国会議員と横綱と

小学校4年生か5年生だった頃の話。

これは、日本の大半で同じような感じだろうが、当時の東城町も、歩行者はおろか車でさえもあまり走ってない現在とは違い、どの商店街も結構賑わっていた。昼間にはチリ紙交換やアサリ売り、タンス屋や衣類屋の宣伝など、色んなトラックやバンがスピーカーから音をだして走り回っていた。夜も、軽トラで周る石焼き芋やチャルメラの音が聞こえてた。

当然のことながら選挙運動の車もあった。いや、選挙じゃなくても、代議士が講演会をする時の宣伝用車もやたらと走ってたかも。

今でこそ東城は、2005年の『平成の大合併』以来、庄原市の一部だが、当時は庄原というと、あくまで隣の町という感覚で、合併時には既に在米17年だった自分にとっては今でもそういう感じだ。

庄原というと、ある国会議員の地元。とりあえずここではその人の異名を使って『ドンガメ代議士』としておこう。後に自民党の大物として活躍し、運輸大臣や建設大臣まで務めた人だ。

とにかく、ドンガメ代議士のポスターは町中に貼られていた。それこそ、選挙中じゃなくても講演会や後援会などで、常にどこかに貼られてたような感がある。

そして、自分が小学生だったある日、選挙運動中のドンガメ代議士が、有権者達と握手をしながら歩いていた。

その後ろには、2、3台の車がゆっくりと付いてきていて、パレードのようだった。すると車のスピーカーから、有名人の名前が聞えた。横綱の輪島が、ドンガメ代議士の『応援』ということで、一緒に来てるとのことだった。友達と一緒に下校中だった自分は、昔も今も相撲には興味がないが、そんな自分でも知ってるほどの名前だったし、あの山奥の田舎で有名人に会える機会なんて滅多になかったので、すぐその車に行って握手をしてもらった。車の中からだったが、とにかく顔も手もでかかった。自分が憶えてる限りでは、握手は勿論、生まれて初めて間近で見た有名人だった。

ゆっくり進むドンガメ一座を後にし、自分はそのまま自宅へ向かった。

当時実家のお向かいさんはバスの停留所だった。バスの切符を売るだけじゃなく、お菓子屋や食堂も兼ねてたので、いつも人が多かったが、その日は選挙運動の『パレード』を待つ人達もいて、普段よりも大勢の人達がいた。通常あまりそういうことに興味を示さないうちの親父が、何故かその日はバス停の前の人混みの中にいたので、自分もランドセルを家に置いて、親父と一緒にいた。

すると、ドンガメ代議士が、その人混みの中で親父を見つけ、自ら歩み寄って挨拶してきた。それに対して、何か言いながら頭を下げる親父。普段は政治家なんか批判しかしないし、後援会とかも全く関わってないはずの親父なのに、超不思議な場面だった。

その晩、親父に尋ねてみた。「あの人、なんで知っとるん?」

「国の政治をやっとる人では、唯一、じっくり語り合ったことがある人なんよ。」 …という程度の返事だったと思う。あまり詳しくは語らなかった。

それから20年以上経ち、他界する2、3年前の親父が、改めてあの日のことを語ってくれた。

「(ドンガメ代議士に)一度会うて色々話した時に、『(東京目線からばかりじゃなく)農村部の人々にも伝わる政策ってのをされた方がいいんじゃないでしょうかね。』とか言うたんよ。そしたらのぉ、輪島呼んで来て歩き廻って、そうしときゃぁ田舎の連中は喜ぶ思うたんじゃろう。それっきりじゃったのぉ…。」

バカにしとるんかと言わんばかりに、呆れ顔で語る親父だった。

輪島と握手した5、6年後、自分は留学のために渡米。翌年の夏休みに一時帰国した。

親子で観戦』でも書いたとおり、今でこそ複数のプロレスサイトを運営する自分だが、日本にいた頃はプロレスを観に行かせてもらえる環境にいなかった。恥ずかしながらも、人生最初のプロレス生観戦に行ったのはこの帰国中だった。1988年7月6日、母の同級生で歯科医のI先生が連れて行ってくださった全日本プロレスの岡山県新見市大会だ。

入り口で、やってくる客に挨拶をしているザ・デストロイヤー。

小さい会場の小さい控室に、悪役だったため外人選手達と一緒に窮屈そうに座るラッシャー木村。

解放されてなかった二階席の隅で、ジャイアント馬場と2人で座って話をしている負傷欠場中のジョン・テンタ (元力士の琴天山)。

メインイベントに出場予定だが、会場の後ろの方に椅子を出し、度の強いメガネをかけて他の試合を観戦するド近眼のスタン・ハンセン

田舎ののどかな場所だからか、テレビ中継が入りそうな会場では想像できない光景がいくつかあった。

当日の試合結果(左側が勝者):

  • 菊地 毅 vs 北原辰巳
    ※ 時間切れ引き分け
  • マイティ井上 vs 百田光雄
  • 渕 正信 vs 小川良成
  • 大熊元司 & 永源 遥 vs 寺西 勇 & 小橋健太
  • ザ・デストロイヤー & デビッド・サンマルチノ vs 高野俊二 & 高木 功
  • ジャイアント馬場 & ザ・グレート・カブキ vs ラッシャー木村 & 鶴見五郎
  • 輪島大士 vs ミッチ・スノー
  • タイガーマスク & 仲野信市 & 田上 明 vs 天龍源一郎 & サムソン冬木 & 川田利明
  • スタン・ハンセン & テリー・ゴディ & レオ・バーク vs ジャンボ鶴田 & 谷津嘉章 & 石川敬士

阿修羅・原は、解雇される前後か何かで、出てなかったなぁ。
(追記: facebookでコメントをくださった方によると、前日の大会で前額部に裂傷を負ったための欠場らしい)

輪島は、ミッチ・スノーという、アメリカ人だがなんとなく大仁田厚に似た選手に数分間で勝利。なんか、とりあえず出場といった印象だったけど…。

今でこそ、WWEのザ・アンダーテイカーを含め、世界中で多くの、特に大型の選手達が使うチョークスラムだが、元々は輪島が相撲時代に得意とした喉輪をヒントにして始めたゴールデンアームボンバーから発展した技だ。

元横綱の打たれ強さを引き出そうと、容赦なく攻め続けてくる天龍源一郎と、その攻撃に耐える輪島の激しい抗争を見て、当時新日本プロレスに戻っていた前田日明が危機感を感じ、それが後にUWF、そして総合格闘技へと発展していったというのはプロレスファンの間では周知のとおり。

プロレスラーとしては決して評価は高くなかったが、振り返ると遺した功績は大きい。

別にファンってわけでもなかったのに、人生初めて握手した有名人も、初めてプロレス生観戦した時に出てたのも輪島だったと思うと、なんとなく不思議な縁を感じる。

RIP…

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