確か、夜中に一度目が覚めた後の夢だったんで、今朝だったんだろう。
どこか、山奥のリゾート施設で、教会か何かの修養会っぽいイベントに参加していた。
ラウンジにグランドピアノがあったんで、ここぞとばかりに、音楽の相方を呼び出して、色々と打ち合わせをしていた。
すると、日本人じゃない人達が5、6人で、ラウンジに入って来た。なんと、世界的に超有名なミュージシャンと、その取り巻きっぽい連中じゃねぇか。
「このピアノ、当然俺に使わせてくれるんだよな?」…とは言わなかったが、どんどんピアノの方に近づいてくる連中に、「当然でございます。」とばかりに譲る我々。
「どけてくれてありがとう。」とも言わずに、早速ピアノの前に無言で座るその人。
思わず見とれて、スマホを出して写真を撮ろうとする、うちの相方。
その人は表情変えずに、ピアノの鍵盤を見つめながら「カメラはやめてくれ。」と一言。彼女は即スマホを片付けた。
自分はいつもベルトに付けてあるホルダーにスマホをはめてるんだが、シャツが間に挟まって、スマホが落ちかけてることに気付き、一度外して、再度はめようとした。
するとその人が、これまた表情変えずに、「カメラはやめろって言ってるだろ。」と言ってきたんで、こっちは、「いや、スマホをホルダーにはめ直してるだけですが…。」と返した。
だが、その人は相変わらず表情を変えず、こっちを見ることもなく、「とにかくやめろ。」と言ってくるんで、自分も、「だからぁ、撮ろうとか思ってたんじゃなく…」と言いかけたら、「そんなの信じるか。」と返してきた。
「前々から気難しいとは聞いてたが、噂以上のじじいだな。」…とはあえて言わずに、しょうがないので、自分は建物から外に出て一人でその施設の大きな庭を散歩した。
別にブチ切れて目が覚めたというわけでもなく、その後も散歩をする中で数人の知り合いと会ったような記憶がある。
だが、なんで、自分もその人のファンなのに、冷たくあしらわれる夢なんか見たんだろう。
今の自分は、そんなにイライラする理由がないと思うんだが、なんであんなストレスが溜まってるのか、またはプレッシャーの中に生きているかのような夢を見たんだろう。
色々考えながら、教会へ行く準備をしていた。
何度も書いてるが、うちの教会には牧師ってのがいないんで、教会員が順番に説教をしたり証や分かち合いをしている。今日の当番は、自分の音楽の相方だった。
テーマは『トラウマ』だった。気が向いた人は、このページにある11月25日分のを聴いていただけたらと思う。
彼女の話を聞いてて思った。もしかしたら、自分も、忘れてるとか水に流してるとかじゃなく、無意識に一生懸命封印してて表に出て来てないだけの心の傷の様なものがあるのかもしれない。いや、多かれ少なかれ、誰もが何かしらそんな感じのものを持ってるんだろう。
そういうものを、全て心の奥底から引っ張り出して手放せる、そういう自分になれるように祈っていきたいと思った。彼女も話の中で言ってたように、過去に起こったどうしようもならないことや、未来の操作できないこととか、自分ではどうにもならない何かに囚われているんじゃなく、自分は自分のままでありたいというか、そんな感じか。
しかし、なんでこのタイミングでボブ・ディランが、それも嫌な感じで夢に出てきたんだろう。一時よく見てた松田聖子の夢とは別の意味で、非常に妙な感じがした。
Jesus loves y’all.




