お盆

8月14日。

日本ではお盆。厳密にはお盆ってのは旧暦の7月15日で、太陽歴での8月15日が定着したってことらしいが、通常13~15日をお盆として過ごす。

うちは両親もクリスチャンで、 平日の夜でも祈祷会にでかけたり、親父も長年教会で役員やったり、礼拝でも司会をしたり、色んな面で教会にどっぷり浸かってた。

お盆ってのは、元々神道の先祖崇拝が仏教の何かと混ざった行事らしいんで、 本来キリスト教的には、「ありえねぇ」ってやつなんだろう。でも結構前から、そういう宗教色は薄れたものになっている雰囲気だし、多くの日本人にとっても、家族や親戚で集まって故人や先祖を『崇拝』ではなく『偲ぶ』行事という感じじゃないだろうか。キリスト教にも、クリスマスみたいに、異教の行事と混ざってると言われるものがあるんだが、正直、変な方に流されずに、自分の信じているものがブレることさえなければ、そこまで『異教』だの『偶像崇拝』だの、大騒ぎすることじゃないと思ってる。信仰生活の中で、もっと大切なことがあるはずだし。

いずれにせよ、我が家ではあまりそういうことを気にしなかった。商店街の神道系のこども行事には、時々「あんたのとこはキリストやっとるのに、来てもええんか?」とか近所のおばちゃん連中に嫌味なことを言われながらも参加してたし、学校の集団訓練で座禅を組むのが入ってた時なんか、多少議論はあったものの、親父が「それも経験じゃ。堂々とやってけぇ。」って言ってきたもんで、結局参加したということもあった。

お盆に関しては、毎年親父と墓参りに行くのが楽しみだったくらいだ。町内の複数の墓地を車で周って、最後に『本家』に向かい、こども達を含め8~10人くらいで墓参りを済ませた後、そこの庭でバーベキューや流し素麺をする。結局それが目当てみたいなもんだったが。

ある年の盆、本家に向かう前の別の墓地で2人っきりの時、親父に訊いてみた。

「クリスチャンなのに、お盆とか墓参りとか、やってええん?」

全く悩むことなく、親父が答えた。

「 拝んどるわけじゃねえし、 宗教がどうであれ、どういう葬られ方をしたかも含めて、死んだ人らを敬わにゃぁいけんぞ。」

妙に説得力があった。そのせいか自分も、友人知人宅に行って、「線香立ててやってください。」とか言われると、戸惑うことなく、仏壇に向かい、線香立てて手を合わせ、でも心の中では神に向かって、その故人の魂の癒しのために祈る。そして、会話の中で機会があれば、自分はクリスチャンだということを伝える。でも中には、最初からそれを知ってるのに、わざわざ「わかってるんですが、線香あげてやってください。」とお願いしてくる人達もいる。いずれにせよ、ご遺族の気持ちを思うと、頭ごなしに「いや、自分はクリスチャンなんで。」とか言って拒んで、相手との間にわざわざ壁を作って、お互い気まずい雰囲気にするということは、少なくとも自分はしたくない。聖書の中でイエスが教えていることを考えると、変に律法的になって『自分の宗教』を押し通すことよりも、相手に少しでも思いやりを持って接することの方が大事だと思うからだ。

母ちゃんが天に召されて今日で10年。あの日からちょうど1年後には、嫁さんを検診に連れて行き、胎内に命が芽生えているということを2人で初めて見ることができた。だが、せがれが1歳になると間もなく、今度は親父も天に召された。他にも色々あって、あっという間の10年だったが、やっぱ今でも時々両親に会いたくなることがある。

自分にとってお盆ってのは、母ちゃんの命日、そして親父との思い出。

神様が、この時期に両親を偲ぶきっかけを与えてくれて、「もうちょっと日本人らしくしてもええんよ。」って言うてくれとるんじゃねぇかと思うこともある。

Jesus loves y’all.

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