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ぶ〜たれ: 分類なし - 特にカテゴリに入れてないもの

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2009年5月19日

芸備線

岡山県新見駅から広島駅まで、広島県北を通る路線。原爆投下の際には、広島市内から県北へ患者を運ぶ重要な役割も果たしたし、『特急やくも』の走る伯備線や、福塩線、木次線などに接続し、かつては山陰と山陽をつなぐという意味でも重要な路線だった。だが、道路の発達による高速バスの活躍や庄原市・比婆郡周辺地域の過疎化により、今では無人駅も増え、すっかり寂しくなってしまった。

以前どこかのサイトからコピーさせてもらった、自分が生まれた年の東城駅の写真。さすがに人が多い。高校留学する直前に国鉄からJRになったんだが、あの頃はまだ駅員が何人もいたし、利用者も結構いた。

tojo_eki_s46.jpg

今では東城でJRを使うことなんてなくなったが、高速バスができる前は、これに乗って3時間以上かけて広島市内まで行ったもんじゃ。

4分過ぎくらいから、少しずつ東城の町が見えてきて、5分あたりで東城駅。

こうして見ると、懐かしさはもちろん、故郷が益々廃れていくという寂しさもある。


2009年4月27日

お疲れさんでした。

去年の夏に母方の祖母が他界。

秋には、祖父が顎の癌で入院。

何年も前、祖母が倒れて動けなくなった頃から、祖父は、80歳過ぎて初めてメシの世話とかをしていた。どちらかというと、祖母の面倒を見なきゃいけなかったんで、90過ぎてボケ始めてからも、生きる力を保ち続けることができたんだと思う。

そんな感じだったんで、夕べ姉からのメールで知ったが、あまり驚いてない。

十分がんばったよ。ありがとう。今後も二人で仲良くな。


2009年1月23日

38歳

普通に仕事して、事故の後遺症のためのリハビリに行って、いつものように毎週金曜夜の祈りの会のために教会に行って、うちに戻って来てビール飲みながらモツ炒めをつついているという、楽しいことも、大きな問題も無いまま過ごした一日が終わろうとしている。

そんな自分も今日で38歳。

ここ数年、誕生日を迎える度に、武田鉄矢の『少年期』という曲が心に響いてくる。

人生振り返って、全く焦りがないと言ったら嘘になるかな。こんな時こそ、「Let it be」ってな気持ちで、すべてを神に委ねば…。


2009年1月17日

ブッシュの功績

せっかく(?)のお別れ演説も、ハドソン川に奇跡的な不時着をした飛行機関連のニュースの影に隠れ、そのまま来週のオバマ就任につながりそうで、最後まで格好悪い現大統領。

やっと消え去ってくれるのかと、自分を含め国内外の多くがほっとしてる中、ジョージ・W・ブッシュの偉大なる功績について思い返してみた。

例えば。

えぇ〜っと…。

なんじゃったけぇなぁ……。

あ。


一つあった。

自分が少しでも政治に興味を持ち始めたのは、ブッシュのおかげ。実はこれ、これまでほぼ無関心だった自分にとっちゃ結構凄いこと。

それを実感したのは、2005年6月、ニューヨークで、おそらく最後だと思われるビリー・グラハム宣教大会に行った時のこと。

『応援』に来ていたクリントン夫婦が紹介され、前大統領がスピーチを始めた。それまでクリントンのことなんて、なんとも思ってなかったけど、「この人が大統領だった時は、今よりもっとマシだった。」と思うと、思わず拍手を送っていた。


それだけ、とんでもねぇ大統領だったってことかな、ブッシュっつうのは。


2009年1月 5日

RIP - Mr. Imre Lagler

lagler.jpg 高校時代の先生。といっても、実は彼の授業は受けたことがない。

ただ、ハンガリー出身で、少なくとも六ヶ国語(ハンガリー語、英語、ロシア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語)を喋り、いつも校内で他の先生や生徒達と政治について議論し合ってるおっさんだったということで、高校時代のもっとも印象の強い先生の中の一人だった。また、結構昔のイヤーブックにも載ってて、何十年もあの学校で教えていた。

ある日、寮の自分の部屋に入って来て、「質問がある。」と。渡米一年目の自分は、英語がほとんど喋れなかったが、とりあえずどんな質問か聞いてみると、「漢字で『holy』というのは『聖』と書くそうだな。自分が疑問なのは、なぜ『耳』と『口』と『王』を合わせた字が『holy』になるのかがわからない。」

んなこたぁ、知ったこっちゃないし、知ってたとしても、当時の自分の英語力では到底質問できなかっただろう。

ある日の朝礼のスピーチでは、「俺のとこには相談に来るな。(ハンガリー人のもんで)共産主義を教えてやるから。」などと言ってみたり、とにかく面白く豪快な人だった。

自分が卒業してから3年後、同じ高校に留学した弟の卒業式後のパーティで、多少英語の上達した自分は、初めて、彼とじっくり話せたような気がした。

「当時はあまり英語喋れなかったけど、朝礼で話す度に、なんとなく面白さが伝わってたよ。」

って言ったら、

「英語が話せる奴等でも、そう思ってくれないのが多いんだけどね。」

って皮肉ってた。

自分の母校では、数少ないポジティブな思い出の一人なのかもしれない。

Rest in peace...


2009年1月 1日

Happy New Year

去年は、会社辞めて独立、夏には初の日本コンサートなど、面白いこともあったが、祖母や友人・知人の死、今でも後遺症の残る先月の事故など、本当に色々あった年だった。そう思うと、神様に守られながら生かせていただいてるということを、改めて実感する。

夕べは、今月後半に帰国する、あるご家庭に招いていただいた。得意のズリ・心臓炒め(プラスSierra Nevada Pale Ale 12本 と Brooklyn Lager 6本)を持ってった。色んな居酒屋風料理が並び、日本酒もいただいたうえ、そこのご主人が得意とする手打ち蕎麦で年越しをした。彼の打つ蕎麦は、その辺の店で喰うより、よほどうまい。

この年末年始は、クリスマスと元旦が木曜日ということもあり、それぞれ翌日も休日にして、二度4連休にした会社も多く、うちの嫁さん含め、比較的ゆっくりできてる人も多いんじゃないだろうか。もっとも、自分の場合去年の二月に自営業になったばかりで、そんなに客が多いわけでもないんで、あまり関係ないが。

とにかく、去年同様、『三箇日』の雰囲気を味わえそうな気がしないでもない。

今年もよろしく。


2008年12月13日

見捨てられた文化財

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今日は、うちの教会の裏にある駐車場の大木が切り落とされる予定なんで、朝から出かけて、写真を撮りに行った。本当は水曜あたりに行きたかったんだが、火曜の自動車事故のせいで、行けんかった。もちろん運転も嫁さんに任せた。

かなり斜めに伸びてるし、以前、大きな枝が落ちて、幸い路上で誰も歩いてなかったからよかったものの、もし誰かいたら、おそらく死んでてもおかしくなかったはず。そこまで危険な状態の木だった。

でも結局は、昔そこにこの木を植えた連中がいるわけで、それを面倒みることなく今の状況まで放ったらかしにしてたという事実がある。

植物も命。でも、花や木を、好きな時に、後先考えずに植えて、あまり面倒も見ず、気がついたら邪魔だったってことで、切り落とす。んなことやってんの、うちの教会だけじゃなく、多くの人間が歴史上繰り返していること。でも、そういうのって、『可愛い』とか言いながら自分の都合でペットを虚勢したり、ベルトやコートに使う皮などの贅沢のためだけに動物を殺したり、「自然を楽しむ」とか言う理由で自然破壊してリゾート建てたりするのと、どうレベルが違うか、自分の中では答えが出せてない。

nyjcbigree4.jpg

この近辺では、ハエよりもリスを見ることが多い。あいつらもまた、この寒い中、住む場所をなくすんだろうな。

駐車場や路上に、大きな日陰を与えてくれる、貴重な木だった。

もっとみんなで昔っから面倒見てあげてたら、このタカホーの村の文化財的存在にもなれたろうにね …。


2008年12月 9日

軽い?事故

今日の夕方、仕事場から帰る途中、事故にあった。

この近辺に住んでる人ならわかると思うが、Hutchinson River Parkwayの南方面から、I-287の西方面に乗り換える時、Westchester Ave.に右車線から合流して、直ぐに一番左側の車線に移り、I-287に入るんだが、入り口で後ろから追突された。あそこの夕方5時過ぎってのは、いつも混むとこで、いつでもブレーキ踏めるようにしとかなければならないんだが、後ろの車を運転してた人にはそうじゃなかったらしい。

ぶつけられた瞬間、座席の頭の部分に、後頭部を思い切ってぶつけた。

即携帯で911に電話したが、なんかぼぉ〜っとしてたらしく、電話をかけたままほったらかして、そのまま外に出て、後ろの車の運転手と情報交換し始めてしまった。

「ごめんなさいね。でももうちょっと早くブレーキかけ始めることができたんじゃない?」とか言われたもんで、「前に何台も車があったの見えただろ?」と返した。幸い、感じのよさそうな人で、何度も「I'm sorry...」言われた。

車も、バンパーにちょっと傷が入ってただけだったんで、そのまま去ったんだが、運転してる間に、腰と首が痛くなってきた。ってなわけで、明日は、前に住んでたアパートの近所にある、以前通ってたカイロプラクターに行ってくる。

車のダメージからして、大したことないと思うんだが、それでも、なんか、気になる痛さだ…。


2008年11月 5日

dream is over...

政治家なんて信用してない。

本当に人々のことを真剣に考えてる人間が、大勢の人の上に立てるわけがないと思ってるし、選挙の演説にしても、みんなが聞きたいことを喋ってる程度にしか思ってない。いくらいいことを言って、その内容に感動しても、全てを鵜呑みにすることはできない。それに踊らされて盛り上がってる人達を見ても、しらけてしまうことが多い。

開票も終わりに近づき、新しい大統領も確定した。

白人じゃないってだけで、多くの国民からの余計な『突っ込み』もでてくるだろうし、これまで以上に暗殺の計画も増えるだろう。

お祭り騒ぎは終わりだ。初の黒人大統領という『夢』もここまで。これまでの大統領以上に厳しい現実が待ってるはず。

だが実は、仮にもう片方が勝ってたとしても、「どうせ白人しか…」という意味で、まったく同じタイトルにしようと思ってた。

だから今夜は素直に喜ぼう。この国が、一つの厚い壁をぶち破ったから。

現政権が酷過ぎるという理由もあるだろうが、選挙中、批判を繰り返し国民の中にある溝を大きくするばかりの敵陣による演説とは正反対に、人々に希望をもたらすことに重点を置いてきたことが圧勝につながった要素だったのも事実だろう。確かに彼が演説で言ってたことの殆どに、自分も賛成したし、その内容に感動することもあった。

この歴史的瞬間に、この国に住んでて、やっぱよかったと思う。

いつの日か自分の孫に、「昔はな、白人の男しか大統領になれなかったんよ。初めて黒人が大統領になった時、爺ちゃんも婆ちゃんも、テレビ見ながら喜んでなぁ…。」ってな感じで、話せる時がくるのかな。

あ、その前に子供が先か…。


2008年10月28日

この人でええじゃろ

大統領選も、いよいよ来週の火曜に迫ってきた。

vilda.jpg

今年二月、ネブラスカ州にあるウィルバーという小さな村のメインストリートのバーで、B.E.E.R. Party (ビール党)からの大統領立候補者として、レス・ヴィルダ氏が任命された。集った中、87%が彼の任命に賛成し、それ以外の連中はおそらく酔っ払っててわけがわからんかっただけらしい。

ヴィルダ氏曰く、国を引っ張ってくこととか、権威とか、今アメリカが直面している問題には全然興味がなく、「こうやってれば、いい金になるだろ?」とのこと。

ちなみに、副大統領候補任命は、選挙の三日前の、今週土曜だとか。

公式サイトはこちら

っつうことで、この人でよくねぇ?


2008年10月27日

Wassup 2008

前半がオリジナルのバドワイザーCM(映像と音がずれてる)。続いて同じキャストと監督による、バドワイザーとは無縁の2008年版。

あれからもう8年か。早いもんじゃのぉ…。


2008年10月 8日

アメリカ国王

18世紀後半に起こったアメリカ独立戦争の後、一部の住民達の間では、ジョージ・ワシントンを初代国王として、アメリカに王国を築こうという案もあったらしい。一国の王位を拒否した、唯一の人間ではないかとも言われている。

でも、もし、ワシントンが国王になってたら…、

現在82歳のテキサス州在住、ポール・エメリー・ワシントン氏(写真右、念のため)が、今頃アメリカ国王になってるはずらしい。

日本は家系を大切にする国なんで、足利家とか徳川家の子孫が、現代においても、いわゆる『いい暮らし』というのをしてても不思議じゃないんだろうけど、このポールさんは、サラリーマンとしてある製造会社に長年勤め、下から這い上がり地区責任者にまでなった人だとか。


2008年10月 7日

三周年

今日でブログ始めて三年経った。

最近は、連続して書いたり、一ヶ月近く書かなかったりで、波が出てきたように思われる。

先日の和田アキ子ネタへの反応を見ると、みんな読んでないわけでもないらしい。ありがたいこった。

今後もよろしゅう。


2008年9月 4日

10年目

今日は結婚記念日。9年前だったんで、これから10年目。あっと言う間だった。

嫁さんとは、結婚するまで4年半付き合ったけど、付き合い始める半年前に知り合ったんで、なんだかんだで、出逢ってから14年くらいになる。早いもんじゃ。

来年の今頃は、10th anniversaryか…。その頃には念願の初子とかいるんだろうか。それとも、未だに二人っきりで、記念旅行でもやってんだろうか。


2008年8月 8日

備中町の女王

自分の故郷、東城町に、『備中町(びっちゅうまち)』という地域がある。

岡山県から国道182号線を通り、東城の街に入り、東城川に架かる『大橋』を渡ってから突き当たりの古い旅館までの商店街とその周りの裏通りのことをいう。備中国(岡山県)から備後国(広島県)に入ったとこの市街地だったからそう呼ばれるようになったらしい。

その昔、備中町に、ある夫婦が営む化粧品やシャンプー、石鹸などの美容・健康商品を売る店があった。線香とかロウソク、虫除け関連の物も売ってた。あと短期間だが駄菓子屋やってた時期もあったっけ。結局、何屋と言やぁええか、ようわからんかった。

夫は、陸軍兵として日中戦争にも行ってたということを想像させないくらい、柔和そうで物静かな人。そのせいか、日本人女性としては比較的体が大きく、顔も大きく、おまけに声も大きい妻の方が目立っていた。

その夫婦には7人の子供がいた。それぞれが結婚して子供を儲け孫が16人、やがてその孫達も育ち曾孫も数名与えられた。

正月や盆などの集り事には、その家に、子供や孫達の大半が集結し、まるでどこかの幼稚園の遠足か、あるいは商店街の集会かと思わせるくらい賑やかになり、大宴会が開かれていた。

家族が集らない時でも、店の奥の居間に座ってるその夫婦のとこには、しょっちゅう誰かが遊びに来ていた。多くの場合、備中町のご婦人達で、中年の人達はもちろん、どう見ても孫がいるだろうというくらいの年齢の人達まで、彼女のことを『お姉さん』と呼んでいた。

時には、その人達を呼んで、花札を打ってたこともあった。

日本で『カラオケ』なるものが出始めた頃、早速その夫婦は8トラの専用機を買い、近所の人達を集め、カラオケ大会をやっていた。広島県のローカルTV番組が取材に来たことさえあり、隣の家が会場だったにも関わらず、それを仕切る中心人物として紹介されたのも、やはり彼女だった。

幼い自分にとって、彼女は正に『備中町の女王』だった。

だが、そんな彼女も次第に年老いていった。

今回の帰国では、会話さえできなかった。その夫婦に挨拶に行き、彼女が既に全然声も出ず会話もできない状態だったんで、別の部屋で夫と話してると、奥からかすかな声で、『誰が来とるん?』と聞こえた。再度彼女のとこに行き、今度は手を握り、「尚玄じゃ。帰っとるんで。」と言うと、口だけではなく、マブタも少し動いた。

その前に会ったのは、一年半前の前回の帰国の際。その時は既に寝たきりだったが、意識はまだまだしっかりしてて、会話もちゃんとできてた。彼女と話してると、夫が入ってきて、「うちはそろそろ夕飯じゃ。わしゃぁ昔の人間じゃけぇ、男が女にメシの面倒してやっとるような姿は見られたくないけぇ、悪いが帰ってくれ。」と言う。帰りがてらに彼女に、「でもなぁ、この歳になって、やっと爺さんにメシの世話してもらえるのも、ある意味幸せなんかもよ。」って言ったら、彼女はその日初めて見せた大きな笑顔で、「そうじゃ、そうじゃ。」と返してきた。それが最後の会話だった。

タイミング悪く(?)、自分が今回の帰国を済ませニューヨークに戻ってきてから数日後だった。

でも、今は楽しかったことしか思い出せない。

近所の人達から『お姉さん』と呼ばれ親しまれている姿。

斜め向かいの家で飼われてた九官鳥にまでマネされていた、甲高いが深みもある、うるさいくらい大きな笑い声。

子供や孫を集めての伝説の大宴会の数々。

そして、最後に見せてくれた最高の笑顔。

90年間、お疲れさん。婆ちゃんの孫で本当によかったよ。


2008年5月13日

竹原慎二

…のブログを偶然見つけたんよ。

竹原慎二はブタっ鼻

広島県人のわしにとっちゃぁ、ホンマに面白いんじゃ、これが。

じゃあの。


2008年5月 5日

東城町HP

何年もデザイン変えてなかったし、2005年3月に施行された『平成の大合併』の際の隣町への統合による比婆郡東城町の『消滅』以来、内容も殆ど更新してなかったけど、やっとその気になったんで、色々いじってみた。思い切って、新しいドメイン名も取得した。

本当は、消滅前の東城町役場が持ってた『tojo.net』ってのが欲しかったんだけど、登録期限切れ後のオークションで負けて、今ではどこにでもあるただの検索ページになっている。ダメもとで、役場に直談すりゃよかったと悔やむところだ。っつうことで、『tojo-cho.com』で登録。数年前から持ってる『東城.jp』も使えるようにした。

町役場が公式サイトを始めるもっと前から、自分がサイト作ってたし、もう一つ東城について結構詳しく載ってるサイトもあるけど、多分それよりも自分の方が先だったんで、サイト名の最初に『元祖』をつけている。

合併までは、比婆郡の中心地みたいな町だったけど、今では隣町が中心なんで、今後も過疎化がどんどん進むはず。寂れた町だし、帰国して住みたいとも思わないが、生まれ育った場所であることには変わりはない。

大したサイトじゃないんだが、故郷に対するせめてもの恩返しに、今後も続けていけたらと思う。

元祖『東城町ホームページ』


2008年2月20日

月食

今夜は、嫁さんが会社のイベントの関係で夕飯喰ってくるってことで、自分は自宅で友達呼んで、黒豚ソーセージを湯がいたやつと、Trader Joe'sで買ってきたメキシコ風『叉焼』をつつきながらビール飲んでた。

友達を送ってって、そいつが住んでるとこの駐車場に入った直後、嫁さんから電話があり、「月食が見えるよ。」とのこと。思わず、車を停めて、二人で眺めてた。その場所には、もう一人友達が住んでるんで、そいつにも電話をして、三人で、車のヒーターをガンガンにかけて、サンルーフを開けて、半分プラネタリウム状態。

月の上の方が、まるで菓子パンの焦げ目の様に薄黒くて、下の方は、特に淵のあたりが、結構眩しいくらいに光ってた。さすがに携帯のカメラじゃちゃんととれんし、自宅に持ってるデジカメでも無理だっただろう。

普段、あまり気に留めないけど、こうしてじっくり見たら、なかなかええもんだ。これが日本の田舎だったら、こんなのもネタにして、「あぁ、月食じゃのぉ。」とか言いながら、一杯やっちゃうのかなぁ…。


2008年1月23日

37歳

去年の誕生日はある意味散々だったし、せっかくの誕生日なんで、久々にちょっと贅沢してPasta Nostraへ。

これまで37年生かせてくれた神様へ、そして37年前この地上に送り出してくれた両親へ感謝を込めて、この日を過したい。

…とでも思わなきゃ、やってられるか! 37じゃと!? もう40へ秒読みとっくに開始しとるじゃねぇか!!!

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