「オフコースの小田じゃなくて、『織る』という字、『織田信長』の織田なんです。」
おそらく自己紹介する度に、この一言も付け加えなきゃならなかったんだろう。自分も初めて会った時にはそう言わせてしまった記憶がある。
今週日曜の早朝、携帯電話の音が鳴ったんで、確認したら、日本の友人からのLINEのメッセージが入ってた。それ自体は大した用事ではなかったが、まだまだ眠たかったのに、何かしら気になったんで、ついでにfacebookも開いたら、織田さんのご近所の方からの投稿で悲報を知った。日曜の朝っぱらから、頭の中が真っ白になった。
とにかく、いつも笑顔の人だった。時として、自分の冗談がきつかったり、実際からかったりすることもあったんで、「調子にのるんじゃねぇぞ、このガキ。」とも言わんばかりの鋭い目つきをすることもあったが、それでも笑顔は崩さなかった。
仕事は「インテリアデザイナーみたいなことをやってる。」とか言ってたが、画家、マラソン選手、そして栄養士の資格もあるとかで、色々な面を持つ人だった。うちの教会でも、料理をしてくれたり、栄養講習会を開催してくれたり、教会の水が美味しくないからといって、自宅のフィルターを使ってボトルに水を入れて、わざわざ持ってきてみんなに分けてくれたりもした。
たまに『壁』や『影』を感じさせることもあり、もしかしたら、多くの人に心を開くことがないのではないかと思わせることもあったが、普段は非常に親切な人で、正に『gentleman』という言葉が似合ってた。
2002年の中頃だっただろうか。織田さんがうちの教会に来始めたのと同じ頃だったと思うが、もう1人、初めて礼拝に出席した人がいた。彼女は一度っきりで、それ以来、顔を見せることはなくなった。だが織田さんは、彼自身まだうちの教会に来て間もなかったにも関わらず、親切にも、彼女にクリスマスイブ礼拝の案内のカードを送った。
それがきっかけで、彼女は再びうちの教会の礼拝に出席し、毎週通い始め、翌年夏には洗礼を受け、正式に教会員になった。そして2004年春、彼女と自分は共に音楽活動を始めることになる。以来、牧師がいなくなり、本拠地を失い、会員数が激減した今でも、うちの教会の一員として支えてくれている。
織田さんからの一枚のカードがなかったら、うちの音楽の相方はイエス様に出逢えてなかったかもしれない。自分も、毎週日曜の礼拝や毎月マンハッタンでやってる集会での伴奏以外ではピアノを弾くことがなかったかもしれない。日本はおろかニューヨーク周辺の教会を2人で演奏して周ることなんてなかっただろう。
来週土曜のメモリアルサービスでも、短いけど2人で一曲やらせていただく予定。
彼女にとっては勿論、自分にとっても、そしてうちの教会にとっても、恩人だった。
どうせそんなことを本人に伝えたところで、ニッコリしながら数秒間言葉を考えて、
「そうだったっけ。」
とか、照れくさそうに言うんだろうけど。
織田さんの魂とご遺族の癒しを祈りつつ。
Jesus loves y’all.




