ニューヨーク市内の状況が世界的に報道されていることから、国内外問わず、多くの友人からの連絡が増え、それ自体はありがたいが、市内で看護師など医療関係の仕事をしている友人達から色々話を聞くと、心が痛み更に祈っていこうと思わせられる。
我が家は郊外で、比較的落ち着いているとはいえ、必要以上の外出は避けてるわけで、週に一度、嫁さんが食材の買い出しに行ってくれたり家族で散歩に行ったりする程度。
外での活動が大幅に減り、家に籠る生活が続くと、それまでの生活習慣にも変化が訪れるのは当然のこと。忘れかけていた大事なことに気付くこともある。
当初は、どうせ仕事も殆どなくなったことだし、飲みまくる気で、いつものビール『ブルックリン・ラガー』に加え、日本酒や焼酎などを小瓶で色々買い溜めしてみた。そのうえ、うちの嫁さんは、ヨーロッパや南米からワインやハードリカーを輸入して酒屋や飲食店に卸す会社に勤めているので、色んな酒が無料で手に入り、我が家にも結構置いてある。通常自宅ではビールしか飲まず、他のものを飲むのは客が来ている時くらいだが、今回は時間的に余裕がありそうなので、長い間置いたままで宝の持ち腐れになりかけているウィスキーやブランデーも色々試してみるつもりだった。
だが、いざ外出が減ると、いつでも好きな時に肴になる食材を買いに行くことが少なくなったせいか、かえって飲む量も減ってしまった。
その一方で、欲しいものばかり食べているわけではなく、普段あまり食べないけど置いてあるからとりあえず食べてみるというものも増えた。
先日、カップラーメンでも食べようかと思い戸棚を開けると、まず目に入ったのがカップ焼きそばだったので、久々に食べてみた。別に嫌いというわけではないが、なぜか自分で買うことが殆どないことを考えると、結局そこまで好きではないということなんだろうか。
フタを開いて、具を入れて、熱湯を注ぐ。フタが開かないように、箸と後で入れるソースを上に乗せておく。
3分間待ったあと、フタの湯切り口を開き、湯を捨てる。
だが、フタを開けようとしたその時、自らの失敗を恥じることとなった。
はがしたフタのその裏に、やたらと具が張り付いてるではないか。それを箸で取り除きカップの中にぶち込むという作業だけで、長い場合は30秒以上という、湯を捨てたとはいえカップ麺にとっては致命的かもしれない時間を要するのだ。
自分は元々そうなることを防ぐために、具を入れる際、麺を少し持ち上げて、その下に入れ込むようにしていたはずじゃなかったのか。
長い間カップ焼きそばに手を出していなかったが故の結果だった。
外での活動が大幅に減り、家に籠る生活が続くと、忘れかけていた大事なことを再発見することがあるのだと、つくづく実感した。
また、カップ焼きそばに魅力をあまり感じないということも、改めて確認することができた。
こんなくだらないことを書ける平和な状況を神様に感謝しつつ。
Jesus loves y’all.




