帰国

「今日は父ちゃんの命日じゃ。」

4月6日。土曜日。

家族3人でニューヨークから帰国し、広島県内の姉のアパートに夜遅く着き、2人でキリンラガーの缶を開け、飲もうとしたら、姉が呟いた。もうあれから7年経つんか…。

もちろん日付でも覚えているが、どちらかというと自分は、親父が天に召されたのがあの年の受難日だったという気持ちの方が強い。そして3日目の朝は、親父の入った棺桶を会堂に置いたままでのイースター礼拝で、午後に葬式だった。

そんな感じで、これまでの数回の帰国は、身内や世話になった人が死んだとか体調が良くないから会っておくべきだとか、辛い理由の連続だった。

だが今回はこれまでとは逆に嬉しい理由での帰国。プライベートなことを書くと本人達に叱られるかもしれないので内容は省くが、そのめでたい用事は早い方がいいと思い、着いた翌日に済ませた。

以降、毎晩姉と酒盛り。もちろん田辺家伝統のキリンクラシックラガーが中心。普段は第三ビールとやらが多いらしいが、せめて自分が帰国する時くらいはちゃんとしたものを飲ませてやりたい。

水曜には、付近に住んでいる同級生2人、そして3人いる姪のうちの長女と一緒に居酒屋へ。姪は途中でダウンして帰宅したが、我々同級生3人は平日だというのにカラオケへ。2、3回延長したような記憶がある。

金曜には、嫁さんとせがれが県内の別の町にある嫁さんの両親宅に移動。残った自分は日曜、姉や姪達と再びカラオケへ。

居酒屋やカラオケ以外にも、広島県人にとって『必須』のお好み焼き屋はもちろん、ラーメン、うどん、寿司、手打ちそばと2年前とほぼ同じ店を周ることができた。焼肉は行けなかったし、居酒屋でお目当てだった鶏刺身セットは無かったが、超久々に鯨の刺身も喰えたし、全体的には満足。

その後は単独行動で、月曜に大阪、火曜と水曜には東京に1人で泊まり、木曜に羽田で家族と合流。

滞在中、多くの人達と会うことができた。

ニューヨークのうちの教会から帰国した人達。大半とは2年前の帰国にも会ったが、中にはその時に会えなかった人もいたし、今回は公式な集会ではなく、どちらかというと飲み会だったので、ゆっくり語り合うことができた。とはいえ、殆ど自分ばかりがベラベラと喋ってたような気がするが…。

3回に分けてプロレス関係の人達とも会った。本を出したり雑誌に記事を書いてる人達や、数年前にfacebookで知り合った人達に初めて会うことができたし、一般庶民が使い始める前の、まだウェブサイトというものが少なかった時代のインターネット上で共にプロレスを語り合っていたという、彼是20年以上の付き合いになる人達と久々の再会もあった。

かつて故郷の母教会で38年間牧師をしていた先生ご夫婦と、その息子で自分の幼馴染にも会うことができた。そのご夫婦は、自分にとって第二の両親みたいな存在だし、その家族自体、血のつながった親戚以上に親戚っぽいような気がする。「我が子のように育てた。」と言われた時には、本当にうれしかった。

今の自分があるのも、こういった人達のおかげだ。

ニューヨークに戻ったのは昨日の朝。午後から寝たり起きたりで、夜になると、せがれもぐったりしながら、ベッドにやってきた。

「父ちゃん、また日本に行きたいよ。」

「いつか父ちゃんの故郷にも行ってみるか? もう誰も父ちゃんが生まれ育った家には住んどらんけど。」

「どうして誰も住んでないの?」

「だって、父ちゃんがニューヨーク、伯母ちゃんはこないだ行った町で、叔父ちゃんは東京じゃろ? んで、じいちゃんもばあちゃんも死んどるけぇ、もうおらんし。」

「僕、じいちゃんと会った時、(まだ0歳だったんで)お話しできなかったよ。じいちゃんとお話ししたかったなぁ。」

とか言いながら、いつの間にか眠ってしまった。なんか、似たような会話を、帰国前にもしたんだが、本人なりに色々考えてるらしい。

とはいえ、うちら夫婦のベッドに、それも斜めに寝転がられても困るんで、本人のベッドに連れてったら、しばらくして泣き始めた。

「なんや、何か悲しいんか?」

「悲しくないよ。」

「なんで泣いとるん?」

「わかんない。」

「寂しいんか?」

「うん。また日本行きたいよ。伯母ちゃん達に、いつ会うの?」

「9歳か10歳になったら、また行こうか。」

そう話してるうちに、やっと寝てくれた。

自分も、どうせ時差ぼけで朝まで寝られないんだろうと思いながらも、ベッドに戻った。

しばらくすると、せがれがまたやってきた。普通なら追い返すが、感情的になってるみたいだし、どうせ自分も寝れないんで、やめといた。

「しょうがねぇ。今日は特別じゃ。ここで寝ていけ。」

せがれはすぐに眠ってしまったが、こっちは案の定全く寝れず。色々考え込んでいた。

毎日ニューヨークで忙しく過ごしてると、いつの間にか時間が経っていくが、時々帰国し、改めて過去のことを振り返ることによって、未来をどう生きていくか考えさせられるという、仕切り直しの機会を増やすのって、大事なような気がした。

30分くらいした頃だっただろうか。せがれが寝言で言った。

「ありがと…。」

もちろん誰に感謝しているのかはわからない。お菓子か玩具をもらった夢を見てる程度なのかもしれない。

でもその時、自分の中に、今回時間を割いて自分に付き合ってくれた多くの人達に対する感謝の気持ちが湧き上がって来た。

そして誰よりも、全てを可能にしてくれた神様に。

そんな気持ちで迎えることができた今年の受難日だった。

Jesus loves y’all.

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