自分には決して安らかな寝顔という表現はできなかった。
今にも起きてきそうどころか、目こそ閉じてはいたが、いつものように、ちょっとニヤけた感じで、人を食ったような表情だった。
2年8ヶ月前の母の時には教会の礼拝堂では狭すぎて、立ってる人達もいた。今回もある程度の人数を予想したが、正直少なかった。高齢化の激しい過疎地なので、つながりのあった人達がどんどん減っていったのも確かだろう。
でも、あの時点で集うべき人達が神様によって集められたような気もした。
仏教の影響が強い日本では、葬式の時に笑顔を見せるのを不謹慎だとされる。今回も集まった人達の殆どは普段教会に足を踏み入れることがない。だからこそ、親族代表の挨拶の際、冗談を交えながら、あえて笑顔で喋った。もちろん、なぜそれが許されることなのかも説明した。70年の人生と、その人生を卒業し神の御元に行くことを祝うようにもお願いした。
あれから(日本時間で)2日経ったが、何故か、母の時のような、泣きのツボに全く嵌まってない。唯一、声が出るほど泣いてしまったのは、危篤だと聞いて、帰国の準備をする前、せがれを抱き上げた瞬間だった。
決して悲しくないわけじゃない。
急に召された母と違い、心の準備をする時間を充分与えてくれてたというのも理由の一つかもしれない。
でもやはり、自分がいつかこの世を去る時、再会できるという確信が強くなったというのが大きいんだと思う。
これまでも何度も書いてきた、父が自分に対して与えた影響。日を改めてまたゆっくり書くことにしよう。
あの場に集められた人達の中で、たった一人でもいいから、両親や自分が持ち続けてきた信仰について興味を持つよう祈りつつ。
Jesus loves y’all.





田辺さん、本当にお疲れさん。なんといっていいかわからんけど、やっぱりイエスキリストはパーフェクトだと思った。
また飲もうぜ!!
千雅子と祈ってるよ
お疲れ様です。
遅ればせながら、ようやくご状況が分かりました。
すみません。
帰路が守られますように。
ご家族に宜しく。
主の平安。
尚さん、
お父様のお葬儀そのものが、死んでなお生きるキリスト者としての証しとなり、お父様もそういう形で親族代表をしてくれた息子を誇りに思い、満足され、感謝されているでしょう。
尊子