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ぶ〜たれ: プロレス - 総合格闘技も含む

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2008年5月 2日

バッドニュース・アレン

YouTubeで、去年の3月に亡くなったバッドニュース・アレンの二時間以上にもおよぶインタビューを発見。なんとパート1から17まである。

もちろん英語で字幕も無いが、長年のプロレスファンには是非お薦め。

長年、新日本プロレスで活躍し、リング上ではどちらかというと脇役に近いことも多かったが、実は陰の外人世話係として、会社側からも頼りにされていた。新日がパキスタンやイタリアなど、新しく開拓のために巡業に行くときも、アントニオ猪木の対戦相手として選ばれることが多かった。聞いてて同意できない意見も結構あったが、全体的には、こういう人が長年日本と関わっててくれたってことが嬉しくなるインタビュー。

元々喧嘩は強かったらしいし、モントリオール・オリンピックでは柔道銅メダル達成しただけあって、プロレス界の中でもタフとして知られる選手達相手にも、決して遠慮しない。新日本の外人専用移動バスの中で、黒人差別用語を連発するアンドレ・ザ・ジャイアントに対して喧嘩を売ってビビらせたり、全日本プロレスから移籍してきたディック・マードックに対して、「お前がKKKのメンバーだとか黒人嫌いだとかは関係ない。ここでは俺が『SEMPAI』だからな。」と言い聞かせておとなしくさせたりしたこともあったという。「新日本のリング上で、本気でやったら強かったのは誰か」という質問に、「坂口征二と長州力」だと答えた(実際、多くの選手が同意見)。「だったら、飲み屋や路上の喧嘩では?」と聞かれると、「あぁ、俺なら(二人とも)すぐにぶっ飛ばせる。(笑)」と即答。

アントニオ猪木に対しても、藤波辰巳を売り出しておきながら、なぜ同じ一番弟子でテクニシャンとしても一流の木戸修に対してはの扱いが全然違うのか聞きにいったことがあるとか。「藤波は表情豊かだが、木戸は無表情。怒ってるのか苦しんでるのかも判らず、観客に伝わらない。」という答えを、「猪木から学んだ一番大きなことの一つ。」だと言う。

「俺はいつも金儲けのためにやってきた。相手の選手に負けてあげるのも全然平気。」と言ってると思えば、「今日この選手にすんなり負けたら、こいつとの抗争が続かず金儲けにつながらないと思ったから、負けは負けでも反則負けにしてもらった。」などと、一部の『どうしてもかっこよく勝名乗りを上げたい』連中とは全然違うし、ビジネス自体のこともよく考えてる。あのビンス・マクマホンに対して、「お前は、俺をチャンピオンにさせてくれるとか、いい金をくれるとか、嘘ばかりついてきた。あんなインチキ選手権ベルトなんかいらないから、もっと金を出せ。」と言い切ったこともあるらしい。

他にも色んなおもしろい発言がかなりあったが、全て訳してここに載せる余裕は無い。

既に引退して何年も経ってたし、亡くなってからも一年以上だが、日本だけじゃなくアメリカやカナダのプロレス界にとっても惜しい人を亡くしたと、今でも思う。


2008年3月30日

WWEの殿堂2008

3月30日は、世界最大のプロレス団体WWEが毎年行なうビッグイベント、レッスルマニアが行われる。今回で24回目。そして今夜(正確には日付が変わったんで、昨夜?)は、これまた毎年恒例となった、WWEの殿堂入りセレモニー。わざわざPPVで高い金払ってレッスルマニアを見ようとは思わないが、ウェブキャストと通常のケーブル局で見れるこのセレモニーだけは、毎年逃さない様にしている。

まず8時過ぎから、ウェブキャストで、数名が紹介される。最初に紹介されたのは、ジャックとジェリーのブリスコ兄弟。兄ジャックは、元NWA世界ヘビー級チャンピオンで、故ジャイアント馬場が東洋人として始めてNWA世界王座を奪取したのもこの人からだった。本人の希望で、兄弟でチームとしての殿堂入りだが、シングル選手としての方が有名なんで、ちょっと違和感がある。弟ジェリーも、元NWA世界ジュニア・ヘビー級チャンピオンで、兄弟チームとしても幾つかのタッグ選手権を取ったりしたんだが、兄ほどではない。が、紙に書いて用意されたスピーチを読んだだけのジャックとは違い、喋り捲るジェリー。まぁ、WWEの裏方の重鎮なんで、しょうがないか…。

続いては、今回の会場であるフロリダをはじめに、ジョージアキャロライナ地区、そしてアラバマと、4地区にわたりテレビの実況を勤めた故ゴードン・ソリー。アメリカでのプロレスの殿堂なら、この人を入れないと始まらない、ってくらいの大御所だが、長年WWEオーナーのビンス・マクマホン・ジュニアを批判し続けてきた人だったんで、せっかくフロリダが会場でも、殿堂入りはないかと予測されたりもしたが、最後の最後で殿堂入りが発表された。まぁ、当然と言えば当然なんだが。現在WWE RAWの実況をしているジム・ロスによる紹介だったが、「ソリーが史上最高。その他の我々はナンバー2を狙って争ってるだけだ。」には感心した。

来年デビュー70周年を迎えるメイ・ヤングも殿堂入り。数年前まで、故ファビュラス・ムーラとのコンビで暴れてて、最近のファンにとっては、エロ婆さんくらいの印象しかないと思われるが、実は女子プロレスがまだ認知されてない頃からがんばっていた伝説の人。デビュー当時のことからの色々なエピソードを話したが、そこに出てきたレスラー達の名前って、おそらく集まってた若い客の殆どが知らないんだろうな。「100歳の誕生日に試合したい。」と言ってのけた、まだまだ元気そうな85歳。

ウェブキャストの最後は、かつて大プロモーターとして一時代を気付いた故エディ・グラハム。彼によりスターとして売り出されたダスティ・ローデスによる紹介。ダスティもだが、父の代わりに登場したマイク・グラハムのスピーチもよかった。

ウェブが終わったのは10時頃で、ケーブル局での放送は11時から。この間もセレモニーは続き、番組用に編集されたものが11時から放送される。

放送が始まり、いきなりザ・ロックことドゥエイン・ジョンソンの登場。久々のプロレスファンの前で、楽しそうに観客を笑わせる。が、今回の目的は、殿堂入りする父ロッキー・ジョンソンと、母方の祖父、故ピーター・メイビアの紹介。そういえば、ザ・ロックもデビュー当時はその二人の名前を合わせたロッキー・メイビアっつうリングネームだった。

個人的には、ロッキー・ジョンソンが殿堂入りするくらいの選手だったかどうかは疑問だが、WWE側としては、テレビに、久々にロックを出したかったってのもあるんだと思う。ただ、ピーター・メイビアに関しては、古くはワイルド・サモアンズ、そしてヨコヅナ、リキシ・ファトゥー、最近ではロジーやウマガなど、数多いサモア系レスラーの先駆者で、ハワイのプロモーターでもあったんで、プロレス界に残した功績は大きい。天にいる祖父に、涙を流しながら、「自分のことを、誇りに思ってくれてるかな…」と語りかけていたロックが印象的だった。

そして最後は今回の目玉のリック・フレアー。「プロレス界のマイケル・ジョーダン」とか、よく言われるけど、実際にそうだと思う。来年60だが、今尚現役で、それも会場での人気は、若いトップ選手達よりもすごい。現役選手のWWE殿堂入りは初めて。

ただ、数ヶ月前から、「次に負けたら引退」ということで試合を続けてるフレアーも、今夜のレッスルマニアでのショーン・マイケルズ戦が最後だという可能性が大きく、それもあっての、殿堂入りなんだと思う。アメリカを拠点にしてる中では一番好きな選手だし、自分が初めて生で会ったレスラーもフレアーだ。

フレアーを紹介したのは、マイケルズと共に、現在フレアーの親友になっているトリプルH。でも実は、長年フレアーのサポート役を務めてきた、アーン・アンダーソンに紹介してほしかったと思ってるのは自分だけじゃなかったと思う。

早速涙を流しながら登場するフレアー。普段の勢いのあるマイクパフォーマンスとは違い、書いてきたスピーチをじっくりと読む。「選手として自分が何をしてきたかってのは、他の人達が充分話してるから、今夜は、多くの人達に感謝することに時間を使いたい。」と始める。

最前列に座ってた現在の妻(三人目)と子供たちに感謝をした後、会場には来ていない前妻二人にも涙を流しながら感謝の意を述べたのには感動した。

実際にフレアーのスピーチが放送されたのは10分くらいで自分にとっては多少物足りない感もあったが、実際に会場に行ってた人によると、実は1時間以上しゃべってて、テレビ放送が始まった30分後もまだ続いてたらしい(その間、三度も『巻き』が入ったとか)。レッスルマニアのDVDが発売される時には、ノーカットで入っててほしいなぁ。


2008年3月23日

PWS @ Yonkers PAL

昨夜は珍しく、自分が住むウェストチェスター郡で、WWE以外のプロレス興行があった。

Pro Wrestling Syndicateとかいう、ニュージャージーかフィラデルフィアかを拠点としているインディ団体なんだけど、せっかっく近所で行われるってことで、あまり期待せず行ってみた。$10だし。

構成や段取りがメチャクチャで、7:30pm開始予定が8:00pmになったり、最後の試合が始まったのは午前零時あたりだったりで、「所詮この規模の団体は…」とか思ってたが、試合はなかなかよかった。

特に、生では初めて見るテディ・ハート。カルガリーの大プロモーター、故スチュ・ハートの孫で、ブレットや故オーエンの甥。ということは、故デービーボーイ・スミスやジム・ナイドハートの甥ってことにもなる。とにかく、カナダの大プロレス一家の一員ということだ。

これまでROHTNAにも参戦したが、個人的な行動や言動が元で、あまり長く続かず、去年もせっかくWWEと契約したと思えば、マイナーリーグ参戦中に解雇。

だが、試合の方は、さすがにハート家の血を引く選手だけあって、なかなか面白い。特に、日本でも常連のジャック・エバンスとは、30分くらいの好試合をしてくれた。試合後、マイク持ってやたらと余計なことを喋り過ぎってのさえなければ、個人的には一押しの選手だったろうに…。いずれにせよ、こういう選手があまり表に出てきてないのは、かなりもったいない気がした。

あんな試合を見せられたら、後の四試合が盛り上がらない。入場だけが面白いサンドマンの試合を見た後、もう一試合見ずに出てきてしまった。

あまり大きな会場でもなく、後ろに座ってもちゃんと見れたし、$10であれだけ見れたら上等。

さて、来月は同じくウェストチェスターのニューロシェルで、Team 3D(元ダッドリー・ボーイズ)が試合するらしいが、それにも行ってみようかな。


2007年12月31日

ROH @ Manhattan Center

夕べは、日本から観に来てた友人と一緒に、前回の観戦同様、Manhattan CenterでのRing of Honorを観に行った。

これで数度目だが、この団体はやはり面白い。マット上でのグラウンドの展開が出来る選手達もいれば、飛んだり跳ねたりしても単なる連発ではなく、ちゃんと試合を組み立てていけるのもいる。

当初は日本人選手の出場予定がなかったが、寸前でROHのサイトを見ると、常連の森嶋猛と丸藤正道が出た。前回の丸藤の試合は、アメリカ向けのウケ狙いっぽい動きが多くてつまらんかったが、今回は通常どおりの試合でよかった。

毎回行くのは面倒かもしらんが、今後も時々見に行こっかな。


2007年11月 4日

三沢光晴 in NY

夕べはプロレス観戦。なんとあの三沢光晴がニューヨークで試合、それも相手は今このROH (Ring of Honor)という団体で常連のKENTA。別に三沢ファンじゃないけど、こんな機会なんてないんで、見ないわけにはいかない。とはいえ、行こうと決めたのが結構遅く、立見席しか取れなかった。まぁ、そんなに大きな会場じゃないの、わかってたんでよかったけど。

会場は地下鉄の駅を出てすぐ目の前だったが、入り口から長陀の列。通りの角を曲がってもまだ続く。もう一つ角を曲がって、やっと並べた。試合開始は7:30pmからだったが、実際に会場に入れたのは8:30pmごろだったかな。普段そんなに長い列にならないらしく、後ろの人達の会話では、やはり三沢が来るからだとか。確か三沢がNYで試合をしたのは初めてだったような…。

会場に入れて、二、三試合後、リングアナウンサーが、今日は日本から特別に『レジェンド』がゲストとして来ているとアナウンス。三沢の試合は最後の方だから彼じゃないとして、だとすると、もしかして…と思った瞬間、思いついてた名前をリングアナが紹介した。長年、全日本プロレスでレフリーとして活躍した、ジョー樋口だ。彼の業界での偉業を称えるセレモニーが始った。盾を渡すのは、なんと元世界ヘビー級王者のハーリー・レイス。樋口が会場に来てるのは特に驚かなかったが、三沢が社長をやってるNOAHという団体と関わってるとはいえ、レイスが来てるのには驚いた。

そのすぐ前に行なわれた試合が消化不良で終わったため、一部のファンが引き続き野次を飛ばしまくる。そんな中、アメリカ人の女の子が二人立ち上がり、「この伝説の人に、ちゃんと敬意を払えないのか!?」と怒鳴ると、うるさかった連中も素直に黙る。アメリカのファンも捨てたもんじゃないのかも。

三沢の試合が始る直前には、観客のボルテージがかなり上がっていた。日本で使われてる同じ入場テーマ『スパルタンX』が流れると、みんな、これまで日本からのビデオを見てて、いつか生でこの瞬間を味わえるのを夢見てたんじゃないかと思われるような大三沢コール。

三沢の持ってるGHCヘビー級選手権試合で、なんとジョー樋口が日本語で選手権宣言。

自分も時々NOAHのビデオを借りて見ることがあるんで、最近の三沢が歳取って腹も結構出て以前ほど動けないのはわかってたけど、それでも説得力がある試合を見せてくれた。挑戦者が相手に遠慮しない試合をするKENTAだったんで、それもいい結果につながったんだと思う。

やっぱプロレスは日本がええよ。改めてそう感じた。


2007年9月 1日

NWA世界ヘビー級選手権

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NWA世界ヘビー級選手権ってのは、1948年7月に、それぞれ各自で違う選手を世界チャンピオンとして売り出してたアメリカ中西部のプロモーター達が、共通した選手権を決めようってことで結成したNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)が認定した選手権で、49年から52年にかけて、アメリカに存在したその他の世界ヘビー級選手権をルー・テーズが統一して以来、1980年代後半くらいまでは世界最高峰と言われていた。詳しくは、どうせWikipediaに行ってもいつもどおりいい加減な情報が多いんで、自分がやってる別サイトを。

色々あって、今のNWAは当時の権威が無いが、最近になって、元・新日本プロレス社長サイモン・ケリー猪木の子分のデビッド・マルケスというNWAのカリフォルニア地区の会員が、全米各地のNWA会員プロモーター達と協力しながら、色んな場所で独自の興行を打ち始めてから、もしかしたらアメリカのインディ・シーンを活性化してくれる存在になるんじゃないかと思えてきた。

先日までアメリカで二番目に大きな団体TNAと提携していて、TNAがテレビでNWA選手権の防衛戦などを放送してたが、5月の提携終了に伴い、空位になり、6月上旬から16人参加の新チャンピオン決定トーナメントを全米各地で行なっていた。

大方の予想通り、本命のブライアン・ダニエルソン(アメリカン・ドラゴン)がプエルトリコで行なわれる決勝でブレント・オブライトと対戦。

…の予定だったが、先日マンハッタンで行なわれたROH(Ring of Honor)という団体での、ダニエルソンがROHチャンピオン森嶋猛に挑戦した試合で目を負傷。プエルトリコのNWAトーナメント決勝では、準決勝でダニエルソンに敗れたアダム・ピアースが代わりにオブライトと対戦。

そして自分が予想(っつうか期待?)してたとおり、ピアースが勝って新チャンピオンになってしまった。

このアダム・ピアースという選手、それまでも試合を見たことがあったけど、実は先日のニュージャージーでの試合を生観戦して以来、多少気になってた選手だった。

試合が面白いというのもあったけど、全試合終了後、ファン達が、色んな選手に握手を求め、さっきまで悪役だったのが笑顔で対応してたりする中、握手してもらおうと手を差し伸べた自分に、『Shut up!』と怒鳴りつけてきたのがピアースだった。昔の悪役レスラーの様に、試合が終わっても会場から出ない限り自分の役作りは忘れないという態度が、かえって新鮮で嬉しく、こっちも怒鳴られても驚かず、わざとニヤッとしたら、喜んでたのが伝わったのか、ウィンクして通り過ぎてった。

アメリカに来て以来、「こいつは将来面白くなりそうだ。」と思えた選手っつうと、実は(知り合いじゃないけど)大学の先輩でテキサスで活躍していたデビュー当時のスティーブ・オースティン以来超久々。

「応援していよう」って程じゃないけど、今後NWAチャンピオンとしてどういう活躍をしていくか、注目していたい選手だ。


2007年7月29日

Karl Gotch (1924 - 2007)

とうとう逝ってしまった。8月3日で83歳になる直前のことだった。

彼のプロレス界に残した功績は大きい。っつうか、大き過ぎるんだけど、残念ながらそれを判ってるのは、ある世代以前の日本のプロレスファンか、極一部のアメリカのマニア達くらい。

自分も実は、彼の試合で見たことがあるのは新日本プロレスの第一回興行でのメインの対アントニオ猪木戦、同じく新日初期に行なわれたルー・テーズと組んでの対猪木&坂口征二戦、去年入手した国際プロレスDVDセットに入ってる対ビル・ロビンソン戦くらい。あと1982年元旦に行なわれた藤原喜明とのエキシビションだけはビデオじゃなく生放送で見た。

以前、凶器攻撃と流血で有名なアブドーラ・ザ・ブッチャーに「リング上で観客に判らないことをやるつまらないレスラー」とか言われたり、長年日本でレフリーを務めたユセフ・トルコには、「あんなの幼稚園の先生。猪木が可愛がり過ぎた。」などと言われたりもしたし、基本的にショー的要素を重んじる業界人からはあまり好かれてはなかった。が、自分がテキサスの大学にいたころ、友人がジョニー・バレンタインと話をしてた際、彼の名前を出すと、かつて全米で大悪役として暴れまくった、あのバレンタインが、「彼が本気で仕掛けてきた時は本当にヤバかった。」と、情け無さそうな顔をして話したこともあった。そして20世紀最高のレスラーと言われるルー・テーズでさえ一目置いてしまうという、それくらいの職人レスラーだった。

といった感じで、アメリカではあまり売り出されず、唯一トップ扱いされたのは、1960年代前半のオハイオ地区くらい。

だが日本では、多くの弟子を育てたコーチとして有名で『プロレスの神様』と呼ばれた。主な弟子には、猪木、藤原、木戸修、藤波辰爾、佐山聡(初代タイガーマスク)、前田日明、船木誠勝他、後に日本での総合格闘技の先駆けとなるUWF系選手を含め、かつての新日本の大物が揃っている。アメリカでも最近、マニアの間で、「総合格闘技のパイオニア」だと言われることがある。

確かに試合は殆ど見たことがない。でもカール・ゴッチの存在があったからこそ、少年期に新日本ファンとして育った自分もこれまで30年近くプロレスファンをやってこれた。

…と、亡くなって改めて感じている。

Rest in Peace...


2007年6月27日

Chris Benoit (1967 - 2007)


月曜の夜は、涙が出そうだがショックが大きすぎて出てこないくらいの放心状態だった。

カート・アングルやトリプルHの様にファンに対して失礼な態度をとると言われている連中や、リック・フレアーショーン・マイケルズみたいに舞台裏の政治的な手段で多くのレスラー達から非難を浴び続けてきたのとは違い、誰かが彼のことを悪くいうのを聞いたことがなかったし、子供のことを崇拝するかの様に可愛がってたことで有名だった。その分、翌朝警察が発表した死因を読んだ時は疑ってしまった。

所詮テレビに出てる人間だ。プライベートなことなんて判らんし、興味もない。妻と息子を殺し、自分は首を吊るという、悲惨な最期だったらしいけど、実際に彼らがどんな境遇に立たされてこうなってしまったのか、警察が見つけられる物理的な情報以上に色々あるだろうし、今となっては誰にもわからない。今回の事件で、一番苦しかったのは彼自信かもしれないし、そんな苦しみも神にしか理解できないのかも。決して正当化できる行動ではないけど、心に重病があったかもしれない人間に対して「お前は悪い奴だ」と簡単に裁くことも自分にはできない。

というわけで、ここでは彼の死よりも、プロレスラーとしての人生について。

アメリカで活躍する現役のレスラーで、一番好きなのがリック・フレアーと、このクリス・ベノワだった。

 ハート兄弟の父親でカナダのカルガリーのプロモーター、スチュ・ハートに入門後、1985年11月にカルガリーでデビュー。その後、なんと新日本プロレスに『留学』し、道場に住み込み修行。テレビの中継で、他の若手達や一緒に留学していたダリル・ピーターソン(=マックス・ペイン)と共にリングの周りをうろちょろしてたのを憶えている。

その直後に自分は留学のため渡米したんで、数年後に獣神サンダー・ライガーのライバルとして来日していた覆面レスラー、ペガサス・キッドの正体がばれるまで、彼の名前を聞くことが無かった。

とはいえ、その頃は日本からの試合のビデオを見る機会が多く、ベノワも好きなレスラーの一人になった。ピーターソンやブライアン・アダムスらの様な同時期に新日本で修行した他の外人選手達よりも、しっかりと新日ファン好みの試合をしていたので、尚更思い入れも大きかった。

90年には宿敵ライガーを倒しIWGPジュニア・ヘビー級王座を獲得。

94年には、団体の枠を超えて行なわれたジュニアヘビー級のトーナメント『Super J-Cup 1st Stage』が開催され、日本のジュニアヘビー級のパイオニアである藤波辰爾が1978年1月にニューヨークで奪取したWWWFジュニアヘビー級選手権のベルトを優勝者に贈呈。藤波がベノワの腰にあのベルトを巻いた時、自分は彼を一人の外人レスラーとして見てたのではなく、「『新日本出身』のこいつが相応しい。」と思った。

その後フィラデルフィアのECWが日本のスタイルの試合を売り出し始めた頃にアメリカでも活躍し始め、WCWではフォーホースメンのメンバーとして活躍し、2000年にWWF(現WWE)へ移籍。その後も、日本仕込みのスタイルで活躍していた。

2004年3月14日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、念願の世界ヘビー級王座を奪取。試合後には同日別の試合でWWEヘビー級選手権を防衛した故エディ・ゲレロが共にリング上に立ち、勝利を称えあう。新日本で活躍中に親友になった二人による名場面だった。エディが生きてたら、こんな大惨事になる前に相談できてたのかも知れないが…。

他の選手達の様にマイクを握ってベラベラ喋ってお決まりのキャッチフレーズでウケてるわけでもなく、試合とは関係ないリング上や舞台裏での茶番の中心になってたわけでもない。それでも会場では彼が入場する度に大歓声で、試合だけで人気を得ていた数少ない選手の一人だった。

そう思うと、新日本や全日本のトップに立って、武藤敬司蝶野正洋のような、かつて『闘魂三銃士』と言われていたにも関わらずテレビカメラに向かって怒鳴りまくったり試合中にオーバーなジェスチャーばかりしてる連中よりも、よっぽど昔の新日本っぽいスタイルを見せてくれていた様な気がする。

自分にとって、ベノワの存在が、茶番ばかりのアメリカのプロレスを見続ける理由になってたことは事実。今は彼のプロレス界での偉業に感謝すると同時に、彼と家族の魂を神様に委ねたい。


2007年6月 2日

Sky High...again!

このタイトルを見て、何のことかすぐ判ったのは、多分一時期でもプロレスファンだったことがある人なんだろうと思う。

今夜は、ウェストチェスターに住むプロレスファンの日本人男性三人を連れて、ニュージャージー州クリフトンにあるイタリアン・アメリカン・ファミリー・アソシエーションという場所に行ってきた。

なぜそんなとこまでわざわざ行ったのかと言うと、世界中で伝説的なレスラー、メキシコのミル・マスカラスと弟のドス・カラスが来ると聞いたからだ。それも、二人とも結構な歳だが、試合をするという。

マスカラスというと、70年代中期から80年代初期にかけて、日本の男の子達の間ではプロレスファンじゃなくても知られていた程の存在。どんな試合をしようと、生で見れるだけで十分だと思ったんで行くことにした。

会場に着くと、なんと飲み屋の二階にある催し物会場で、せいぜい200〜300人分くらいの席しか並べられない程度。こんなとこで本当に、あのマスカラスが来るんだろうかと、一瞬疑ってしまった。

前座の試合の途中、ちょっと後ろを振り向くと、なんとマスカラス兄弟が歩いてた。覆面を被ってるとは言え、体つきと目を見れば、偽者じゃないことくらいすぐ判る。驚いて思わず握手してもらった。

実は先日、主催団体NWAプロの東部プロモーター、リッキー・オタズに、マスカラスが長年日本で入場テーマとして使ってた、イギリスのジグソーというバンドの『スカイ・ハイ』という曲を、「日本のプロレス史で、最も有名で人気のある入場テーマの一つ。よかったら使ってくれ。」ってことでメールで送っておいたんだが、返事がなかったんで、あまり期待してなかった。一緒に行った他の三人には、それを伝えなかったどころか、「あの曲は日本だけのテーマ曲なんで、多分使わないのでは…。」というコメントにしておいた。

だが、リングアナウンサーが紹介すると、なんと実際に会場に流れたのは『スカイ・ハイ』。観客の大半がヒスパニックなんで、入場は盛り上がったが、曲のイントロを聴いただけで大騒ぎし始めたのは、もちろん我々日本人四人のみ。超感動した。試合後リッキーに、「もしかして自分が送ったから?」と聞くと、「そう。お前のためだ。」だと。嬉しいねぇ。

デジカメって、なかなか撮るの難しい。あまりいい写真が撮れなかった。だが、マスカラスもドス・カラスも、しっかり試合をしていた。

トップロープからのダイビングボディプレスが、所謂、必殺技ってやつで、日本で空中殺法を流行らせたのはマスカラス。でももう歳だし、飛べないだろうとみんなで話をしていた。

が、フィニッシュにはなんとトップロープから飛んで、そのまま相手の選手をフォール。やってくれた。

後でプロモーターに聞いたら73歳だと言ってたが、自分が持ってる資料によると来月で65歳。いずれにしても58歳で現役のリック・フレアーに勝るとも劣らない体をしていた。

今回のもう一つの目玉として行なわれたのは、先日NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)TNA(トータル・ノンストップ・アクション・レスリング)の提携解消によって、TNA所属選手のクリスチャン・ケージから剥奪され空位になったNWA世界ヘビー級王座決定トーナメント一回戦の中の一試合、アダム・ピアース対アーロン・アギレラ。アギレラはかつてWWEでJesus(スペイン語読みでヘズース)という名でカーリトのボディガード役をしていた選手。二人とも現在色々なインディ系団体で活躍中の選手なんで、多少期待していたが、それなりの試合をしてくれた。

試合はピアースの勝ち。このトーナメント、多くのファンの予想では、このピアースとブライアン・ダニエルソン (アメリカン・ドラゴン)で準決勝ということなんだが、実際そのとおりになりそうな気がしないでもない。

他の試合は、結構バックヤード・レスリング(鍛えてもないファンが裏庭などでマットを敷いて行なう、かなり危険なプロレスごっこ)に毛が生えた程度の体をしてた連中が多く、試合内容も(業界用語で)しょっぱいのが幾つかあったが、中には将来期待できそうなのも数人いた。それ以前に、冗談抜きで、もしかしたらアメリカのプロレスファンの間で有名なウェブサイト二つを運営している自分の方が、今夜の参加選手の大半よりも、有名なのかも…と、どうでもええことを考えてしまった。

とはいえ、マスカラス兄弟も見れたし、見れないと思ってた技も見れたし、ピアースとアギレラも期待どおりの試合をしてくれたし、全体的には満足。参加選手によっては、また今後もこの団体の試合を見に行ってもええかも。


2007年5月29日

毎日プロレス

現在ここでは、毎日どこかのチャンネルでプロレスを放送している。

日: CMLL (メキシコ最大で世界最古のプロレス団体) - Fox Sports Español
月: Monday Night Raw (WWE) - USA Network
火: ECW (WWE) - Sci-Fi Channel
水: MSG Classics (WWEによるマジソン・スクエア・ガーデンからの過去の試合を放送) - MSG Network
木: TNA Impact! - Spike! Channel
金: Smackdown! (WWE) - CW Television Network
土: TNA Impact!の再放送他、時々無名団体がいきなり放送

別に毎日見てるわけじゃないけど、CMLLとかMSG Classicsとかは、今のWWEやTNAでマンネリを感じてる自分にとっては、時々見ると新鮮で楽しい。

それでも物足りない自分は、先日とうとう『WWE 24/7』というチャンネルを、追加料金払って注文してしまった。まぁ毎月$6.95なんで大したことないけど。

WWE 24/7というのは、世界最大のプロレス団体WWEが、過去に存在した数々のプロレス団体の映像に対する権限を買い占めて始めたチャンネル。On Demandという形式で、月変わりの幾つかの番組を、見たい時に見れる。一時停止や巻き戻し・早送りもできるし、見かけてた番組を別の時間に途中から見ることもできる。

WWEが映像を買収した団体は、以下のとおり。

AWA
ジム・クロケット・プロモーション (旧NWAミッドアトランティック地区)
Championship Wrestling from Florida (NWAフロリダ地区)
WCCW (旧NWAテキサス地区)
WCW
・ECW
SMW

もし、これに加えて、メンフィスやMSWA、アラバマ、オレゴン地区などの映像まで買収したら、80年代のアメリカの主要団体は大体カバーすることになる。

ちなみに今月やってる番組は、14分のミル・マスカラスの特集や、82年のダラスでのWCCWのカード、78年のMSGのカードなど。中でも結構面白かったのは、かつての有名な抗争について関係者達が語り合う討論会で、ジム・ロスが進行役で、ミック・フォーリーやマイケル・ヘイズ、ジェリー・ローラー、エリック・ビショフが参加したもの。色んな裏話だけじゃなく、現在のプロレスについての批判的な意見もあって面白かった。

なんだかんだ言って、昔のことを見てる方が、今のプロレスを見るよりも楽しかったりする。


2007年4月 1日

WWEの殿堂2007

今夜は世界最大のプロレス団体WWEが毎年行なうビッグイベント、レッスルマニア。今回で23回目。これまでWWEのPPVは注文したことないんで、今回も無し。そこまでして見る気は無い。

ここ数年、WWEがマニアの前夜にやってるのが、WWE殿堂入りセレモニー。WWEに貢献してきた人間はもちろん、そうでない人間でもDVDの売り上げなど、何らかの商売につながれば、殿堂入りされちゃったりする。んで、このセレモニーは、前半がWWE.comで、後半は普通のテレビ局で放送される。

去年は、AWAのDVDセットをWWEがリリースしたせいか、WWFを天敵視してたはずのAWAのオーナーだったバーン・ガニアが殿堂入り。今年もその勢いか、AWA世界ヘビーチャンピオンとして人気だったニック・ボックウィンクルが殿堂入り。自分が日本を出る前も、よく来日し、ジャンボ鶴田が日本人で初めてAWA世界王座を獲得した時の相手もニックだった。今回のDVDセットで感じたのは、日本のプロレス中継では判らなかったけど、ニックは試合だけじゃなく、喋りも抜群に上手かったってこと。セレモニーでは、AWAでニックのマネージャーを務めてた、ボビー・ヒーナンがプレゼンテーターだった。

今回のレッスルマニアは会場がデトロイトということもあってか、かつて同地区でプロモーター兼トップレスラーだった故ザ・シークも殿堂入り。プレゼンテーターには、シークの二人の弟子である、ロブ・バン・ダムとシークの甥のサブーが勤めた。

日本では国際プロレスで暴れてたワイルド・サモアンズだが、自分が見たのは新日本のテレビ中継だけだった。当時は外人なんてみんな同じに見えてたんで、双子だとばかり思ってたが、最近買った国際プロレスのDVDで彼らの試合を見ると、顔が似てないことに気づいた。今回の殿堂入りセレモニーで歳をとった二人を見ると、もっと似てなかった。ピーター・メイビアやサモアンズを初めとするサモア系有名レスラーの殆どは家族か親戚。サムゥーや全日本で活躍中のロジー、リキシ・ファトゥー、ウーマガだけではなく、ザ・ロックもヨコズナもそうだ。、娘婿まで含むと故ゲリー・オブライトも家族に入る。プロレス界に貢献しまくってる一族。

ミスター・フジは、本名をハリー藤原といって、日本語は片言しか話せないハワイ人。以前ダラスでヨコズナの試合を生観戦してた時に、一緒に行ってたアメリカ人の友達に対するウケ狙いで、日本語で結構酷いことをフジに野次ったけど、フジがこっちを向いてニッコリおじぎしてた。最近(?)のファンにはドン・ムラコやヨコズナの悪役マネージャーとして有名だが、現役時代はタロー・タナカやマサ斉藤とのコンビで暴れまくった日系悪役。数年振りに見るフジは、歩くのも喋るのもやっとで、歳をとったという印象だったが、公の場に出てくれるだけでもうれしい。

故カート・ヘニングは、個人的な意見では、WWEやWCWといった全米規模でサーキットする団体が普通になった時代よりも、それ以前の各州に団体があって、それぞれ毎週数千人の観客を動員してた時代の方がよかったのではないかと思わせる様な、ギミックなして十分通用する選手。レスラーだった父ラリー・ヘニングを含む、家族全員でセレモニーに参加してた。

現在RAWで解説を務めるジェリー・ローラーは、今でこそ下品なネタで人気だが、地元テネシー州メンフィスでは、かなりの人気で今尚現役。プレゼンテーターは、メンフィスの実況を長年勤めてるランス・ラッセルにやってほしかったなぁ…。

RAWの実況、ジム・ロスは、かつてビル・ワッツ(日本ではワット)のミッドサウス地区でリングアナウンサーやテレビの実況を勤め、同地区がジム・クロケット・プロ(後のWCW)に買収された後も数年実況を続け、その後WWFに移転した、名アナウンサー。WWEでは副社長の一人でもある。ただ気に入らなかったのは、紹介のビデオの中で、ジム・ロスが、嘗て南東部一帯で名実況として今も語り継がれている故ゴードン・ソリーよりも素晴らしいという様なことを言ってた部分。アメリカでは『プロレスの声』と言われてたソリーを抜く人間は、まだいない様な気がする。

番組の最後に登場したのはダスティ・ローデス(正確にはローズ)。プレゼンテーターにはダスティン(ゴールダスト)とコディ。この息子達二人のスピーチも素晴らしかったが、ダスティ本人のが、期待してなかったけど最高だった。会場にいたリック・フレアーやハリー・レイス、アーン・アンダーソン、リッキー・スティムボートといった往年の名レスラー達をほめまくってた。フレアーに関しては、ダスティの息子達が喋ってる最中から泣きまくり。ダスティは長年ビンスと仲悪かったけど、去年ダスティのDVDセットも発売されたことだし、今回の殿堂入りも当たり前と言ったとこか。

さて、来年のレッスルマニアの会場はフロリダ州オーランド。フロリダにちなんだ関係者が殿堂入りするんだろうと思われるが、前述のソリーはもちろん、ジャック・ブリスコやエディ・グラハムらが殿堂入りして、今の若いファン達に昔の偉大な選手達を紹介して欲しいところだ。先日WWEは、かつてダラスを中心とした人気団体WCCWの映像も買収したため、今年WCCWのDVDセットが発売される予定なんで、来年は『鉄の爪』フォン・エリック一家の殿堂入りも期待される。

いくらただのマーケッティングのためとはいえ、色んな昔の選手達が登場して喋ってるのを見るのは、素直に嬉しい。


2007年2月15日

RIP: James C. Melby

自分の人生を振り返ると、特にアメリカに来てからは、「いつでも会える」とか「いつでも連絡できる」と思ってた人が亡くなることが何度もあった。んで先日また、「そのうち連絡しよう」と思ってた人が他界した。彼のメールアドレスは持ってたし、あっちも自分のことは知ってたはず。

自分は、どちらかというと、最近のプロレスにあまり楽しみを見出せなくなってるので、プロレスの歴史の研究をする方が楽しかったりする。

ボクシングや球技などの場合、コミッショナーや体育協会などがしっかり試合の記録などを管理しているので、昔の情報を引っ張り出すのは、そんなに難しいことではないが、プロレスの場合、そういうわけにはいかない。

日本では、昔からプロレスがスポーツ新聞などでも取り上げられてるので、過去の記録を調べるのは苦ではない。だが、海外の場合、プロモーター自身が、プロレスをサーカスか何かのエンターテイメントのイベント程度にしか扱ってないことが多かったので、試合の記録というと、図書館に閉じこもって当時の新聞の記事を探り出すしかないのが現状。事実、アメリカやカナダのプロレス史に関する資料の大半は、熱心なマニアが集めた記録がほとんど。かえって、プロモーター達の方が知らなかったり憶えてなかったりするケースが多い。

ジム・メルビー氏は、プロレスジャーナリストとして長年活躍した。文を書くだけではなく、実際に図書館などでプロレス史のリサーチをしまくった、云わばプロレス史研究のパイオニア的存在でもあった。そのメルビー氏が先週末53歳という若さで他界した。

自分が運営する世界各国のプロレス選手権の変還史を集めたサイトも、彼を中心とした多くの研究者の努力無しでは存在しなかったと言っても過言ではない。

彼と個人的な知り合いになれなかったことを後悔すると同時に、長年のプロレス史研究における功績に感謝したい。


2007年1月20日

Scott "Bam Bam" Bigelow (1961 - 2007)

本当は、前回の雪景色を、今のアパートからの最後の投稿にしたかったんだけど、急にニュースが入ってきたうえ、20日0:45am現在Yahoo! JAPANスポーツナビも日刊スポーツでも未だ報道されてないんで、これを書くことにした。

自分が渡米する数ヶ月前に、体中に刺青をしたアメリカ人レスラーが初来日し、新日本プロレスに参戦した。当時の新日は、伝統の金曜夜八時から、月曜八時の山田邦子を司会にしたバラエティ形式の番組になる直前くらいで、低迷期と言っても過言ではなかったので、正直、「これまた見せかけだけの外人かな。」とか思ってみていた。ニュージャージーで『モンスター・ファクトリー』というプロレス学校を経営しているという彼の師匠のラリー・シャープという男も実は知らなかった。

でもなんだかんだ言って、見てて結構面白い選手だった。でも自分はというと、4月には日本を離れ、しばらく日本のプロレスからは遠ざかってしまう。当時のアメリカのプロレスは、ハルク・ホーガン人気も真っ只中。アントニオ猪木がまだ現役で頑張ってた新日を見て育った自分にとっては、プロレスというのはアメリカに来て大きな期待ハズレだった事の一つだった。

87年9月にテネシーの高校に編入し、ある日テレビを見てると、WWFの番組に、ホーガンの仲間として、テレビカメラに向かって刺青男がニコニコ喋ってるじゃねぇか。新日では久々に見る恐怖の外人レスラーとして活躍してた男が、アメリカではただのギミック屋なのか…と残念がったもんだ。

結局WWFでは長続きせず、翌年再び新日に戻ってきた。丁度自分が夏休みに帰国してる間に彼の日本での試合を久々にテレビで見れたのをよく憶えている。

数年間新日で活躍した後、総合格闘技でキモに負けたり、WWFで元NFLスターのローレンス・テイラーに負けたり、引き立て役を演じてはいたが、そういう部分でも彼の有能さを発揮できてた様な気もする。事実ECWWCWでもタイトルを獲得し続けた。そして2004年11月には正式に引退。

太めの選手なんだが、動きが機敏。ちゃんと売り出してもらえれば、日本やアメリカだけではなく、メキシコでも通用した選手だった。

そのバンバン・ビガロが昨日(1月19日)、フロリダの自宅で死体で発見されたらしい。殺人の可能性もあるという。45歳。

超残念。

RIP.

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