2007年だったか、自分が以前勤めていた会社を辞めて独立しかけたころ、とりあえずあまり金かけずに宣伝しなければって思い、広告ばかり載ってる無料誌にちょっとの期間だけ載せたことがあった。
間もなく数人から連絡があったが、所詮無料誌を見ての問い合わせ、とにかく安く済ませようという連中ばかりだった。無料で情報を得ようとしたり、料金が高過ぎると文句言ったり、正直、当時はそんなとこに広告を載せたことに関して、失敗したと思った。
その中に一人、ジャマイカ人のじいさんがいた。推測どおり、マウントヴァーノン在住。なぜ『推測どおり』なのかというと、前回も書いたとおり、このウェストチェスター郡の南端にあり、ニューヨーク市のブロンクスに隣接し、とにかく治安が悪いことで有名だからだ。地元ケーブル局のニュースを見てても、殺人などの酷い犯罪というと、大抵このマウントヴァーノンか、ヨンカーズのダウンタウン辺りかどちらかだ。
こっちも日本人の英語だし、相手のジャマイカ訛りも強く、そのうえ電話だと聞き取り難く、お互い何を言ってるのか、なかなか解らない。だが、とりあえず色々コンピューターに関する助けが必要だから来てくれってことになった。『Cleveland Irons』って、まるでスポーツチームみたいな名前だ。事実、オハイオ州のクリ―ヴランドってとこは、もともと鉄鋼 (steelとかironとか)で有名。
始めて行った時、とりあえず仕事を終わらせて、気を効かせて、普段よりも安めに請求したら、電話でこっちの料金を説明していたにも関わらず、それでも「高過ぎる」などと言いやがる。初回だからしょうがねぇと思って、相手が払えるっていう金額だけもらったら、結局二回目も三回目も同じ様な感じ。しまいには、「これまで数回来てもらって、自分もお得意さんになってるはずだから、もうちょっと割引とかないものか。」などと言ってきやがる。「最初に言うたでしょ。自分が他のお客さんに請求してる金額よりは、かなり安くしてるって…。」と、何度も説明した。こっちも、そのじいさんから連絡が来るのがいやになってきた。
でも、ある日、ふと思い出した。
一時、アメリカのクリスチャン達の間で流行った、『WWJD』ってのがある。「What Would Jesus Do? (イエスだったらどうしてたか?)」の略。
でも自分の場合、イエス様以前に、自営業だった親父だったらどうしてたかなぁ、ってのを考えた。このじいさんみたいに、引退して収入もなくなったような人達こそ、うちの親父は面倒見たがってたんじゃないかな、と。せっかく授かったお客さんに対して、かなり傲慢な気持ちを抱いてたってことに気付いた。
そして知ったのが、どうやら、このじいさん、腎臓か何かの病気があるらしく、ほぼ毎日、人工透析のために通院してるとか。
そうなったら、こっちもある程度覚悟を決めた。とことん面倒見ようって。
何度も彼のとこに訪れてると、当然お互いのことでの会話も増える。
1933年、ジャマイカで生まれ、17歳でイエス・キリストを受け入れ、クリスチャンに。23歳で結婚し、6年後、よりよい生活を求めて、奥さんやこども達と共にアメリカに移住。ブロンクスに住み、車の修理関係の仕事で生計をつないだ。だが、23年連れ添った奥さんは6人のこども達を残し他界。
その2年後、再婚し、GED(日本で言う大検)取得、近所の大学に入学。その後は、薬物中毒に関するカウンセラーの資格や、伝道師の資格も得て、ハーレムにある教会の助牧師も務めた。
だが、彼の最も大きな業績としては、2001年に発足した『Mission of Hope』(直訳すると『希望の使命』か『希望への使命』だろうか)という団体が挙げられる。アフリカのルワンダという国で、エイズ・HIV対策に関する教育を中心とし、他にも色々な慈善事業をしていった。ルワンダでは人々に『Mbaraga(バラガ)』と呼ばれ親しまれたらしい。現地の言葉で『鉄』とか『強い男』とかいう意味で、要するに日本語っぽく言うと、『鉄人』ってとこか。
彼の部屋に行く度に、色々な話を聞けた。そのうち判ったのは、彼は自分自身の家族だけでなく、ルワンダの人達や、通ってるマウントヴァーノンの教会など、自分の周りの人達を、本当に愛してたってこと。
いつしか、自分にとっても、金にならん面倒な客ではなく、お客さんなんだけど友人の様な存在になっていた。彼自身、「おまえはいい奴だし、友達だって思ってんだよ。」って言うようになった。母ちゃんが死んだって知らせた時も勇気づけてくれたし、うちのせがれが生まれたってことを伝えた時にも、凄く喜んでくれた。赤ん坊の写真を見せた時の笑顔は今でも忘れられない。
去年の春頃だったか、「自分の人生もいつまでか判らんから、そろそろ色々と始末しとかんとなぁ…」などと言い始めた。その頃から、毎回彼の部屋を出る度に、「これで最後かもしらんから、この瞬間を大事にしよう。」って自分に言い聞かせてきた。
去年の8月の終わりにメールしてからは、全く返事がなかった。電話しなきゃって思いつつ、こっちも間もなく交通事故に遭い、色々と事情が狂ったので、変に忙しくなっていた。
今週に入り、彼の娘さんから電話があり、他界したということを聞いた。
もっと、ちゃんと連絡しときゃよかった。面倒みるって決めたくせに、やっぱ時には面倒臭くって、連絡が来ても他のお客さんを優先したことを悔やんだ。
昨日は自分の43歳の誕生日だったが、朝から彼が行ってた教会に向かい、葬式に出席した。多分350~400人はいたんじゃないかと思う。白人が2、3人、ヒスパニックっぽい人が1人、そしてアジア人は自分だけで、あとは全て黒人で、まるでゴスペルコンサートにでも来てるかのような感じだった。
葬式が始まる前には、家族以外の人達が、アイロンズ師に関することを前に出て話す機会が与えられた。何人も出てきて、追悼や感謝の言葉を述べた。その中の数人は、かつて麻薬中毒だったが、アイロンズ師に誘われてその教会に来て、イエスに出会えたから今の自分があるということだった。離婚しかけたけど、励まされて、こども達にも恵まれたって人もいた。そして、人工透析のために通ってた病院や、最後に入ってた施設などでも、自分自身は苦しいのに、周りの人達にイエス・キリストのことを伝え続けていたという。
葬式中の、その教会の牧師の話も、お別れの言葉ってよりも、感謝や、「また会おう」ということの連続だった。アイロンズ師が、ルワンダという場所を愛し、ルワンダという『戦場』で『神の兵士』として戦い続けたのと同様、みんな一人一人が、神様から与えられてる目的を把握するべきだということだった。
前に出て話した中に、『Mission of Hope』のスタッフがいた。「アイロンズ師が愛したルワンダは、本当に美しい場所です。神様はユダヤ人に、いつかイスラエルに戻れって言われましたが、みなさんのご先祖の故郷はアフリカです。是非いつか戻ってみてください。」
クリスチャンの葬式ってのは、悲しさだけで終わらず、いつも何かしら自分が励まされることがある。昨日の葬式では、自分も日本のために何ができるか、これまで以上に祈って考えていかなきゃならないという、何かしらの課題が与えられたような気がする。
もしかしたら、それが神様からアイロンズ師を通しての誕生日のプレゼントだったんかもしらんね。




