今日はNYに戻る日。10:30amごろには出て、昼過ぎには我が家に戻る予定だった。
義兄は仕事で出てったが、義姉の方は休みをとってたので、うちの嫁さんと三人で談話が長引いてしまった。
この夫婦には三人の息子がいる。今回は末っ子の高校の卒業パーティだった。彼と長男とは、先日アリゾナに行った際に会ったが、次男は来てなかったので今回が約8年ぶり。
長男は現在ニュージャージーの空軍基地に配属中で、戦争が始ってからのイラクにもいたことがあるらしい。自分にしてみれば、リベラルだとか保守派だとか、所詮政治家なんて自分達のことばかりしか考えてないとしか思ってないんで、無意味な分け方だと思ってるが、ここの夫婦と長男は典型的な『保守派』共和党なんで、そんなことは言えない。アリゾナで会った時は義兄と長男を相手に、政治に関して大議論をやってしまったので、今回は黙っとくことにした。
義姉の話を聞いてると、我々夫婦とは正反対の見解だというのがよく判る。例えば、自分は『右』に偏り過ぎてると思われるFox Newsは見ないようにしてるが、彼女にとっては、他のチャンネルが『左』過ぎるので、Foxしか見ないとか。
そして、軍隊に所属する長男のことを自慢する。軍隊を美化するような話を得々とされるとイライラしてくるのは当然。
すると、彼女が一言。
「世界平和ってのは、当然だれもが望むものだけど、でもそれは地域単位から始めないと意味がない。」
地域単位ということは、次は州単位だったり国単位だったりする。今のアメリカがやってるのは、国の平和を守るってことより、それを口実にしてよその国をメチャクチャにしてるわけなんだが、そんなことも、そうじゃないと信じてる人相手に、言ってもしょうがない。それを抜きにして考えると、彼女が言ってるのは一理ある。
ここの長男は実際イラクにも行った。激戦区じゃないとこの配属だったんで無事だったものの、リスクがなかったわけじゃないと思う。親である彼女からすると、「死んでった人達の名前を読み上げて追悼するのは当然だけど、ちゃんと生きて帰ってきた人達を祝うのも必要なのでは?」ということだった。
そこでふと思った。
自分にしてみりゃ、戦争なんて人間の愚かさの集大成で、もちろんそんなことは本人には言えないが、自分の甥は、(政治家に騙されてるという意識じゃなく)国の平和のために自分の生命のリスクを背負ってでも、国に仕えている。自分が信じてることに対して、命をかけている。
政治家達も戦争も全て愚かだって、偉そうなことを言ってるが、命をかけてでも守ろうとしてるものが実際にあるのかどうか(嫁さんは別として…)、そう考えると自信がない自分がいた。
聖書には、全てを尽くして神に仕えろと書いてある。見えるものにさえ、仕えられてないのに、見えない神に仕えるというのは、尚更難しい。
『宗教』ってのは結構簡単なんだろうと思う。だが『信仰』となると、そうはいかない。自分は『キリスト教』という宗教なんて興味はない。だからこそ、決して楽だから『信仰』の中に生きようとしてるわけじゃないってことを再確認させられた。





コンニチワ!先日、神辺であった平和のつどいに参加して、講演の冒頭に講師の先生が、「僕はキリスト教の信仰はしていないのですが、今日お集まりの皆さんに、新約聖書マタイによる福音書5章9節を送ります。」といわれHisaさんのことが頭をよぎりました。
奥様ともども、お元気そうで、なによりです。
『平和を実現する人々は、幸いである。その人は神の子と呼ばれる。』
『戦争をしないために、戦争のことを知ろう。
戦争をする国にならないために、戦争のことを知ろう。
戦争の悲惨さだけでなく、戦争で他国を荒らし、殺し、傷つけた事実を知ろう。
子どもやお母さんにとっての戦争を知ることも大切。
戦争時のくらしを知ることも大切。・・・
戦争の話を「聞いたり」「したり」するとき、その出来事を、戦争全体の中に位置づけて考えることように心がけることが大切。
実は戦争全体を見た人は一人もいない。・・・』
『戦争は人間が起こすことだから、戦争のことを知り、戦争を起こすしくみを知って欲しいのです。・・・』
いろいろな目線から見る戦争と平和があると思います。
自分に中にいろいろな目線を置いておくことが、私は大切なんじゃないかって、今は思っています。
お国のために命をささげることが、真の美徳なのか。
どちらの国の国民も、お国のため、家族のため、自分が生きていくためって戦争してるんですよね。
平和を実現させるために、一人一人が何をできるか。何をしたら良いのか。。。