いつ頃からか、『カリスマ』という言葉が、やたら乱用されているような気がする。本当にこの言葉が当てはまる人物って、実はそんなにいないのではないかと思うこともある。
20年以上前のこと。
当時はよく、近所で友人のKさんが経営していた日本食デリまでラーメンを喰いに行っていた。その店ではニュージャージーに本店を持つパン屋チェーンの商品も売っていた。
蛇足だし、記憶違いかもしれないが、確かそのチェーンは日本人のSさんが韓国人のパートナーと始めたか共同経営していたとう話を聞いたことがある。その韓国人が、うちの嫁さんの大学時代の友人の叔父さん(伯父さん?)だとか、そんな感じだったような。
そのSさんは2008年夏、うちら夫婦が日本に帰国中にニュージャージーの自宅の火事で他界。数回しか会ったことがなかったが、『恩人』の死はショックだった。今回の話は、Sさんと最後に会った時のこと。
ある日Kさんがある人の名刺を渡してくれた。「Sさんが、『田辺さんって大ファンなんでしょ。これあげといてよ。』って。」
あくまで本業で世界的に有名になった人だが、色々な事業に手を出していたことでも有名だった。確か当時は自宅のあるカリフォルニアと日本を行ったり来たりしていたと思うが、Sさんの店で売ってほしい商品があるということで会うようになったらしい。
それまで2度しか会ったことのなかった自分に対してSさんが気を遣ってくださったことは素直に嬉しかったけど、数日経つと、「本人に直接会ってないのに名詞だけ持っててもなぁ…」などと、贅沢なことを考えるようになった。
それから2、3ヶ月後だっただろうか、Kさんが、「Sさんが実際に会わせてくれるって言ってたよ。〇月〇日の朝に本店で会議するんだって。」と言ってきた。
正確な日付は憶えてないが、当日は土曜で、数人の友達とロングアイランドのジョーンズビーチに行く予定にしていた。当時の我が家からは、ニュージャージーのパン屋まで南西に向かって車で約40分で、ジョーンズビーチは南東に約1時間。全然方向が違う。パン屋からビーチは車での運転が面倒なマンハッタン経由で約1時間。
後から友達に合流するのであれば決して行けないわけではなかったが、どうも、土曜の朝だというのに早起きして、Sさんと会議しているところにお邪魔して、形だけ会ったことにするというのがしっくりこない。自分にとっては、それだけ大きな存在だったからだ。仮にもし本当に縁があるのならば、いつかまたじっくり会って話をする機会もあるだろうと思い、行くのをやめることにした。
だが当日朝、ミーハーな嫁さんが自分を起こし説得しようとする。
「ファンなのはわしじゃねぇか。そっちはあまり興味ねぇじゃろうが…。」と返してみたが、しつこかったので、「じゃぁ、途中からそっちが運転せぇよ。」ということで行くことに同意。あくまで渋々だったんで、カメラもなければ、サインしてもらうための用紙も持って行かなかった。
パン屋とはいえ、本店の中はテーブルがいくつもありカフェになっている。Sさんが実際にマンハッタンにカフェを開店するのは、確かそれより後のことだったと思う。駐車してガラス張りのパン屋に近づくと、4人の男性がテーブルを囲んでいるのが見えたが、1人だけやたらとでかい。目立ち過ぎだってば。
店に入ると、我々に気付いたSさんが寄ってきて、「ほら、どうぞ、挨拶でもしてくださいよ。」と言ってくださった。
Sさんともう1人パン屋の関係者、そして日本から来ている今回の商品の発明か何かに関わってる人もいた。
さすがに商談中、ダラダラと喋りまくるわけにはいかないので、軽く挨拶だけ済ませて、うちら夫婦はそこで朝食を取ることにした。その地域はまるでコリアンタウンのようにハングルの看板が並んでいるが、日本人も多く、会議中ではあったが、店の外から挨拶をする人達に対してもその人は手を振っていた。
こっちが食べ終わる頃、Sさん達も会議が終りみんな立ち上がる。やっぱでかいと思った。こっちの方を向き、何か言いたそうだったが、笑顔も何もないので、なんか声をかけにくそうな感じだった。幼いころからテレビで見てたようなオーラは全くなく、ただの大男にしか見えなかった。引退してしばらく経っていたのに、腰がやたらと引き締まっているのが印象的だった。
とりあえず目が合ってしまったので、こっちも会釈し、立ち上がって話かけてみた。
「実は我々、ドリー・ファンク・ジュニアご夫妻とも知り合いなんですよ。」
※ 実際に1999年4月、当時WWFで選手達を教えるために時々フロリダからコネチカットに来ていて、当時は数少ない英語で日本のプロレスの情報を提供する自分のサイトを見つけたらしく、あっちから連絡をくれて、4人で食事をすることがあった。今ではご主人の方は忘れてるかもしれないが、奥さんは憶えてくれてるはず。
「そうなんですか。」と急に笑顔になった。それから、わずか数分だったが話すことができた。
その後ジョーンズビーチに向かうために急いでその場を去った。一緒に写真も撮ってないし、サインももらってない。でも何故か後悔していない。
夕べ、家族で出かけた後の帰り道で悲報を知った。嫁さんに当時のことを思い出し半泣き状態で色々と語った。当日、拒む自分に対してミーハー精神でしつこく説得してきたことにも感謝した。
「どうせじっくり話できんのわかっとったし、なんか、もう1回くらい会えるような気がしたんよな。じゃけぇ、あの時はあまり気が乗らんかったんよ。」
「でもその1回だけってのが、よかったんかもね。」
帰宅後、脱力感の中しばらくソファに座っていた。そばにはせがれがいた。悲しさからか、思わず口から出たのは、「おい、ハグさせてくれぇ。」という一言。
11歳になり思春期も近くなると、親父にハグさせろとか言われたら気持ち悪いだろうと思い、涙が出そうなのをこらえ、何故そんなことを言ったのか説明したら、素直に寄って来てくれた。
抱きしめながら、「こどもの頃に自分のヒーローってのを見つけとけよ。ミュージシャンでも、俳優でも、スポーツ選手でも、イエス様でも、学校の先生でも、誰でもええから。」と伝えた。さすがに自ら「父ちゃんでもええから」とは言えなかったけど…。
結局、生で試合を観たのも、実際に会ったのも一度っきりになってしまった。一緒に撮った写真もなければサインもなく、記憶の中だけに残る、『豆腐パン』がもたらしてくれた唯一の対面。
いつ頃からか、『カリスマ』という言葉が、やたら乱用されているような気がする。本当にこの言葉が当てはまる人物って、実はそんなにいないのではないかと思うこともある。
でもアントニオ猪木こそ、その言葉が当てはまる存在だと思う。
あと数ヶ月で80代。
新日本プロレス50周年。
デビュー記念日の翌日。
不謹慎かもしれないが、色んな意味で『イズム』とやらを感じる。
数々の偉業に感謝。
Jesus loves y’all.