ガキの頃から親父に、「『父の日』や『母の日』だけ親に感謝の態度を見せるんなら意味がねぇ。」って言われながら育ってきた。
だからアメリカに来ても、そういう日だからと言って、日本に電話することは無かった。
うちの教会でも、そういう日を祝うことを、どの牧師にも必ず一度は反対してきた。父親や母親がいない子供達が教会に来たら、どんなに寂しい想いをするだろうとも考えたし。
でも結局、クリスチャンにとってクリスマスやイースターがそうであるように、一年に一度、何らかの形で記念日的な日を設けないと、ありがたさを忘れてしまうのが人間の弱いとこ。教会で『父の日』や『母の日』を祝うべきだとは、未だに思えないが。
それはまぁさておき…。
何度もここで書いてきたとおり、洋楽好きな母が一番好きだったのは、サイモンとガーファンクルのアート・ガーファンクルだったが、カーペンターズも時々聴いてた。
母が天に召されたのは2009年8月。その翌月、日本から帰ってきて、しばらくの間、時差ボケと、辛さや悔しさで寝れない夜が続いた。
連日ベッドの中、夢心地の状態で、帰りの飛行機の中で流れとったカーペンターズの曲が頭の中で鳴り響いとった。んでもって、ある日、寝ぼけとるのに、いつの間にか、原曲とは全然違う、それも日本語の歌詞を、自分で思い浮かべとった。
いくら親が死んだからとはいえ、安易に詞なんて書けるか…とか思うとったが、母の葬式のため日本へ向かう飛行機の中で見たビデオで、ある大学での講演でビリー・ジョエルが「人ってのは、嬉しい時と同様、悲しい時にこそいい曲が書ける」とか言うとったのを思い出した。
曲なんかまともに書いたこたぁなかったが、もしかしたら、思い浮かんだものに付加えてったら、(今回に限って)詞くらいは書けるかなと思い、朝4時だっつうのに、コンピュータに向かってタイプし始めた。カーペンターズだからか、それとも自分の幼年期に関連しとるんか、詞の雰囲気も曲名も、なんかしらんが70年代っぽくなってしまった。
それから一年近く経ち、翌年8月に入ってやっと録音できた。素人録音なもんで、ええ音じゃねぇが、どんな曲かくらいは判ってもらえると思う。
詞の内容はというと、よく日本人にありがちだが、親に対して感謝の気持ちがあっても、なかなかそれを素直に表すことができない、ちょっとした後悔っぽいものも交えながら…といったとこか。
っつうわけで、
『まわり道』
曲: リチャード・カーペンター、ジョン・ベッティス、アルバート・ハモンド
詞: 田辺 尚玄 (…んなわけねぇ、ただの『替え歌』じゃ)
演奏: Happy Hour
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日本人ってのは、自分の感情を表に出すことを格好悪いとするせいか、「クサい」とか言われそうだし、実際、うちの教会にも、亡くなった母親に対して書いた曲だと知ってて、「キザな歌だな」と心の無いことを言ってきた奴(笑)がいたが、詞なんて書くの、もしかしたら、これが最初で最後かもしらんしね。
Jesus loves y’all.





いいですね♪
ありがとう
私も昨年10月に母を亡くし、母に直接感謝の気持ちを示すことができない母の日を迎えました。感謝の気持ちは天国に届くことを信じています。この曲を通しても届いていることでしょうね。
とても正直な気持ちがステキです‼
次の「父の学校」に参加されてみてはいかがでしょうか。
親や家族との関係をクリスチャンの視点で見つめるとてもよい機会だそうです。