昨日になって何人かからメールが来て、礼拝欠席の通知。
そういうわけで、今朝の礼拝は、もしかしたら、自分が出席した中では、最低の人数だったかもしれない。
プレイズの時には、自分を入れてバンドが4人、歌詞をスクリーンに映し出す係が1人、受付のテーブルに1人。あと、説教をお願いしているゲスト牧師と、司会と説教の通訳の担当がそれぞれ1人ずつ。気がついたら、それ以外は大人が1人、こどもを1人連れて来てるという、極端に少ない状況だった。週末の悪天候のため、出て来れなかった人もいれば、事前に予定が入ってた人など、色々重なったらしい。
教会に集まる人数が少ないと、よく、「数が問題なんじゃない。」という台詞を耳にする。実際、自分も、多けりゃいいってもんじゃないと思ってるし、教会を大きくすることを優先順位に置いてしまうと、大抵ろくなことにはならないんだろうと思う。人数だけ多くて、実際には神を礼拝することよりも集まる人達を楽しませるのを重要視している教会が多いというのもよく聞く。その反面、人数少なくても、神様のために盛り上がってる教会ってのも見たことは何度もある。
でも自分の場合、時として、ただの痩せ我慢だったりするのも正直なところ。少ないのが続き過ぎると、教会存続に関する心配もでてくる。「全ては神の御心により…」と言ってしまえばそれまでだが、なかなかその覚悟を100%持てないのも人間の弱さだ。
毎週、賛美のリードを、バンドの中でピアノの弾き語りでやってるが、今朝はさすがにあそこまで少ないと開き直れた。
普段から時々、「これもダサい歌じゃのぉ…」と練習の時には感じてても、礼拝の中ではちゃんとスイッチを入れることができてしまうが、今日は、なんつうか、牧師もいないし、ここまで出席者も少ないのに、ちゃんと礼拝ができてるし、少ないのにみんなの歌声がちゃんと聞こえてるし、しっかりみんなで神様に礼拝を献げられてるんじゃねぇかと、感じることができた。それと関係あるのかどうか別として、バンドの他のメンバー達も、普段以上に、いい感じだったような気がする。
とにかく、嬉しさというか、喜びみたいなものを持ちながら、リードすることができた。
本来毎週そういう気持ちで礼拝に臨むべきっていうのは判ってんだが、しばらくの間、教会内外で色々続いてて疲れてるんで、こういうことが気を引き締めなおすいい機会となることを願う。





始め読みながら、「スーパーボールのせいかな?それとも春節?リオのカーニバル?」なんて思いましたが、そちらは天候が悪いんですね。
人間は弱いから、ずっと同じ強い感情で信念を貫くことって難しいんじゃないかな。
衝撃的な状況が起こればなんにでもすがりたくなるかもしれないし、
何事もなければ今ある幸せをあらためてすばらしいことなんだ嬉しいことなんだと気がつかないのかもしれない。
みんなにとって礼拝って空気みたいなんだな(空気なくなるって誰も感じてないと思うけど・・・)