1987年4月、自分は留学のためにアメリカにやって来た。日常生活における面では当然のことだが、ある程度楽しみにしていた分、アメリカのプロレスにも大きなカルチャーショックを感じ、色々な面でかなり幻滅させられた。「これでもプロレスの本場なのか?」と、疑ってしまった。
- スタジオ収録。当時の日本では、テレビ局のスタジオに集まった百人いるかいないかのような観客の前での試合なんて想像できなかったし、日本で毎週少なくとも2千人くらいは入ってる会場からの中継を見ていた自分には、全体的にかなり安っぽく見えた。
- 対戦相手不在なのに何故かテレビカメラに向かって叫びまくるインタビュー。今では通常『プロモ』と言うが、当時もそういう言い方をしていたのかは覚えてない。今でも毎週のWWEの生放送なんかは最初の20分以上が喋りだけで終わったりすることがある。自分が渡米した後くらいから、日本のプロレスでも時々やってるのを見るようになったが、今でも日本人がやってるのを見ていると、違和感があるのが正直なところ。
- 『スクワッシュ・マッチ』。試合前から、見ただけでどちらが勝つかほぼ明確な、わずか数分間で終わる、主にテレビ番組向けの試合。この類の試合とインタビューだけで番組が終わることなんて、全く珍しくなかった。
- こども向けのギミック。主に当時のWWFの話だが、それまで活躍してきた名レスラー達にも、平気でリングネームを変え映画のキャラかアニメのような恰好をさせたりで、情けなかった。
- 今や伝説の女子プロレス団体『GLOW』。リングとは全く関係ないところで、わざとらしいドラマをやったり、リング上でみんなで踊ったり、今では珍しくなくなったが、当時はWWFでさえもここまで酷くなかった。良くも悪くも後のアメプロ界に大きな影響を及ぼした。
全ての面で頭をかしげてしまうような感じで、例えば、自分がテレビでプロレスを見ていて、他の誰か(特にアメリカ人じゃない場合)がそばに来たりすると、「テレビつけたら、こんなのやってたんだよ…。」と、プロレスファンであることを隠したくなるくらいだった。
4と5は、それぞれ特定の団体のことなんで論外として、1から3はこの国の多くのプロレス団体に共通することだった。とにかく全てが、渡米した頃の自分がアメプロについて大嫌いな要素だった。
だが、どうしたことやら。
一昔前のある日、自分が30代前半の頃だっただろうか、当時高校生だった奴と一緒にチャイニーズフード(『中華料理』とは言えないアメリカ人向けのもの)を喰ってる時、そいつが言ったことを思い出す。
「アメリカに来た頃って、こんなの喰えたもんじゃねぇとか思いませんでした? それ考えると、今、こんなのを平気で喰ってる俺達って、もう終わっちゃってるんですかね。」
嫌だと思ってたものでも回数を重ねて慣れただけなのか。それとも歳を重ねて色んなことに寛容になったのか。
今では、スタジオ収録も、プロモも、スクワッシュマッチも、全て含めて、毎週火曜夕方6:05からYouTubeで放送される『NWA Powerrr』が、なぜか毎回待ち遠しいのである。
もう終わっちゃってるんですかね。(笑)
Jesus loves y’all.




