♪夢でもし逢えたら
素敵なことね
あなたに逢えるまで
眠り続けたい
…という、かなり多くの人達にカバーされてきた大瀧詠一の曲がある。
昨年夏から、これまで何度も母の夢を見た。もちろん、毎回いい気分はしなかった。
昔の我家の一場面のように、自分が居間でテレビを見ている最中、外から帰ってきて台所越しに声をかけてくる母に、何事もなかったかのように返事する自分。
別の時には、いかにも「実は死んでなかった。生きててよかった。」というのもあった。目が覚めて、現実に直面して、ぐっすり眠る嫁さんを横に、思わず声を出して泣くこともあった。
最悪だったのは、前回のやつ。
父も約一年前からある病気に苦しんでるんだが、母がいなくなり独りになった父に、居間で自分が色々提案をしていたら、台所のテーブルに座ってる母が、「父ちゃんのことばっかり心配して、わたしにゃぁ、何も言うてくれんのん…?」と愚痴る。「いや、母ちゃん、もう死んどるんじゃけぇ。」とか「母ちゃん、もうすぐ死ぬんじゃけぇ。」とか、どう説明していいか、戸惑ってる間に夢から覚めるという、結構酷い夢だった。
でも今朝目覚める前に見た夢は全然違った。いや、夢の内容というより、自分の気の持ち方に変化が訪れたのかもしれない。
実家で経営する店の前にいる自分。故郷の田舎町は、人通りがかなり減った現在とは違い、昔の様に活気があって、人も車も多い。
店の前には、姪(姉の長女)も立っている。「今からねぇ、*****ちゃんが、飲みに連れてってくれるけぇ、待ちょうるんよ。」
現実では、その人は我家と絶縁状態。っつうか、正確には、うちらが絶縁したがってるってとこか。だが、夢なもんで、(奇跡的な)和解があったんだろうな、と変に納得する自分。姪は、普段よりか、いかにもタバコでも吸ってるかのように声がしゃがれていて、早速その人の悪影響があるんじゃないかと、ちょっと心配もしたりした。
店に入ると、姉が他の子達を含む数名と共にテーブルを囲んで、何かの作業をしている。両親が加盟していた某全国チェーンの伝票を整理しているらしい。
(だが、実際にテーブルの上に並べられていたのは、NY周辺の日本人なら誰もが知っているベーカリーチェーン『Parisienne』のピンクっぽい伝票。でもこれまた夢なもんで、妙に納得している自分。)
挨拶代わりに、「みんなで何しょうるん?」と問いかけてみた。みんな、シカトかいな。
そしたら、こっちに目を向けずに、作業を続けながら、「****(チェーン名)のをしょうるんじゃが。」と一言。
母ちゃん、生きとったんか…。思わず抱きつく自分。
「久しぶりじゃなぁ。」と母。
「何言ようるん。何回も会うとるがな。」何故か今回は、この時点で夢だと判っていた。
「そうじゃったかなぁ。」相変らずO型天然の母。
「そうじゃがな…。」この時点で夢から覚めそうってのが判ってた。抱きついたまま、「また何回でも会おうな。」と繰り返す自分。
母からの返事はなく、自分もどんどん目が覚めていく。でも、なんか今回は寂しくなかった。
これまで、いつか天国で会えるって、理屈では判ってたとはいえ、悲しくなったり、寂しくなることも多かった。
いい気分で目が覚めたのも、もしかしたら今回だけかもしらん。
でも、これまでのことを思うと、ちょっと前進できたような気がする。
いつか再会できるのを、やっと、心から楽しみにしてるみたいな、そんな気がする。
Jesus loves y’all.





読んでて目頭が熱くなりました。ひささんのお母様もきっとひささんの気持ちを汲んでくれてますよ。お母様は空気のような存在だったのかもしれませんね。いつもそこにいてくれた。
大好きだった祖父が亡くなった直後、しょっちゅう夢に出てきて、私も同じように嬉しかったり辛くなったり、そしてもう死んでしまったはずだよね・・と夢の中で問いかけたことも。あと、眠る直前に目を閉じているのに目の前がほんわか明るくなり、祖父がそこにいるように感じたこともあります。聞いた話ですが、夢に出てくるのはその人が心配でまだ御霊が傍にいるのが、天国へ昇っていかれると夢に出てこなくなるそう。まだヒサさんの事が心配でそばにいらっしゃるんでしょうね。
お母様のお名前が私の母と漢字こそ違いますが同名で、生年月日も2日違いで驚きました。きっと性格も似ていたかもしれませんね。