これまで何度も書いたとおり、去年の7月以来、うちの教会は単立無牧放浪教会。教団に属さず牧師もいないし長期的に借りてる建物もない。人数も少なく、雰囲気もカジュアル過ぎるんで、礼拝っつうても、傍から見ればバイブルスタディに毛が生えたようなものに違いない。場所も保育所の小部屋だったり信徒の自宅だったりなんで、当然のことながら、以前のように思い切って音楽も演奏できないし、別室でのチャイルドケアってのもなし。毎週の礼拝とバイブルスタディ、祈祷会以外のことを定期的にやる余裕もなし。
かつて持っていたものの殆どがなくなって、最低限の礼拝に近い状況かも。
でも、だからこそ、「教会とは?」とか、「礼拝とは?」とか、「(『なぜ』あるいは『本当に』)牧師は必要なのか?」とか、色々なことを改めて考えなおすことができた半年だったと思う。いや、まだ当分答えは出ないかな。
そんな調子なんで、どう教会を宣伝すればいいのかわからない部分もあるし、それ以前にウェブサイトやfacebookページからの問い合わせさえも殆どない。(笑)
牧師がいないもんで、毎月一回だけ近辺の他教会から先生をお招きしてお話していただいてるんだが、それ以外は教会員が持ち回りでメッセージや証をしたり、そうじゃない日は誰かが事前に聖書箇所やトピックを選んで色々話し合ったりしている。
過去7年半以上、礼拝でのメッセージを録音してウェブサイトに載せてきた。今でも相変わらずそれを続けていて、メッセージがなくて出席者達での話し合いの日も録音して、毎週アップロードしてる。
そこで、最近気づいたことがあった。
メッセージの方はともかく、話し合いを録音したのを改めて客観的に聴いてみると、なんだか、ラジオ番組みたいなんよな。基本、自分を含む3人が中心にベラベラ喋って、時々他の人達にふるという感じ。たまに話が脱線しまくったりするけど、それはそれで、全然違う方向からの見方に気付くことがあるし。
「礼拝はこうあるべきだ」とか「どうせあいつらが喋ってんだろ?」とかいう偏見や固定観念を一旦捨てることができたら、もしかすると、こういうのが好きという人達も中には少しぐらいいるんじゃないかと。
そういうわけで、興味ある人は、こちらのページへ行って、去年から時々入れてる『信徒礼拝』とか『証・分ち合い』ってのを聴いてみてくれたらと思う。
Jesus loves y’all.




