サルーキ= in New York

[ ニューヨーク / プロレス / 信仰 / 音楽 ]

サルーキ= Live in New York

6年前、facebookで、ある人から友達申請をもらった。

最初、彼のプロフィールを見た時は、インディのミュージシャンか何かが、ネットワークを広げたいから適当に申請してんのかな、と思った。

写真を見ると、ステージの上を駆けずり回ってそうなロックバンドのボーカルの彼と、仕事してる時も、ビール飲んでる時も、ピアノを弾いてる時も、基本的に座ってることの方が多いこの自分では、何も共通点がないと思った。

だが、友達申請と同時に、メッセージも送られて来ていた。

クリスチャンだという。

それでもってプロレスファンらしい。自分がやってるサイトの中にクリスチャンのプロレスラー達について書いているページがあるが、その中のスタン・ハンセンの証を読んで、連絡したくなったそうな。

自分とは全然違い、彼はプロのミュージシャンだが、それでもロックやブルースが好きだという点でも共通していた。

更に、後日知ったのは、彼が、十代まで島根県江津市で育ったということ。自分は行ったことがないが、自分の先祖は江津で漁師の大将だったらしい。つまり江津の人間の血が自分には流れてる。死ぬ前に一度は訪れるべき土地だと思ってる。

2年前にも、バンドとしてではなくソロで、そしてそのバンドとは別に一人でギターの弾き語りをする奥さんと一緒にニューヨークに来たが、その時は他にも色々な人達が出演した長いイベントの一環だったし、時間も押してて、結局あまり会話もできずに終わった。

だが数ケ月前、今度はバンドのもう一人のメンバーも一緒にニューヨークに来るということを知ったので、すぐに連絡し、日程を抑えさせていただいた。奥さんも同伴。

テキサスで数日間活動した後、先週ニューヨーク入りし、金曜にはみんなで焼肉喰いに行った。予約がいっぱいだったんで、制限されて2時間弱だったが、それでもある程度色々話せたと思う。

そして夕べは、自分が2009年から主催者の一人して関わってる月例集会で、コンサート。

イベントが始まる直前、今回ニューヨークは初めてだという、もう一人のバンドメンバーが、ニコニコしながら、スマホで一枚の写真を見せてくれた。

「小学生の時に、この『LP』持ってたんですよ。」

入場テーマだけではなく、音声のみの試合実況などが入ってる、プロレスラーのアルバムのカバー。なんとここでもスタン・ハンセンだった。

日本は既に6月13日。8年前、広島での試合中、リング上で倒れ、そのまま他界した三沢光晴の命日だ。

色んな意味で、神による不思議な計らいを感じた。

当初は、バンドの二人と、どっかから見つけてきたパーカッションの三人でアコースティックライブになるという理解だったが、ふたを開けてみると、自分も知り合いの、この地元のクリスチャンのミュージシャン達との共演だった。現在二人でバンドとして活動しているそうだが、こうやって海外に出る際、地元のミュージシャン達と共に演奏するのって、本人達も楽しいだろうが、聴いてる方も親しみが沸いてなかなかいいんじゃないかと思った。

サルーキ= Live in New York

クリスチャンじゃない人達に聴いてほしい曲とかもあったんで、もうちょっとそういう方々にも来てほしかったけど、それはさておき、かなり盛り上がった。

お世辞抜きで、いつかまた是非呼びたいと思った。

Jesus loves y’all!


30周年

[ 未分類 ]

自分が渡米したのは、1987年4月23日。今月後半で30年になる。

当時浜松にオフィスがあったNCI (Nippon Christian Insititute)という団体の留学制度を通して、中学3年~大学1年の合計33人の生徒のグループの1人としてやって来た。

東城を出たのが22日で、成田を出てロサンゼルス到着が23日。そこですぐ乗り継いでノースキャロライナ州シャーロットに向かうはずだったが、日本からの便の到着が遅れ乗り継ぐことができず。LAの空港でしばらく待った後、NCIが緊急で手配してくれたホテルで夜まで休息。ホテルのラウンジで弾いてたピアニストの演奏を、もうちょっと聴きたいと思いながら、しぶしぶ空港に向かう貸切バスに乗り、夜間の便でアトランタ経由でシャーロットに向かい、結局目的地のベルモントに着いたのは24日だった。1日ずれとるかもしらんが、とりあえずわしの記憶じゃそんな感じ。その頃のことは、2007年にも書いたんで、そっちを読んでいただくとしよう。

当たり前のこととはいえ、年齢を重ねるに連れ、時間が経つのが早く感じられる。あっと言う間に過ぎてった。

あれから10年、こどもには恵まれたが、両親祖父母ももういない。東城に『帰る家』というのもなくなった。

今のコンドを購入し引っ越してきたのが10年前の1月だったんで、それだけここに住んでることになる。

数年間働いてた現地の会社を離脱しフリーに転向。って、プロレスラーか?

交通事故で車ぶつけられたのが3回。そのうち2回は廃車

自分が卒業した高校のあるテネシーへ数年ぶりに、大学のあるテキサスには21年ぶりに行った。

プロレスは、以前より頻繁に観に行くようになった。Dragon Gate新日本プロレスといった日本の団体の米進出ってのもあったし、以前よりも日本の選手がこの辺の興行に出場することが増えたってのが主な理由かも。

反核・反原発を唱えてきた忌野清志郎は他界し、その2年後には東日本大震災。

色んな教会で演奏したり話をさせていただく機会も増えた。日本でコンサートしたり、母教会の礼拝で話させていただくこともあった。

信仰の先輩方も含め、何人もの友人知人が他界。

うちの教会はというと、相変わらず外野による理不尽でアホ臭いことで振り回されてるが、その分数少ない常連の信仰は成長したと思う。

このブログを始めて11年半。ここ数年は、短いことや友人限定にしたい内容はfacebooktwitterで済ませてしまうことが多いんで、前ほど、ちょっとしたネタもブログで載せるということが激変、その分ブログ更新の頻度も下がった。

もちろん、これを書くのは、23日にするつもりだった。

でも去る4月3日、故・鈴木理平氏(NCI理事長)の元夫人であり、離婚してNCIを離れてからも電話や手紙、メールなどで励ましてくれたりで、大変お世話になった鈴木春代先生が天に召されたという一報が友人経由で入ってきた。ここ数年はパーキンソン病で苦しんでたらしい。

さすがに、過去30年を振り返らずにはいられなかった。

本当に、これまで多くの方々に支えられてきたんだと、改めて実感する。

これまで自分のような奴でも相手にしてくれたみんな、そして全てを可能にしてくださった神様に感謝。

Jesus loves y’all.


ガンプラ

[ 家族 ]

多くの日本の男の子たち同様、小さいころからプラモデルは好きで、イマイのロボダッチシリーズもかなり買ったし、田宮の戦争物にも結構熱中してた。塗料やパテなどによる改造で、メキシコの覆面レスラーを作ったりもしたし、ひどい時には悪ふざけで兵隊のプラモデルを使って、ヒトラーを作って、母ちゃんに嫌な顔させたこともあった。

ガンダムシリーズについては、初めて買ったのが、小学校の、4年生か5年生の頃だったと思う。幾つか買ったけど、ブームになる、またはブームだと知ると引いちゃう傾向にある自分は、周りほど盛り上がらず、相変わらず田宮の戦争物ばかり集めてたような記憶がある。

こないだ日本に帰国し、東京でうちの教会の20周年集会をやった時、色んな方々から色んなプレゼントをいただいたが、その中に、せがれ向けにガンプラを下さった方がいた。

ニューヨークに戻って来て、早速開けてみると、『グフ』だった。

うちらの時代は、接着剤と格闘し、塗料を使ったりするのが楽しかったが、今のは最初から色がある程度部品ごとに分けてあるし、接着剤もいらない。

確かに、幼児にあの塗料はまずいか。中学の頃、あの臭いをかぐ度に、「これが先輩らが吸うとるやつか。これじゃぁ頭おかしゅうなるはずじゃ。」とか、よく思ったもんだ。

先週の初めあたりから、「じゃぁ、今度の土曜は、父ちゃんと一緒にこのプラモデル作ってみるか。」とか言ってて、せがれ本人は乗る気だった。

レゴには、かなり夢中になってて、説明書なしでも写真だけで組み立てようとする。

が、どの部品も、はめ込む部分が殆ど同じサイズのレゴと比べると、プラモデルの場合、勝手が違う。

土曜日、早速二人で組み立て始めたが、レゴとは全く違う複雑さに圧倒されたのか、頭と胴体、足の先を作った時点で、「もうおしまい。(時間が)長過ぎる。」とか言って、断念した。

日曜も、月曜も、「このプラモデル、もう作らんのか?」と尋ねると、「だって、時間長すぎるじゃん。終わらないじゃん。」と言って、まったくやる気なし。

夕べ(火曜)、「おい、このプラモデル、父ちゃんと一緒に作ろうや。」って、言い方を変えてみたら、笑顔で、「うん!」ときた。

さすがに時々手伝わなければならなかったが、なんとか完成。

そういえば、自分が小学生の時に初めて買ったガンプラも『グフ』だった。

せがれ初のプラモデルも『グフ』だと思うと、なんか嬉しかった。

Jesus loves y’all.


わしだけかのぉ…。

[ わしだけかのぉ…。 / 家族 ]

その昔、「あるよ」っつうセリフだけで有名になった、

田中要次を見る度に、

……。

 

 

田中要次を見る度に………、

 

…………………。

 

わしの父ちゃんを思い出すのは?

※ 冗談抜きで、親父に似た唯一の有名人のはず。


Chuck Berry (1926 – 2017)

[ ニューヨーク / 家族 / 音楽 ]

1998年のことだったと思う。まだ結婚前だった自分は、ニュージャージーに住んでたが、コネチカットに住んでた彼女(後の嫁さん)のアパートに結構入り浸りだった。

その頃は、行きたいコンサートはなるべく2人で行くようにしてた。レイ・チャールズもB・B・キングも彼女と一緒に行った。

スタンフォードでチャック・ベリーがコンサートをするとのこと。日本じゃまず観れない。行くしかないと思った。

ある日、日本の雑誌でが『ロックの神様』として紹介されてたことがあった。だとすると、ロック界におけるニックネームとしては、
親分 = ブルース・スプリングスティーン
王 = エルビス・プレスリー
父 = リトル・リチャード
神 = チャック・ベリー
ということになるんだろうか。

彼女はあまり興味なかったんだけど、当時ニューヨークに住んでた弟が話に飛びついてきた。

自分も弟も音楽が大好き。アーサー・アレクサンダーもトム・ウェイツも、ウィリー・デビルも、みんなあいつのおかげで知ることができた。チャック・ベリーなら、行きたいのは当然のことだった。

当日、弟は、ポケットサイズのジャック・ダニエルを上着の内ポケットに隠し、会場内でこっそり飲んでた。

コンサートは、往年のヒット曲の数々以外にも、結構ブルースっぽい曲もいくつかあり、期待してた以上に楽しかった。

自分は終始、切符に番号が書かれてる座席に留まってたが、酔っ払った弟は、席が空いてるのを見ると、どんどん前の方に進んでたっけ。

コンサートが終わり、会場を出た。

「おめぇは飲んどるけぇ、ええかも知らんが、わしもどっかで飲みてぇのぉ。腹も減ったし。」とか言いながら、入れそうな店を探そうとして歩き始めた。

すると酔っ払った弟が、結構大きな声で言った。

「なぁ、ひさくん。わしらぁ今、チャック・ベリー観たんよのぉ。チャック・ベリーで? わしゃぁ、もう、やることねぇ。死んでもええわ。」

兄弟揃ってニューヨーク近郊に住んでて、幸せだと思った瞬間だった。

RIP…