
週末にも関わらず、朝からアメリカでもプロレスファン達がネットで大騒ぎしている。自分も、土曜の朝なんで結構眠いはずだが、さすがに目が覚めてしまった。
未だに清志郎ショックを多少引きずっとるっつうのに…。
このページにも書いてるが、2007年11月、マンハッタンで三沢光晴の試合を見る機会があった。プロレスファンじゃなくても、『二代目』タイガーマスクだった人と言うと、多分わかるんじゃないかと思う。
今朝、起きてすぐ、まだボケェ~としながらも、ブラウザを開いて最初に表示されるページに、三沢が心臓の問題で試合中倒れたと書いてあった。そのまま嫁さんが何か用事で色々話しかけてきてたんで、途中までしか読んでなかったが、一緒に試合を見に行った友人から電話がかかってきた。
「倒れたらしいじゃん。田辺さんなら何かもう少し詳しいこと知ってんじゃないかって…。」
即、他のサイトもチェックすると、『死亡』と書いてある。
観客の中にいた医者がリング場で心臓マッサージをした際には、一度は脈が戻ったという。
でも、観客の中の医者って…? NOAHぐらいの団体になると、リングドクターが常備待機しとるわけじゃなかったんか? 別にリングドクターがいたらと言って大丈夫だったってわけじゃないんだろうけど、これだと、選手に対する日頃の健康管理に対しても疑問が持たれる。ただでさえ、先日どっかの小規模団体で選手が死亡し、NOAHや老舗の新日本プロレス、全日本プロレスといったメジャー団体が、選手のライセンス制度導入を発表したばかりだ。でも三沢はそのNOAHの社長だったわけで…。まぁ、その分他の選手とは別の部分で多忙だったはずだし、最近、地上波テレビの放送もなくなったし、色々大変だったんだろうなぁ。それが健康にも影響してたのだろうか。
なんか、半分放心状態なんで、上手く書けん。
ニューヨークに来た際には、マンハッタンで会場からブロックを半周する以上の、主に現地のファン達による長蛇の列を作らせた。アメリカのファンにとっては、それだけの伝説的な存在だった。
別にファンじゃなかったけど、選手としても団体経営者としても、日本プロレス史を語る上で欠かせない人物。
偉大な功績に感謝。
RIP…





このニュースを知って真っ先に君の事を思いましたよ。
試合中に亡くなるなんてショックです。私は特にプロレスファンではないのだけどショックです。
うーん。
事故死?
これはショックだね。
はぁ。
こちらでも、新聞、テレビで簡単に報道してます。広島でしかも土曜だったので行けたのですが、講演3本の準備が有ったもので、、。
心臓に欠陥があったのか、もしくはドラッグのせいか、死因は謎となった訳ですね。 合掌
以下、新聞記事です。
三沢さん死す…試合で頭を強打、帰らぬ人に
プロレスリング・ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴(みさわ・みつはる)さんが13日、試合中の事故で広島市内の病院に搬送され、同日午後10時10分、死亡が確認された。46歳。三沢さんは広島グリーンアリーナ小アリーナで行われた広島大会のGHCタッグ選手権の試合中に相手選手の岩石落とし(バックドロップ)を受けて頭部を強打。心肺停止状態に陥った。搬送先の病院では集中治療室で救命処置を受けたものの、帰らぬ人となった。
まさかの事故が起こったのは午後8時半すぎだった。三沢さんは午後8時10分ごろから、潮崎豪と組んでメーンでGHCタッグ王者の斎藤彰俊、バイソン・スミスと対戦。ともに体重120キロ近い大型選手の王者組のパワーの前に苦戦を強いられていた。そして開始25分すぎに異変が起きた。時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた三沢さんだったが、潮崎からタッチを受けて、バイソン、斎藤の合体技と斎藤の蹴りの連発を浴びるとぐったり。とどめに斎藤から高角度の岩石落としを食らった際に受け身の体勢が十分取れずに、体を「く」の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。
三沢さんはそのまま動かなくなり、レフェリーが異変に気付き試合を止めた。その後は参戦していた佐々木健介や高山善廣ら選手たちがリングに駆けつけて「社長」と声を掛けたが、三沢さんは応じなかった。すでに呼吸をしておらず、心肺停止の可能性が高いことから観戦していた医師やトレーナーらが人工呼吸や心臓マッサージを行ったが、反応はなかった。さらに、しばらくして駆けつけた救急隊員が自動体外式除細動器(AED)で蘇生(そせい)を試みたが、心肺停止のまま広島市内の病院に搬送された。
この間、約2300人の観衆で埋まった会場は騒然とした状況になった。リングサイドのファンからは「三沢コール」がわき起こり、女性ファンの悲鳴に似た叫び声も上がった。搬送直後には、選手会長の森嶋猛がリングに上がりマイクを握って「三沢社長の状態が分かりません。選手一同無事を祈っています」などと、硬い表情で状況を説明した。
病院に到着した三沢さんは集中治療室に運ばれ、懸命な処置が施されたが、午後10時10分、帰らぬ人となった。
三沢さんは、昨年1月にも日本武道館で行われた森嶋とのGHCヘビー級タイトル戦で首を強打して病院に搬送されたことがある。また関係者によると、今年3月に日本テレビの地上波放送打ち切りが決まったころから「体調が悪い」と漏らしていたという。
三沢さんは81年にデビュー、全日本時代には2代目タイガーマスクとして活躍し、3冠ヘビー級王者などエースの地位を確立した。新団体のノアを設立後には社長に就任、トップ選手として活躍を続けていた。プロレス界は大きな柱を失った。
◆三沢 光晴(みさわ・みつはる) 1962年(昭37)6月18日、北海道夕張市生まれの46歳。プロレスラーを志し、レスリングの名門・足利工大付高に進学。国体優勝などの実績を引っさげ、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門し、81年8月21日、越中詩郎戦でプロデビューした。84年にメキシコ武者修行に出て、帰国後2代目タイガーマスクとして活躍。90年5月から素顔で戦い、92年8月に3冠ヘビー級選手権を獲得。その後、川田利明、小橋建太、田上明らと四天王プロレスを展開したが、00年6月に退団。同年7月に「ノア」を旗揚げし、社長としてマット界を引っ張った。1メートル85、110キロ。 【試合結果】
14日開催のプロレスリング・ノア博多スターレーン大会開始前に、同団体副社長の百田光雄が13日に急死した三沢光晴さんについてコメントした。
まずシリーズ中での悲劇とあり、今大会を含め中止も検討されたのではという問いには「三沢社長は常に満身創痍でやっていた。選手全員と話して『決行するべきでは』となった。三沢社長も(中止は)望んでいない」と強行開催に至る経緯を語った。そして、死因に関しては「僕たちも医師から『不明』としか伝えられなかった。検査した結果、脳や頚ついにも損傷はないという話しを聞いた。ただ、医師からは『家族以外には死因は説明できない。たとえ会社の方にも説明はできないので、家族の方に説明します』と言われました。したがって会社の人間は、医師の方から一切死因に関しての説明は受けておりません」とコメントした。
三沢さんがこのような事態になる予兆はあったのかについては、「基本的に我慢強くて泣き言は言わなかった」としながらも、「多少『肩がキツイ』と言っていた」とかすかな異変はあったようだ。
なお、遺体はすでに東京に移送されており、葬儀は家族の意向により選手・近親者による密葬となる予定。ただ、ファンにはあらためてお別れを言う場を作りたいと語った。
ちなみに父上は元気に退院され歯に治療に来られました。
驚異の回復力だそうです!
県警は死因を頚椎損傷と発表しました。
ネットで事故直後医者らしき人が心臓マッサージをしている画像が見られましたね。
頚部をシーネで固定して担架でおろして広大病院に搬送し、2時間後死亡確認。
ひささん、ご無沙汰です。
昨夜、久しぶりにボ~っとテレビを見ていたら、三沢さんの追悼番組をやっていました。
正直プロレスの魅力は、よく分からないのですが、インタビューで話をしている姿・顔を見ていたら、「ステキな人やん☆」と惚れてしまいそうになりました。
なるほど、皆さんから慕われる方だな~と納得しました。
ひとつでも物事を極めるのって大変だけど、ものすごい気迫を感じました。
ひささん、ステキな方を教えてくださって感謝です。