーズマーケットへ。色んな地元産物が売られてた。そこでクッキーやハードサイダー、ステーキ用肉やソーセージを買い、朝食も済ませた。

こういう山奥は、殆どが白人ってのが当然なんだか、朝食を喰ってると、どんどんアジア人がやってきた。悪ふざけで、その中の一組に、「もしかして、午後から結婚式に行くとか?」って聞いてみたら、みんなして大笑いしながら、「そうそう!」 ま、そりゃそうだわな。

その後、マーガレットビルという町をちょっとだけ歩いてみたが、夜などは賑わってんだろうなと思わせるレストランもいくつかあれば、過疎化の雰囲気漂う建物も多かった。

結婚式には自分と嫁さんが行った。林の中に椅子を並べての、しゃれた式だった。会場も『Roxbury Barn』ってとこで、披露宴も barn (納屋)を改装したような建物で行われ、みんなメシ喰ったら、適当に外にでてダベりながら飲みながら、って感じだった。

その間、せがれは友人と山小屋に残り、「アタシと一緒の時は、ゲームもキンドルもさせないから。一緒にずっと歩くんだよ。」と言ってたとおり、三時間以上、山の中や牧場の周りを散歩したらしい。自分自身、広島県の山奥で育ったわけだが、ニューヨーク郊外の我が家周辺には、そんな感じで野放しで遊ばせてやれるとこがなく、今回せがれには普段できない経験もさせてもらい、かなりありがたかった。

今朝(日曜)は、早速山から下り、帰途に。午後からの礼拝に間に合わなければならないってのは勿論のこと、マーケットで買ったものを冷蔵庫に入れときたかったし、週末外出してたので、礼拝で弾かなきゃならない讃美歌を練習できてなく、15~20分だけでも練習しときたかったんで、我が家に寄り、用事を済ませてそのまま教会へ向かった。さすがにピアノ弾いてる間、途中でフラぁ~っとした瞬間があった。

実は今回の運転で、行きも帰りも気になった道路があった。高速道路を降りて、キングストンという町から目的地までニューヨーク州道28号線をずっと走るんだが、途中であの伝説のコンサートが開催されたウッドストックに向かう州道375号線があった。「をを、こっちを曲がるとあのウッドストックに行けるんか!」と感動しながらその方向を見ると、なんと標識に『Levon Helm Memorial Boulevard』(リヴォン・ヘルム記念通り)って書いてある。6年前に他界した、ザ・バンドのオリジナルメンバーの一人、ドラマーのリヴォン・ヘルムが道の名前になってるってことだ。それも、すぐ近所には『ホテル・ディラン』ってのもあった。アメリカのこういうとこが好きなんよなぁ…。

当初、結婚式があの山奥であるって聞いた時は、正直、「面倒くせぇ~」とか思ってたが、山小屋を借りることになった途端、ちょっとだけ行くのが楽しみになり、実際に行って、自然を満喫し、せがれにもいい経験をさせてやれて、本当によかったと思う。結婚式でもない限り、なかなか来ることはなかっただろう。

いつかまた、もうちょっと寝室の多い小屋借りて、友達数人も一緒に行きたいと思った。

あの場所で挙式した新郎新婦、そして全てを可能にしてくれた神に感謝。

Jesus loves y’all.