言霊

よく、芸術作品などについて、「作者の魂が込められている」という表現が使われる。

『魂』という表現が合ってるかどうかはわからないが、通常芸術作品と分類されるものだけじゃなく、仕事で造る商品や日常の料理など、誰かが作ったものの全てにおいて、作者や発明者の気持ちというのが影響しているのは当然のこと。愛情が込められたものかもしれないし、手抜きやごまかしで作られたものかもしれない。

歌もそうだ。いくら単純な歌詞でも、書いた人間の気持ちが解るような気にさせられるものも多いし、多くの言葉を並べたり、複雑なコード進行やアレンジで着飾られてる曲でも、気持ちが込められてないように感じる曲もある。多くの人々が、歌に影響され、何かの行動に移すということも多い。かつてボブ・ディランが、「宗教指導者達のことは信じない。自分が信じるのは歌の力だ。」という内容のことを言ったことがあるが、音楽好きな自分も共感できる部分がある。

普段我々が口から発する言葉も同様だ。自分で言ってる言葉が相手に及ぼす影響というのを、気付かないことの方が多いはず。

先日、ニューヨークの地下鉄の中で、比較的若い母親と幼い二人のこども達が一緒に乗っているのを見かけた。お姉ちゃんと弟だったと思うが、その男の子が、膝を席について電車の外側を見ようとしていた。数秒すると、母親が、
「Sit the fuck down or I’ll spank your ass!」
と、その男のを叱った。
普通に訳せば「ちゃんと座っとかないと、お尻ペンペンよ!」程度でいいのかもしれないが、卑語が二つ入ってると、「ちゃんと座らんと、ケツ引っ叩くぞ!」の何倍もきつい言い方のような気がする。いずれにせよ、3~4歳だと思われる幼児に対しての言い方じゃない。

その瞬間、こういう言われ方をしながら育っていく子が、かわいそうに思えた。こういうのが続くと、ゆがんだ性格になったり劣等感に陥る可能性もあるし、将来周りの人達にも失礼な言い方をすることが多くなるかもしれない。もちろん、その親ってのも、そういう言われ方をされながら育ったのかもしれない。

と同時に、自分自身も、それまで以上にせがれに対する言葉使いを気を付けなければならないと、再認識させられた。自分は決して、せがれや嫁さんに対して『ダメな奴』だとか『バカ』、『アホ』のような、本人の人格を蔑むような表現は使ってないが、それでも言い方がきついのは確かだし。家族に対してだけじゃなく、周りの人達に対してもか。

聖書にも言葉の持つ力について書かれている(特に新約聖書の『ヤコブの手紙』3章とか)。

良くも悪くも、「あの時のあの人の一言があったから…」というのは、実際よく聞く話。本人が軽い気持ちで言ってても、それが聞かされた人の人生を変えるような一言だったりすることもある。

感謝したかったり褒めたかったりするなら、素直に言葉に出せばいい。人格否定したかったり罵りたかったりする時は、我慢して黙ってりゃいい。

……と自分自身に言い聞かせている今日この頃。

Jesus loves y’all.

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