偉そうな題名にしたが、これしか思いつかなかった。
先月も似たようなこと書いたけど、こどもに対して何かを教える時、すごく気をつけなきゃいけないと思うことが多い。
ちょっと前に思い出したことがあった。自分の小学校一・二年の担任だったH先生と三年の担任だったT先生の大きな違い。
H先生は、うちの教会の近所に住み、娘さんも時々教会に来てたので、小学校に入学した時点で既に知り合いではあった。なので、特に目の敵のように意地悪されたこともなかった。
でも、『ダメな子』という目では見られていたようだ。実際自分でもダメな奴だと思い込んでたのも事実だが、今思うと、その先生の影響も多かったと思う。
とにかく偏見の強い先生だったと思う。例えば、自分の同じクラスには、小学生の野球チームに入ってる子たちもいたんだが、その中の一人(現在名古屋拠点某プロチーム監督)がいつものように悪さをすると、「あんたらの野球チームはいつも…」というような叱り方をしてた。そいつは学年一の悪ガキだったんでしょうがないとしても、同じチームに属してても、そこまで酷くなかった一員がたまにアホなことやってもクラス全員の前で同じ言い方をしてた。
ある時、提出後に即採点というミニテストを受けた時のこと。同級生のYが、「なんであんたはこうなんよ!? この学級でここまでダメなのは、あんたと田辺だけじゃ!」と叱られていた。いくら自分はダメな奴だと思ってた頃だとはいえ、さすがにショックだった。
もっと酷かったのは、ある日の宿題で、詩を書いて来いと言われた時。
その日、学校から帰る際、途中にある家の庭に生えてた草の葉っぱの上で、クモがハエのようなの虫を喰ってるのを見かけた。それを宿題のネタにしようと思い、何という名前のクモかもわからなかったが、とりあえず百科事典などで見覚えのある『はえとりぐも』という題名で詩を書いた。内容は覚えてないが、当時は、「これで褒めてもらえる。」と思った。
翌日、自身満々に宿題を提出。しばらくしたら、いつものように否定された。それも、いつものように大声だして叱られるんじゃなく、かなり白けた態度で。
「どっから盗んできたん? あんたにこんなええ詩が書けるわけねぇ。」
そんな感じなんで、どうせ何をどうがんばっても意味がないと思った。だから、毎日提出しなきゃならなかった日記も、ほぼ毎回「かえって、○○くんと、ミニカーであそびました。」だけ。
二年生になった時も同じ担任だと知ると、本気で学校に行くのがいやになった。でも当時は、なんで学校が嫌なのか、明確にはわかってなかったと思う。ただなんとなく、自分にとって居心地の悪い場所だった。
親父に愚痴っても、「しんどい時ゃあのぉ、神様が自分のことを試しとるんじゃ思え。」だけ。当時ガキだった自分にとっては理不尽な対応だったが、今となっては親父のそういう話の積み重ねが、自分の信仰の糧となってると思う。
そして、三年になった時。新しい担任のT先生は、H先生よりも更に厳しそうな人相。瞬間、心が暗くなった。ちなみに前述のYも引き続き同じクラス。
でもそのT先生は、全く違った。
授業中、みんなからの発言を求める時、「手を挙げてる暇があったら、喋り始めなさい。他の誰かが同時に喋りだそうとするなら、『僕(私)が言います!』と、主張しなさい。」といった感じの、当時の日本じゃなかなか考えられなかったはずの先生だった。要するに、アメリカでは通常の、こども達同士の議論を導入した授業ってのを、小学校の三年生でやらせてた訳だ。授業だけではなく、誰かが誰かをいじめたりしても、学級会で議論させてた。
基本的にそんな先生だったもんで、こども達を見る目もH先生とは全く違い、少しずつだったかもしらんが、自分も自信を持ち始めることができた。そして、当時から知識を積みたがるという面ではオタクだった自分とYは、当然のごとく、授業中は鎬を削り発言しまくっていた。(笑)
そして、今思えば、他の子たちにはすごい不公平な話だったかもしらんが、ある日の授業中、T先生が突然言った。
「わたしゃぁね、田辺君とY君が、いつもええことを発言してくれて、この二人がこの中で一番好きなんよ。」
その瞬間、何か、それまでひっかかってたものが、取れたような気がした。
偏見で以って、人のことを否定するのは、すごい簡単なこと。
反対に、人のいい部分を引き出すってのは、アメリカ人はよく口にはするが、実は難しいことだと思う。
決して自分にとっては、今(?)流行ってそうな、『いかにこどもを怒らせずに育てるか』ってのは、正直ありえない。叱ってないと、成長なんてできないと思ってる。ただ、それと、『人格否定をするか』ってのは、全く別の問題。
こどもも一人の人間として、自分の価値観を押し付けるんじゃなく、そいつが色んなことに関してどう感じてるのかを引っ張り出してやるのが必要なんだろうな、とつくづく思う。自分がそれをちゃんとできてるかどうかは、もちろん別なんだが…。
Jesus loves y’all.




