1980年代前半、自分と同世代(現在40代後半)の男性なら、大半がテレビでプロレスを観ていたのではないだろうか。
アントニオ猪木率いる新日本プロレスではタイガーマスクが社会現象と化し、長州力も(やっと)トップ選手として売り出されるようになった。一方、ジャイアント馬場の全日本プロレスは、超アイドル的存在だったテリー・ファンクを筆頭に、正に『外人天国』だった。
興行戦争も始まり、お互い選手を引き抜き合った。新日でのタイガーマスクのライバルの1人で昨日(12月5日)他界したダイナマイト・キッドも、タッグパートナーのデービーボーイ・スミスと共に全日に移籍。スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シン同様、新日で人気を得た後、全日でも活躍した。
だが、体調の低下と共に、30代後半にして引退。その後、左足麻痺や心臓病、脳梗塞などが続き、以前放送された番組でも見られるように闘病生活が続いた。
キッドの死について、某アメリカ人ジャーナリストが書いてたことが気になった。
トム・ビリントンの人生は、人気選手として大活躍し、業界に革命をもたらしたと言っても過言じゃないが、リング上の栄光とは裏腹の人生を過ごし、「正にダイナマイトのごとく、砕け散った後は、元に戻せなかった」ってこと。
確かに、気難しく冷たいと言われる性格で、決して多くの人達から好かれるような人間じゃなかったというのは、よく聞く。夫人が付き添ってくれてたとはいえ、もしかしたら闘病続きの晩年は孤独だった可能性もある。正に、爆発し切ったという感じだろうか。
そのジャーナリストが言うように、1人の人間としては「元に戻せなかった」のかもしれないが、キッドのプロレス界での偉業を考えると、後世に遺したものが十分大きいのは多くのプロレスファンが認めるとこだろう。
長年の苦しみから解放された今、故人の魂の癒しを祈りたいと思う。
Jesus loves y’all.




