今日はNYJCの記念すべき礼拝だった。
2、3ヵ月前のある日、うちの牧師が、「記念礼拝には、栗栖先生をお呼びしたいんだけど、どう思う?」と聞いてきたんで、「あぁ、わしも、彼しかないだろって思ってた。」と答えた。教会創立時から三年間、初代牧師を助け、現在はプリンストン日本語教会の栗栖信之牧師だ。
元々うちみたいな日本語教会は駐在員や留学生が多いので、しょっちゅう面子が変わってて、今では教会が始まった年からいるのは自分達夫婦を含めて三人になってしまった。その、教会の歴史を知る数少ない内の一人としては、今回の記念礼拝には彼しかないと思ってた。
数曲続けて賛美をする中の最後に『主の御言葉待ち望む』という曲を選ばせてもらった。本人が気づいてるかどうか判らんが、彼がうちの教会にいた頃、彼が説教の担当だった日には本人の希望で必ずといっていいほど歌ってた曲だ。
『原点に戻れ』という説教題を知った時、数年前の彼と自分の会話からのものだとすぐ判った。日本でプロレスの神様と呼ばれていたカール・ゴッチが弟子達に教えてたと言われる「我々は迷ったら原点に戻らないといけない。」という言葉をノブさんにおしえた時のことだ。
面子がいつも変わるんで、教会の人数も減ることがある。そのうえ去年数千ドルにも及ぶ大赤字だった様に、金銭的にも苦しいとこを通ることもある。今正にうちの教会はそういう時期。でも、それだからこそ、そういう人材的や経済的なことに振り回されず、何のために教会ってものが存在するのかという、聖書にしっかり書いてある原点に戻らなければならない。
10周年を記念するには、本当に相応しい人に、相応しい説教を取り次いでもらえたと思う。
説教後の賛美は、うちの嫁さんの希望で『もう振り向かない』。最初の三年間は、まるで教会のテーマソングかと思うくらい、みんなが飽きるほど歌いまくって、最近ではもう殆ど歌ってない曲。でもやっぱ10周年記念礼拝の最後はこれしかなかった様な気がする。
久々にカトケンがドラム叩いてくれたし、賛美でピアノ弾いてる自分も、超盛り上がってしまった。
そして今日、一つ感じた、大きなことがある。過去にうちの教会に定期的に来てたけど、まだこの近辺に住んでるにも関わらず今はもう来てない人達の殆どを今回の礼拝に招待した。が、その中で来てくれた人は以前から約束してくれてたそのドラマー以外はゼロ。それぞれ色んな事情があっただろうし、決して、その人達のことをもうどうでもいいって思ってるわけじゃないし、その人達がそれぞれイエス様ににつながり続けてるように祈ってる。でも、ゼロという数字が意味することって大きいと思った。いつまでも過去のことに拘らず、10周年という人間的に判りやすい数字を区切りに、新しく前進しろってことなんだろう。
とは言いながらも、10年もいればやはり色々あったわけで、自分の心の中には、約6年前で止まったままの時計が一つある。その時計は、一昨年の11月に少しだけ動き、そして今日もう少し動き始めた様な気がする。
でもまだ完全には動き始めることはない。日本にいるあいつが再びうちの集会に顔を出せる様になるまでは…。




