自分は教会でも色々なことを担当してるが、教会外でも、JCFNという団体のNew York地区のお手伝いもしている。リーダーは別の人だが、その人の旦那との三人がこの地区担当といったとこだろうか。JCFNに関してはJCFN.orgを見ていただくとして、NY地区では、日本語教会に行ってるクリスチャン達だけではなく、英語やその他日本語以外の教会に行ってる日本人クリスチャンや、日本語は喋れないが日本人伝道に使命を感じている人達の間の交流も目標にしている。
今年JCFN New Yorkでは、『カルチャーショック』をテーマに集会をしてきた。春にはクリスチャンとして日本から渡米してきた人の体験談も聞いたし、9月には色々な音楽のスタイルで賛美集会をし、賛美や礼拝にも色々スタイルがあって、どれが正しくてどれが間違ってるとかってのはないという話も聞いた。そして今日が今年最後の集会だった。
ある日本語教会の牧師を招いての集会だったが、彼はアメリカ人だけど、高校や大学だけではなく神学校まで日本に行ったという、珍しい経歴の持ち主。その彼から、アメリカ人が日本に行った場合のカルチャーショックという面で色々な話を聞いた。
とてもいい話で、色々考えさせられたが、一番心に残ったのは、日本にいると一般社会はもちろん教会の中でも「しょうがない」というセリフがよく聞こえるということ。もちろん時としてあきらめなきゃいけないことがあるのは当たり前だが、でも「あきらめよう」という意味での「しょうがない」ってのを聞くことがあまりにも多いと感じたそうだ。イエス・キリストの力を信頼しているはずの人達が集まってる教会でもこのセリフがいつも聞こえてくるとなると、確かに矛盾してるかもしらん。
彼が何度も言ってたのは、「『しょうがないクリスチャン』にはなりたくない。」ってこと。
確かに、その『しょうがないクリスチャン』ってのにはなりたくねぇな。これまで何度も「神様を信頼してよかった」という感覚を味わってきたわけだし。
でも、「しょうがない奴」って言われると否定はできんか…。(笑)




