先週に続いて、今日の礼拝後、カフェに移動して聖書を読んでた時の話。今日の参加者は5人。
聖書には色々な翻訳があるが、毎回みんなそれぞれ違う訳を持って来て、色々な表現を比べながら読んでいる。
現在日本の教会で最も使われてると思われる新共同訳では、旧約聖書のエレミヤ書14章19節にこう書いてある。
「それに対して、主はこう言われた。『あなたが帰ろうとするならわたしのもとに帰らせわたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず熟慮して語るならわたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ。』」
この「あなたが軽率に言葉を吐かず熟慮して語るなら」という部分、新改訳では、「あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら」、口語訳では「あなたが、つまらないことを言うのをやめて、貴重なことを言うならば」となっている。
誰かが読んだこの箇所を、別の誰かが多少ニュアンスが違うことに気付いた。自分が持ってた教材は、その2人が持ってるのと違う新共同訳だったので、どう書いてあるか説明した。
「何も考えずに喋るんじゃなくて、ちゃんと考えてから口を開け、ってことなんじゃねぇの?」
案の定、数秒間沈黙が続いた。
「んな、無理だって。」
そりゃ、うちの教会じゃ無理かもなぁ…と思ったが、あえて口には出さなかった。(笑)
「確かに、イエス様も言ってるよね。『口から入ってくるものはいいもので、口から出るものは悪いものばかり』とか、なんかそんな感じのこと。」
調べたら、マタイによる福音書15章11節に、ちょっと違うけど、「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」と書いてある。
「あとさ、イエス様は『何を食べようか思い煩うな』とも言ってるよね。」
マタイによる福音書6章25節の、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。」って箇所だ。
「それって、旧約聖書の律法の、『あれも喰っちゃだめ、これも喰っちゃだめ』ってことに対してイエス様が言ってんだって、アメリカ人の友達が言ってた。」
ちょっと強引なこじつけのような気が、一瞬だけしたけど、よく考えると、「そういうことに囚われるな」という意味では、それもありかも。確かに、律法では豚とか甲殻類とか、禁止されてるものがやたらと多い。
「そういえば、ユダヤ教の人達は親子丼だめなんだよね。」
「え? 豚肉じゃないじゃん。」
「鶏肉と卵は親子なんで一緒に料理したらだめなんだって。」
「あと、牛肉と牛乳もね。」
これは、旧約聖書に3度書かれている「子やぎをその母の乳で煮てはならない」というのから来てるようだ。日本語聖書では『子やぎ』と訳されていて、英語の聖書でも『young goat』になってるのが多いようだが、原語のヘブライ語を直訳すると、単に『子』となるらしく、ユダヤ教で使われている英語聖書でも単に『kid』となってるのがあるそうだ。自分も実際に原文をGoogle翻訳にかけたら、『kid』となった。文脈から『子やぎ』と訳されたのかもしれないが、『母と子』を一緒に料理するのは禁止という理解が多いらしい。
卵に関してはユダヤ教の中でも色々意見が分かれるらしいが、旧約聖書の申命記22章6~7節に、「たまたまあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣を見つけ、それにひなか卵が入っていて、母鳥がひなまたは卵を抱いているなら、その母鳥を子といっしょに取ってはならない。必ず母鳥を去らせて、子を取らなければならない。それは、あなたがしあわせになり、長く生きるためである。」と書いてあり、それに「母と子を一緒に料理」ってのを併せて、鶏肉と卵の組み合わせがよくないという結論になってるとか。
つまり、親子丼はだめ。
豚肉も禁止なんで、カツ丼もだめ。
海や湖に住む生き物は、エビやカキのような、うろこやひれのないのが禁止なんで、天丼もだめ。
結局律法によると、一般に出回ってる丼物で食べていいのは牛丼くらいということに落ち着いた。
せっかく真面目に聖書の勉強をしてたのに、結局こんなことで盛り上がったのかとも思ったが、日本人として、イエスにより律法からの解放がもたらされてることを、改めて感謝する時となった。
Jesus loves y’all.




