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ぶ〜たれ: プロレス - 総合格闘技も含む

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2009年6月15日

今夜のWWE RAWで…

cmpunk_misawa.jpg

C・M・パンクが、左腕のバンデージに、それも緑で…。

公式サイトのトップページには、写真も載せていた。

さすがpuroresu通。ありがたい。

桜庭和志の次の試合(…っていつだ?)での入場に、ちょっと期待したりもする。


2009年6月13日

三沢光晴 (1962 - 2009)

misawa_mitsuharu.jpg
週末にも関わらず、朝からアメリカでもプロレスファン達がネットで大騒ぎしている。自分も、土曜の朝なんで結構眠いはずだが、さすがに目が覚めてしまった。

未だに清志郎ショックを多少引きずっとるっつうのに…。

このページにも書いてるが、2007年11月、マンハッタンで三沢光晴の試合を見る機会があった。プロレスファンじゃなくても、『二代目』タイガーマスクだった人と言うと、多分わかるんじゃないかと思う。

今朝、起きてすぐ、まだボケェ〜としながらも、ブラウザを開いて最初に表示されるページに、三沢が心臓の問題で試合中倒れたと書いてあった。そのまま嫁さんが何か用事で色々話しかけてきてたんで、途中までしか読んでなかったが、一緒に試合を見に行った友人から電話がかかってきた。

「倒れたらしいじゃん。田辺さんなら何かもう少し詳しいこと知ってんじゃないかって…。」

即、他のサイトもチェックすると、『死亡』と書いてある。

観客の中にいた医者がリング場で心臓マッサージをした際には、一度は脈が戻ったという。

でも、観客の中の医者って…? NOAHぐらいの団体になると、リングドクターが常備待機しとるわけじゃなかったんか? 別にリングドクターがいたらと言って大丈夫だったってわけじゃないんだろうけど、これだと、選手に対する日頃の健康管理に対しても疑問が持たれる。ただでさえ、先日どっかの小規模団体で選手が死亡し、NOAHや老舗の新日本プロレス、全日本プロレスといったメジャー団体が、選手のライセンス制度導入を発表したばかりだ。でも三沢はそのNOAHの社長だったわけで…。まぁ、その分他の選手とは別の部分で多忙だったはずだし、最近、地上波テレビの放送もなくなったし、色々大変だったんだろうなぁ。それが健康にも影響してたのだろうか。

なんか、半分放心状態なんで、上手く書けん。

ニューヨークに来た際には、マンハッタンで会場からブロックを半周する以上の、主に現地のファン達による長蛇の列を作らせた。アメリカのファンにとっては、それだけの伝説的な存在だった。

別にファンじゃなかったけど、選手としても団体経営者としても、日本プロレス史を語る上で欠かせない人物。

偉大な功績に感謝。

RIP...


2009年4月 4日

WWEの殿堂2009

明日4月5日は、WWEが毎年行なうビッグイベント、レッスルマニア。25回目の今回はヒューストンで行われる。そして今夜は、毎年恒例WWEの殿堂入りセレモニー。

まず7時過ぎから、ウェブキャストで数名が紹介された。最初に出てきたのは、ドリー・ジュニアテリーのファンク兄弟。自分達の世代なら、プロレスファンじゃなくても名前くらい聞いたことがあるくらい、70年代末から80年代にかけては日本で超人気だった。二人とも元NWA世界ヘビー級チャンピオンで、日本ではタッグの印象が強いが、アメリカではどちらかというと、シングルでの活躍の方が多かったんじゃないかと思う。それも、日本でのヒーロー人気とは反対に、アメリカでは悪役のことが多かった。ドリーは予想どおり紙に書いて用意されたスピーチを読んだだけだったが、テリーは喋り捲くってた…かと思えば、去年の式典で延々と続いたリック・フレアーのスピーチのせいか、今年から厳しくなった時間制限のおかげで、途中で音楽が鳴り始め打ち切り。もうちょっと聞きたかったなぁ。

そして、なぜ殿堂入りしたのかあまりよくわからないココ・B・ウェアに続き、エリック一家が紹介された。日本でジャイアント馬場とも死闘を演じたフリッツ・フォン・エリックと5人の息子達だが、病死や自殺が続き、現在残ってるのは長男のケビンのみ(実際には、ジャック・ジュニアが長男だったが7歳で感電死)。彼らの本拠地であるテキサス州デントン郡には、大学時代6年住んでて、次男のデビッドの未亡人とは飲み友達だったってこともあり、結構思い入れがある。でも色んな意味でケビンは好きじゃない。

続いては、カーボーイ・ビル・ワッツ。選手としてはもちろんだが、かつてオクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピといった中南部で一大勢力を築き上げたプロモーター。その時代の彼の団体の映像は、離婚の際に元夫人に全て持ってかれたらしく、それを今回WWEが買収にこぎつけたかなにかで、ワッツの殿堂入りが決まったというのが大方の読み。そういう駆引き抜きでも、殿堂入りにふさわしい人だとは思うんだが。

プロモーターといえば、今回の会場のヒューストンは、長年名プロモーターのポール・ボッシュが仕切っていた。ココ・B・ウェアあたりを殿堂入りさせるくらいなら、ボッシュだろ…と思ったのは自分だけじゃないはず。ワッツがスピーチの中でボッシュの名前を出した時には、結構拍手があった。

ウェブキャストの最後を締めくくったのは、70年代後半からWWEのリングアナウンサーとして活躍してきたハワード・フィンケル。彼もまたWWEに十分以上に貢献した人物だ。藤波辰巳が1978年1月23日にニューヨークのマジソン・スクェア・ガーデンで、WWFジュニア・ヘビー級選手権を奪取した時も、フィンケルがアナウンサーだった。

ウェブキャストが終わったのは8時過ぎで、その後も式典は続き、編集されたものがケーブル局で10時から放送。

リック・フレアーがリッキー・スティムボートを紹介。日本人の母を持つリッキーは、80年代前半、全日本プロレスでファンク兄弟とミル・マスカラスに次ぐくらいの、アイドル的人気のある外人レスラーだった。WWEに入団せず、来日し続けてたら、もしかしたら日本でもレジェンドになれてたかもしれない。89年のフレアーとNWA世界王座をかけた三連戦(?)が今尚ファンの間で語り草となっているが、フレアー本人曰く、それよりも数年前の、テレビカメラの入ってない会場での試合の数々の方がよっぽど良かったらしい。

最後はなんと、WWE会長ビンス・マクマホン自らが、スティーブ・オースティンを紹介。我が母校の北テキサス大を中退し(日本だったら先輩って言えるんだろうか…)、1989年にダラスでデビュー。その頃からローカルのテレビ番組などで見てて、将来必ず大物になると思ってたけど、まさか、こういうスタイルで、それもここまでの人気が出るとは当時はさすがに予想していなかった。そういった意味でも、昔っから思い入れのある選手だった。

最初の方にも書いたけど、今年から各スピーチの時間制限が厳しくなったせいか、殿堂入りした人達からの、昔のエピソードなどがあまり聞けず、そのうえテレビ放送版では、やたらとコマーシャルが多すぎたせいか、全体的に番組としてはつまらんかったかな。


2009年2月 1日

10年前の昨日

Giant Babaジャイアント馬場が1999年1月31日に亡くなって、早くも10年経った。

自分は元々アントニオ猪木ファンなんで、小中学生だったころは、馬場のことはどうでもよかったんだけど、プロレスの『仕組み』っつうのを段々と知ってく中で、彼の偉大さも多少わかってきた。とりあえず、プロモーターとしての手腕は、政治力も含め、凄いものがあったと思う。選手としても、若いころは(もちろんビデオでしか見てないけど)結構動けてて、試合運びの面でもよかったという印象がある。

少なくとも自分が渡米した1987年までは、プロレスファンじゃなくても猪木や馬場という存在は誰もが知っていた。だが今は、大仁田厚やジャガー横田のように、プロレス以外の理由で知名度が上がった人達はいるが、単純にプロレスラーとして一般の人達に名前が知れ渡ってるほどの選手がいないんじゃないかなぁ。日本に住んでないんで実際のとこはわからんが、なんとなくそんな気がする。三沢光晴や武藤敬司あたりが現在のプロレスの枠の中でレジェンド扱いされてても、ファンじゃない人で彼らのことを知らない人達ってのは結構いる。

もちろんプロレスそのものが、テレビでもいつ放送されてるのかわからないくらい人気低迷してるんで、無理ないんだけど、そうなったのも、総合格闘技の人気だけじゃなく、結局プロレスの枠の中だけでさえ、『スター』というのがでてこなかったっつうのが、大きな理由の一つなんじゃないかと、勝ってに考えてたりもする。

また、馬場が亡くなって以来、その時点で既にスター不在だった業界が、なんかもっとおかしくなってるような気もする。別に猪木が仕切ってるってわけでもないんだけど、力道山とまではいかなくても、やっぱ、いかにも「俺の目が黒いうちは…」と言い出しそうな感じの、睨みを利かす存在ってのが、二人か三人(それ以上じゃなく)いた方がいいのかも。

いずれにせよ、残念なことに、10年経っても、未だ馬場や猪木を超える存在というのが、現れていないのは事実。そう思うと、尚更偉大だったんだと痛感する。


2009年1月31日

あ、Paul Heyman…?

paulheyman.jpg さっきね、嫁さんがよく行く、スカースデールのA&Pっつうスーパーで買い物してたんよ。そしたら、おったよ、ポール・ヘイマンが。かつてポール・E・デンジャラスリーっつう名前で悪役レスラーのマネージャーとして活躍し、後にECW(Extreme Championship Wrestling)の『現場監督』やオーナーになった人で、ファンの間では、業界を離れた今でも『気になる存在』だったりする。

「この辺に住んでるんですか?」
「生まれて以来ずっとだよ。」
「そういや、スカースデールとか聞いたことがあります。」
「まぁ、エッジモントなんだけどね(郵便局はスカースデール)。」
「でもお見かけしたことないっすね。」
「そうか? みんなに見かけられてるけど?」

と、まぁその程度。本当は、彼とは18年くらい前にも会ったことがあるとか、共通の友人知人が数人いるんだとか、(詳しく説明したら)自分のプロレス関係のウェブサイトくらい見たことあるだろとか、色々話すネタはあったんだが、買い物リストを眺めながら、カートは既に沢山入ってたし、こっちも元々超ミーハーってわけじゃなく、せっかくのプライベートな時間を邪魔したくないんで、あまり話さなかった。

まぁ、別に無理して友達になりてぇわけでもねぇし、どうせ今でもエッジモントに住んでてA&Pで買い物してるくらいなら、そのうちまた見かけるんじゃろな。


2009年1月24日

[映画] The Wrestler

ミッキー・ロークの『復活作』と言われてるらしく、事実、ここんとこあまり大きな活躍をしてなかったロークが、この映画でゴールデングローブの俳優賞をもらっている。そういった理由で嫁さんも見たがってたし、自分はもちろんテーマが目的で見たかった映画。

ロークの演ずるランディ・ロビンソンは、80年代にマジソン・スクエア・ガーデンでもトップをはったという『元』大物レスラーで、20年後の現在はトレーラーパークに一人で住みながら、ニュージャージーを中心に、小さな団体での試合を続けている…という設定。

そういうレスラー達は実際に多くいるわけで、数十人〜二、三百人くらいしか集まらない小さな規模の試合や昔のファン狙いのサイン会に参加したりしてなんとか生計を立てようとする。

そんな状況を、ドキュメンタリーっぽく描いていて、シーンの一つ一つもだが、話の内容も現実的過ぎるくらいで、業界の悲しさを表現している。出演してるのも、それこそニュージャージーやフィラデルフィアの小さな団体を中心に活躍する現役レスラーがほとんど。

ロークはこの映画のために、かつてWWFで大人気だったサモアンズの片割れで、ザ・ロック(ドゥエイン・ジョンソン)の叔父でもあるアファ・アノアイからトレーニングを受けたらしい。映画を見てると、途中でロークが俳優というより、本当に元レスラーっぽく見えてきた。

プロレスファンならもちろん見るべき映画だが、うちの嫁さんも涙を流しながら見てたところを見ると、ファンじゃない人達にも薦めれる作品なのかもしれない。

ただし、流血するシーンが結構強烈だし、やたらと女性の裸が出るので、あしからず。


2008年12月28日

佐々木健介 in NY

ってなタイトルがふさわしいかどうかは別として…。

夕べは久々にプロレスを見に行った。Ring Of Honor (ROH)という団体の試合に、あの佐々木健介が出場するからだ。新日本でトップ扱いされてた時は、大嫌いだったけど、フリーランサーとして、『鬼嫁』北斗晶と弟子の中嶋勝彦らと活動するようになってからは、一生懸命さが、この頑固な自分にも伝わり、結構気に入っている。

会場に行くと、早速遠くの方に、男の子二人連れている茶髪の日本人っぽい女性が見えた。よく見ると、佐々木夫人で元プロレスラーの北斗だった。

その健介は、なんと休憩前に、勝彦とのタッグでジェイとマークのブリスコ兄弟と対決し、勝彦が負けを取られた。健介はあまり彼らしいとこが出ず終いだったけど、勝彦も結構がんばったし、ブリスコ兄弟もいつもどおり面白かった。

休憩の間、ミーハー気分で、北斗に挨拶してきた。

セミファイナルでは、ナイジェル・マクギネスの保持するROH世界選手権にROH常連の丸藤正道(なおみち)が挑戦。ナイジェルは悪役だけど、イギリス流のネチネチした試合ができ、丸藤はなんとなく日本でのスタイルとは違った感じで、これまたいやらしい攻撃をする。ある理由で、丸藤が勝たないのは予想がついてたが、今回一番楽しめた試合だった。

メインは、ROHのエース、アメリカン・ドラゴンことブライアン・ダニエルソンと、これまたROH常連で元ROH世界王者の森嶋猛が、反則無しのデスマッチでやりあった。森嶋は、かなり太ってるうえ、全く迫力もカリスマも無い、女の子みたいな顔をしているが、悪役ぶりが結構面白い。本人はジャンボ鶴田っぽいのを目指してると聞いたことがあるが、どちらかというとテリー・ゴーディを思い出すファイトぶり(それでも十分褒めてることになると思うが)。ダニエルソンに関しては、観客がみんなで叫ぶように『best in the world』だとは自分は思わないが、それでもほぼ毎回いい試合をするのが保障できる選手。森嶋の攻撃に、激しく流血をしながらも勝利。この試合もまた面白かった。

でもダニエルソンも、結局WWEに行きたがってるらしく、数ヶ月前の試合も含め、数回におよびトライアウトを受けている。もしも彼が入団すると、他の多くの選手達同様、いいとこを潰されそうなんで、もったいない気がするが、現在の米プロレス界で、一団体だけで試合をしていてメシが喰えるとこって、WWEくらいだというのも現実。ROHのように、もっとインディで活躍できる場所が増えたらいいんだろうけど…。

お目当ての健介は期待外れだったけど、他にも結構面白い試合があったし、全体的には楽しめた。


2008年5月 2日

バッドニュース・アレン

YouTubeで、去年の3月に亡くなったバッドニュース・アレンの二時間以上にもおよぶインタビューを発見。なんとパート1から17まである。

もちろん英語で字幕も無いが、長年のプロレスファンには是非お薦め。

長年、新日本プロレスで活躍し、リング上ではどちらかというと脇役に近いことも多かったが、実は陰の外人世話係として、会社側からも頼りにされていた。新日がパキスタンやイタリアなど、新しく開拓のために巡業に行くときも、アントニオ猪木の対戦相手として選ばれることが多かった。聞いてて同意できない意見も結構あったが、全体的には、こういう人が長年日本と関わっててくれたってことが嬉しくなるインタビュー。

元々喧嘩は強かったらしいし、モントリオール・オリンピックでは柔道銅メダル達成しただけあって、プロレス界の中でもタフとして知られる選手達相手にも、決して遠慮しない。新日本の外人専用移動バスの中で、黒人差別用語を連発するアンドレ・ザ・ジャイアントに対して喧嘩を売ってビビらせたり、全日本プロレスから移籍してきたディック・マードックに対して、「お前がKKKのメンバーだとか黒人嫌いだとかは関係ない。ここでは俺が『SEMPAI』だからな。」と言い聞かせておとなしくさせたりしたこともあったという。「新日本のリング上で、本気でやったら強かったのは誰か」という質問に、「坂口征二と長州力」だと答えた(実際、多くの選手が同意見)。「だったら、飲み屋や路上の喧嘩では?」と聞かれると、「あぁ、俺なら(二人とも)すぐにぶっ飛ばせる。(笑)」と即答。

アントニオ猪木に対しても、藤波辰巳を売り出しておきながら、なぜ同じ一番弟子でテクニシャンとしても一流の木戸修に対してはの扱いが全然違うのか聞きにいったことがあるとか。「藤波は表情豊かだが、木戸は無表情。怒ってるのか苦しんでるのかも判らず、観客に伝わらない。」という答えを、「猪木から学んだ一番大きなことの一つ。」だと言う。

「俺はいつも金儲けのためにやってきた。相手の選手に負けてあげるのも全然平気。」と言ってると思えば、「今日この選手にすんなり負けたら、こいつとの抗争が続かず金儲けにつながらないと思ったから、負けは負けでも反則負けにしてもらった。」などと、一部の『どうしてもかっこよく勝名乗りを上げたい』連中とは全然違うし、ビジネス自体のこともよく考えてる。あのビンス・マクマホンに対して、「お前は、俺をチャンピオンにさせてくれるとか、いい金をくれるとか、嘘ばかりついてきた。あんなインチキ選手権ベルトなんかいらないから、もっと金を出せ。」と言い切ったこともあるらしい。

他にも色んなおもしろい発言がかなりあったが、全て訳してここに載せる余裕は無い。

既に引退して何年も経ってたし、亡くなってからも一年以上だが、日本だけじゃなくアメリカやカナダのプロレス界にとっても惜しい人を亡くしたと、今でも思う。


2008年3月30日

WWEの殿堂2008

3月30日は、世界最大のプロレス団体WWEが毎年行なうビッグイベント、レッスルマニアが行われる。今回で24回目。そして今夜(正確には日付が変わったんで、昨夜?)は、これまた毎年恒例となった、WWEの殿堂入りセレモニー。わざわざPPVで高い金払ってレッスルマニアを見ようとは思わないが、ウェブキャストと通常のケーブル局で見れるこのセレモニーだけは、毎年逃さない様にしている。

まず8時過ぎから、ウェブキャストで、数名が紹介される。最初に紹介されたのは、ジャックとジェリーのブリスコ兄弟。兄ジャックは、元NWA世界ヘビー級チャンピオンで、故ジャイアント馬場が東洋人として始めてNWA世界王座を奪取したのもこの人からだった。本人の希望で、兄弟でチームとしての殿堂入りだが、シングル選手としての方が有名なんで、ちょっと違和感がある。弟ジェリーも、元NWA世界ジュニア・ヘビー級チャンピオンで、兄弟チームとしても幾つかのタッグ選手権を取ったりしたんだが、兄ほどではない。が、紙に書いて用意されたスピーチを読んだだけのジャックとは違い、喋り捲るジェリー。まぁ、WWEの裏方の重鎮なんで、しょうがないか…。

続いては、今回の会場であるフロリダをはじめに、ジョージアキャロライナ地区、そしてアラバマと、4地区にわたりテレビの実況を勤めた故ゴードン・ソリー。アメリカでのプロレスの殿堂なら、この人を入れないと始まらない、ってくらいの大御所だが、長年WWEオーナーのビンス・マクマホン・ジュニアを批判し続けてきた人だったんで、せっかくフロリダが会場でも、殿堂入りはないかと予測されたりもしたが、最後の最後で殿堂入りが発表された。まぁ、当然と言えば当然なんだが。現在WWE RAWの実況をしているジム・ロスによる紹介だったが、「ソリーが史上最高。その他の我々はナンバー2を狙って争ってるだけだ。」には感心した。

来年デビュー70周年を迎えるメイ・ヤングも殿堂入り。数年前まで、故ファビュラス・ムーラとのコンビで暴れてて、最近のファンにとっては、エロ婆さんくらいの印象しかないと思われるが、実は女子プロレスがまだ認知されてない頃からがんばっていた伝説の人。デビュー当時のことからの色々なエピソードを話したが、そこに出てきたレスラー達の名前って、おそらく集まってた若い客の殆どが知らないんだろうな。「100歳の誕生日に試合したい。」と言ってのけた、まだまだ元気そうな85歳。

ウェブキャストの最後は、かつて大プロモーターとして一時代を気付いた故エディ・グラハム。彼によりスターとして売り出されたダスティ・ローデスによる紹介。ダスティもだが、父の代わりに登場したマイク・グラハムのスピーチもよかった。

ウェブが終わったのは10時頃で、ケーブル局での放送は11時から。この間もセレモニーは続き、番組用に編集されたものが11時から放送される。

放送が始まり、いきなりザ・ロックことドゥエイン・ジョンソンの登場。久々のプロレスファンの前で、楽しそうに観客を笑わせる。が、今回の目的は、殿堂入りする父ロッキー・ジョンソンと、母方の祖父、故ピーター・メイビアの紹介。そういえば、ザ・ロックもデビュー当時はその二人の名前を合わせたロッキー・メイビアっつうリングネームだった。

個人的には、ロッキー・ジョンソンが殿堂入りするくらいの選手だったかどうかは疑問だが、WWE側としては、テレビに、久々にロックを出したかったってのもあるんだと思う。ただ、ピーター・メイビアに関しては、古くはワイルド・サモアンズ、そしてヨコヅナ、リキシ・ファトゥー、最近ではロジーやウマガなど、数多いサモア系レスラーの先駆者で、ハワイのプロモーターでもあったんで、プロレス界に残した功績は大きい。天にいる祖父に、涙を流しながら、「自分のことを、誇りに思ってくれてるかな…」と語りかけていたロックが印象的だった。

そして最後は今回の目玉のリック・フレアー。「プロレス界のマイケル・ジョーダン」とか、よく言われるけど、実際にそうだと思う。来年60だが、今尚現役で、それも会場での人気は、若いトップ選手達よりもすごい。現役選手のWWE殿堂入りは初めて。

ただ、数ヶ月前から、「次に負けたら引退」ということで試合を続けてるフレアーも、今夜のレッスルマニアでのショーン・マイケルズ戦が最後だという可能性が大きく、それもあっての、殿堂入りなんだと思う。アメリカを拠点にしてる中では一番好きな選手だし、自分が初めて生で会ったレスラーもフレアーだ。

フレアーを紹介したのは、マイケルズと共に、現在フレアーの親友になっているトリプルH。でも実は、長年フレアーのサポート役を務めてきた、アーン・アンダーソンに紹介してほしかったと思ってるのは自分だけじゃなかったと思う。

早速涙を流しながら登場するフレアー。普段の勢いのあるマイクパフォーマンスとは違い、書いてきたスピーチをじっくりと読む。「選手として自分が何をしてきたかってのは、他の人達が充分話してるから、今夜は、多くの人達に感謝することに時間を使いたい。」と始める。

最前列に座ってた現在の妻(三人目)と子供たちに感謝をした後、会場には来ていない前妻二人にも涙を流しながら感謝の意を述べたのには感動した。

実際にフレアーのスピーチが放送されたのは10分くらいで自分にとっては多少物足りない感もあったが、実際に会場に行ってた人によると、実は1時間以上しゃべってて、テレビ放送が始まった30分後もまだ続いてたらしい(その間、三度も『巻き』が入ったとか)。レッスルマニアのDVDが発売される時には、ノーカットで入っててほしいなぁ。


2008年3月23日

PWS @ Yonkers PAL

昨夜は珍しく、自分が住むウェストチェスター郡で、WWE以外のプロレス興行があった。

Pro Wrestling Syndicateとかいう、ニュージャージーかフィラデルフィアかを拠点としているインディ団体なんだけど、せっかっく近所で行われるってことで、あまり期待せず行ってみた。$10だし。

構成や段取りがメチャクチャで、7:30pm開始予定が8:00pmになったり、最後の試合が始まったのは午前零時あたりだったりで、「所詮この規模の団体は…」とか思ってたが、試合はなかなかよかった。

特に、生では初めて見るテディ・ハート。カルガリーの大プロモーター、故スチュ・ハートの孫で、ブレットや故オーエンの甥。ということは、故デービーボーイ・スミスやジム・ナイドハートの甥ってことにもなる。とにかく、カナダの大プロレス一家の一員ということだ。

これまでROHTNAにも参戦したが、個人的な行動や言動が元で、あまり長く続かず、去年もせっかくWWEと契約したと思えば、マイナーリーグ参戦中に解雇。

だが、試合の方は、さすがにハート家の血を引く選手だけあって、なかなか面白い。特に、日本でも常連のジャック・エバンスとは、30分くらいの好試合をしてくれた。試合後、マイク持ってやたらと余計なことを喋り過ぎってのさえなければ、個人的には一押しの選手だったろうに…。いずれにせよ、こういう選手があまり表に出てきてないのは、かなりもったいない気がした。

あんな試合を見せられたら、後の四試合が盛り上がらない。入場だけが面白いサンドマンの試合を見た後、もう一試合見ずに出てきてしまった。

あまり大きな会場でもなく、後ろに座ってもちゃんと見れたし、$10であれだけ見れたら上等。

さて、来月は同じくウェストチェスターのニューロシェルで、Team 3D(元ダッドリー・ボーイズ)が試合するらしいが、それにも行ってみようかな。


2007年12月31日

ROH @ Manhattan Center

夕べは、日本から観に来てた友人と一緒に、前回の観戦同様、Manhattan CenterでのRing of Honorを観に行った。

これで数度目だが、この団体はやはり面白い。マット上でのグラウンドの展開が出来る選手達もいれば、飛んだり跳ねたりしても単なる連発ではなく、ちゃんと試合を組み立てていけるのもいる。

当初は日本人選手の出場予定がなかったが、寸前でROHのサイトを見ると、常連の森嶋猛と丸藤正道が出た。前回の丸藤の試合は、アメリカ向けのウケ狙いっぽい動きが多くてつまらんかったが、今回は通常どおりの試合でよかった。

毎回行くのは面倒かもしらんが、今後も時々見に行こっかな。


2007年11月 4日

三沢光晴 in NY

夕べはプロレス観戦。なんとあの三沢光晴がニューヨークで試合、それも相手は今このROH (Ring of Honor)という団体で常連のKENTA。別に三沢ファンじゃないけど、こんな機会なんてないんで、見ないわけにはいかない。とはいえ、行こうと決めたのが結構遅く、立見席しか取れなかった。まぁ、そんなに大きな会場じゃないの、わかってたんでよかったけど。

会場は地下鉄の駅を出てすぐ目の前だったが、入り口から長陀の列。通りの角を曲がってもまだ続く。もう一つ角を曲がって、やっと並べた。試合開始は7:30pmからだったが、実際に会場に入れたのは8:30pmごろだったかな。普段そんなに長い列にならないらしく、後ろの人達の会話では、やはり三沢が来るからだとか。確か三沢がNYで試合をしたのは初めてだったような…。

会場に入れて、二、三試合後、リングアナウンサーが、今日は日本から特別に『レジェンド』がゲストとして来ているとアナウンス。三沢の試合は最後の方だから彼じゃないとして、だとすると、もしかして…と思った瞬間、思いついてた名前をリングアナが紹介した。長年、全日本プロレスでレフリーとして活躍した、ジョー樋口だ。彼の業界での偉業を称えるセレモニーが始った。盾を渡すのは、なんと元世界ヘビー級王者のハーリー・レイス。樋口が会場に来てるのは特に驚かなかったが、三沢が社長をやってるNOAHという団体と関わってるとはいえ、レイスが来てるのには驚いた。

そのすぐ前に行なわれた試合が消化不良で終わったため、一部のファンが引き続き野次を飛ばしまくる。そんな中、アメリカ人の女の子が二人立ち上がり、「この伝説の人に、ちゃんと敬意を払えないのか!?」と怒鳴ると、うるさかった連中も素直に黙る。アメリカのファンも捨てたもんじゃないのかも。

三沢の試合が始る直前には、観客のボルテージがかなり上がっていた。日本で使われてる同じ入場テーマ『スパルタンX』が流れると、みんな、これまで日本からのビデオを見てて、いつか生でこの瞬間を味わえるのを夢見てたんじゃないかと思われるような大三沢コール。

三沢の持ってるGHCヘビー級選手権試合で、なんとジョー樋口が日本語で選手権宣言。

自分も時々NOAHのビデオを借りて見ることがあるんで、最近の三沢が歳取って腹も結構出て以前ほど動けないのはわかってたけど、それでも説得力がある試合を見せてくれた。挑戦者が相手に遠慮しない試合をするKENTAだったんで、それもいい結果につながったんだと思う。

やっぱプロレスは日本がええよ。改めてそう感じた。


2007年9月 1日

NWA世界ヘビー級選手権

nwa-h3.jpg

NWA世界ヘビー級選手権ってのは、1948年7月に、それぞれ各自で違う選手を世界チャンピオンとして売り出してたアメリカ中西部のプロモーター達が、共通した選手権を決めようってことで結成したNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)が認定した選手権で、49年から52年にかけて、アメリカに存在したその他の世界ヘビー級選手権をルー・テーズが統一して以来、1980年代後半くらいまでは世界最高峰と言われていた。詳しくは、どうせWikipediaに行ってもいつもどおりいい加減な情報が多いんで、自分がやってる別サイトを。

色々あって、今のNWAは当時の権威が無いが、最近になって、元・新日本プロレス社長サイモン・ケリー猪木の子分のデビッド・マルケスというNWAのカリフォルニア地区の会員が、全米各地のNWA会員プロモーター達と協力しながら、色んな場所で独自の興行を打ち始めてから、もしかしたらアメリカのインディ・シーンを活性化してくれる存在になるんじゃないかと思えてきた。

先日までアメリカで二番目に大きな団体TNAと提携していて、TNAがテレビでNWA選手権の防衛戦などを放送してたが、5月の提携終了に伴い、空位になり、6月上旬から16人参加の新チャンピオン決定トーナメントを全米各地で行なっていた。

大方の予想通り、本命のブライアン・ダニエルソン(アメリカン・ドラゴン)がプエルトリコで行なわれる決勝でブレント・オブライトと対戦。

…の予定だったが、先日マンハッタンで行なわれたROH(Ring of Honor)という団体での、ダニエルソンがROHチャンピオン森嶋猛に挑戦した試合で目を負傷。プエルトリコのNWAトーナメント決勝では、準決勝でダニエルソンに敗れたアダム・ピアースが代わりにオブライトと対戦。

そして自分が予想(っつうか期待?)してたとおり、ピアースが勝って新チャンピオンになってしまった。

このアダム・ピアースという選手、それまでも試合を見たことがあったけど、実は先日のニュージャージーでの試合を生観戦して以来、多少気になってた選手だった。

試合が面白いというのもあったけど、全試合終了後、ファン達が、色んな選手に握手を求め、さっきまで悪役だったのが笑顔で対応してたりする中、握手してもらおうと手を差し伸べた自分に、『Shut up!』と怒鳴りつけてきたのがピアースだった。昔の悪役レスラーの様に、試合が終わっても会場から出ない限り自分の役作りは忘れないという態度が、かえって新鮮で嬉しく、こっちも怒鳴られても驚かず、わざとニヤッとしたら、喜んでたのが伝わったのか、ウィンクして通り過ぎてった。

アメリカに来て以来、「こいつは将来面白くなりそうだ。」と思えた選手っつうと、実は(知り合いじゃないけど)大学の先輩でテキサスで活躍していたデビュー当時のスティーブ・オースティン以来超久々。

「応援していよう」って程じゃないけど、今後NWAチャンピオンとしてどういう活躍をしていくか、注目していたい選手だ。


2007年7月29日

Karl Gotch (1924 - 2007)

とうとう逝ってしまった。8月3日で83歳になる直前のことだった。

彼のプロレス界に残した功績は大きい。っつうか、大き過ぎるんだけど、残念ながらそれを判ってるのは、ある世代以前の日本のプロレスファンか、極一部のアメリカのマニア達くらい。

自分も実は、彼の試合で見たことがあるのは新日本プロレスの第一回興行でのメインの対アントニオ猪木戦、同じく新日初期に行なわれたルー・テーズと組んでの対猪木&坂口征二戦、去年入手した国際プロレスDVDセットに入ってる対ビル・ロビンソン戦くらい。あと1982年元旦に行なわれた藤原喜明とのエキシビションだけはビデオじゃなく生放送で見た。

以前、凶器攻撃と流血で有名なアブドーラ・ザ・ブッチャーに「リング上で観客に判らないことをやるつまらないレスラー」とか言われたり、長年日本でレフリーを務めたユセフ・トルコには、「あんなの幼稚園の先生。猪木が可愛がり過ぎた。」などと言われたりもしたし、基本的にショー的要素を重んじる業界人からはあまり好かれてはなかった。が、自分がテキサスの大学にいたころ、友人がジョニー・バレンタインと話をしてた際、彼の名前を出すと、かつて全米で大悪役として暴れまくった、あのバレンタインが、「彼が本気で仕掛けてきた時は本当にヤバかった。」と、情け無さそうな顔をして話したこともあった。そして20世紀最高のレスラーと言われるルー・テーズでさえ一目置いてしまうという、それくらいの職人レスラーだった。

といった感じで、アメリカではあまり売り出されず、唯一トップ扱いされたのは、1960年代前半のオハイオ地区くらい。

だが日本では、多くの弟子を育てたコーチとして有名で『プロレスの神様』と呼ばれた。主な弟子には、猪木、藤原、木戸修、藤波辰爾、佐山聡(初代タイガーマスク)、前田日明、船木誠勝他、後に日本での総合格闘技の先駆けとなるUWF系選手を含め、かつての新日本の大物が揃っている。アメリカでも最近、マニアの間で、「総合格闘技のパイオニア」だと言われることがある。

確かに試合は殆ど見たことがない。でもカール・ゴッチの存在があったからこそ、少年期に新日本ファンとして育った自分もこれまで30年近くプロレスファンをやってこれた。

…と、亡くなって改めて感じている。

Rest in Peace...


2007年6月27日

Chris Benoit (1967 - 2007)


月曜の夜は、涙が出そうだがショックが大きすぎて出てこないくらいの放心状態だった。

カート・アングルやトリプルHの様にファンに対して失礼な態度をとると言われている連中や、リック・フレアーショーン・マイケルズみたいに舞台裏の政治的な手段で多くのレスラー達から非難を浴び続けてきたのとは違い、誰かが彼のことを悪くいうのを聞いたことがなかったし、子供のことを崇拝するかの様に可愛がってたことで有名だった。その分、翌朝警察が発表した死因を読んだ時は疑ってしまった。

所詮テレビに出てる人間だ。プライベートなことなんて判らんし、興味もない。妻と息子を殺し、自分は首を吊るという、悲惨な最期だったらしいけど、実際に彼らがどんな境遇に立たされてこうなってしまったのか、警察が見つけられる物理的な情報以上に色々あるだろうし、今となっては誰にもわからない。今回の事件で、一番苦しかったのは彼自信かもしれないし、そんな苦しみも神にしか理解できないのかも。決して正当化できる行動ではないけど、心に重病があったかもしれない人間に対して「お前は悪い奴だ」と簡単に裁くことも自分にはできない。

というわけで、ここでは彼の死よりも、プロレスラーとしての人生について。

アメリカで活躍する現役のレスラーで、一番好きなのがリック・フレアーと、このクリス・ベノワだった。

 ハート兄弟の父親でカナダのカルガリーのプロモーター、スチュ・ハートに入門後、1985年11月にカルガリーでデビュー。その後、なんと新日本プロレスに『留学』し、道場に住み込み修行。テレビの中継で、他の若手達や一緒に留学していたダリル・ピーターソン(=マックス・ペイン)と共にリングの周りをうろちょろしてたのを憶えている。

その直後に自分は留学のため渡米したんで、数年後に獣神サンダー・ライガーのライバルとして来日していた覆面レスラー、ペガサス・キッドの正体がばれるまで、彼の名前を聞くことが無かった。

とはいえ、その頃は日本からの試合のビデオを見る機会が多く、ベノワも好きなレスラーの一人になった。ピーターソンやブライアン・アダムスらの様な同時期に新日本で修行した他の外人選手達よりも、しっかりと新日ファン好みの試合をしていたので、尚更思い入れも大きかった。

90年には宿敵ライガーを倒しIWGPジュニア・ヘビー級王座を獲得。

94年には、団体の枠を超えて行なわれたジュニアヘビー級のトーナメント『Super J-Cup 1st Stage』が開催され、日本のジュニアヘビー級のパイオニアである藤波辰爾が1978年1月にニューヨークで奪取したWWWFジュニアヘビー級選手権のベルトを優勝者に贈呈。藤波がベノワの腰にあのベルトを巻いた時、自分は彼を一人の外人レスラーとして見てたのではなく、「『新日本出身』のこいつが相応しい。」と思った。

その後フィラデルフィアのECWが日本のスタイルの試合を売り出し始めた頃にアメリカでも活躍し始め、WCWではフォーホースメンのメンバーとして活躍し、2000年にWWF(現WWE)へ移籍。その後も、日本仕込みのスタイルで活躍していた。

2004年3月14日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで、念願の世界ヘビー級王座を奪取。試合後には同日別の試合でWWEヘビー級選手権を防衛した故エディ・ゲレロが共にリング上に立ち、勝利を称えあう。新日本で活躍中に親友になった二人による名場面だった。エディが生きてたら、こんな大惨事になる前に相談できてたのかも知れないが…。

他の選手達の様にマイクを握ってベラベラ喋ってお決まりのキャッチフレーズでウケてるわけでもなく、試合とは関係ないリング上や舞台裏での茶番の中心になってたわけでもない。それでも会場では彼が入場する度に大歓声で、試合だけで人気を得ていた数少ない選手の一人だった。

そう思うと、新日本や全日本のトップに立って、武藤敬司蝶野正洋のような、かつて『闘魂三銃士』と言われていたにも関わらずテレビカメラに向かって怒鳴りまくったり試合中にオーバーなジェスチャーばかりしてる連中よりも、よっぽど昔の新日本っぽいスタイルを見せてくれていた様な気がする。

自分にとって、ベノワの存在が、茶番ばかりのアメリカのプロレスを見続ける理由になってたことは事実。今は彼のプロレス界での偉業に感謝すると同時に、彼と家族の魂を神様に委ねたい。

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