何故か、故郷に帰ってみた自分。いないはずの姉家族もいる。
町の中で、AさんやBさんとばったり。「何か助けになることでもあれば、いつでも言ってください。」だと。さすが、昔から我が家のことをよく知ってるこの二人は、頼りになりそうだ。
実家だった場所、大きめの建物ができている。自動車ディーラーっぽくガラス張りで二階建て。実際よりもはるかに広い敷地なんだが、夢なんで、それもありなんだろう。
一階は何だったか覚えてないが、二階は、我が家にとっては、多少商売敵っぽい会社が入っている。
その隣にはボロ小屋。なんとか窓はあるが、隣の大きな建物からすると、倉庫くらいにしか見えない。
その中でゴソゴソしている老人一人。時々隣のガラス張りの建物に入ってっては、色々喋ってるが、相手にしてもらってない。
うちの親父じゃねぇか…。
そっか。色々あって、土地を取り上げられて、自分はそのボロ小屋に追いやられたか。
その『倉庫』に戻ってきて、なにやら、仕事っぽいことをしている。
でも、パソコンや電話はもちろん、机さえまともに無い。
母ちゃんは既に他界、社員も去ってったらしい。
なのに、大きな紙に、会社の経営方針というか、今後の目標みたいなのを三つほど書いてる。
でも、三つのうち、真ん中のには、大きく線を引きバツがしてある。あまり覚えてないけど、社員がいないと意味無い内容だったような気がする。
その隣に書いてあるのも、一部バツをして、別の言葉に書き換えてある。何度も色々書き換えて、次の手を考えてるようにも見えた。
既に病気で、目もあまり見えてないらしい。それでも、仕事をしようとしている。でも、全く仕事になんかなってない。
そういう姿を見てて、情けなくなったというか、可愛そうになってきたんで、思わず近寄って、肩を揉んでやった。
こっちを見向きもせず、「誰や?」と一言。
「わしじゃ…。」
「あぁ。女の人が、おらんかったけぇのぉ…。」
おそらく、「しばらく、働いてくれる人達もいなかったんで、肩なんか揉んでもらうこともなかった。」と言いたかったんだろう。
すると、立ち上がって、窓のカーテンを閉め始める。そのままその小屋を出てった。
自分も外に出てみたけど、既に姿が見えない。
探しても見当たらない。脳梗塞で視界がおかしくなってるし、言語障害もある。かなり心配だ。
親父と同じくらいの年齢のAさんと、どちらかというと自分の世代のBさんのことを思い出した。彼らなら、きっと親父のことを助けてくれるだろうと思った。
ちょっと歩いて、我が家があったとことは別の通りに、知人が数人いたんで、尋ねてみた。
「その辺のどれかの家に住んどる…なんちゅう人じゃったかなぁ…。知りません?」
だめだ。Bさんの名前が出てこない。
その時、夢だと気づいた。AさんもBさんも実在しない。だから名前も思い出せない。
親父のことを心配しながら、小屋の方に戻ってみた。でも、小屋どころか、隣にあったガラス張りの建物も見当たらない。
いつの間にか、そこは、崖っぷちになってた。それも崖の下は海。
訳判らず、崖のそばの草の上で、海を見ながら寝転ぶ自分。
まだ夢の途中なのに、「なんかまた変な夢じゃのぉ…」と思いながら目が覚めた。
* * * * * * *
実際は、もっと色んな人達や場面が出てきて、これよりも長い内容だったが、詳しく覚えてないし、覚えてたとしても、複雑過ぎて文章には仕切れなかっただろう。
ベッドに寝転がったまま、神に祈った。なんで、こんな、親父が惨めにしか思えない夢なんか見るのか、尋ねてみた。
そしたら、亡くなる前の数ヶ月間に、親父が言った言葉を幾つか思い出した。
その中の一つ。
「自分の(状態の)こたぁ、よう判っとるよ。じゃがのぉ、最近の若いもんは、どう諦めるかばっかり考えようるけぇのぉ。最後まで諦めんいうのを見せにゃぁいけん思うてのぉ。」
事実、親父は、パソコンも使えなくなったし、言葉も出なくなったし、その上、目もあまり見えず、字を書くのも困難だったのに、本人の意思に反して施設に入るまで、「自分を必要としてるお客さん達がいる」ってことで、最後まで仕事をしようとしてた。
それどころか、施設に入っても、「ちょっと元気になったら仕事に戻る。」と何度も言い続けてた。
自分はというと、12月上旬の交通事故以来、体中の色んなとこが痛いし、そのせいか疲れるのが早いし、色んな物事を順調に進めることができない。
でも、親父が亡くなる前の数ヶ月のことを考えると、「わしゃぁ、一体、何やっとるんかのぉ。」って思えてきた。
確かに、今でも痛みは続いてるし、時々偏頭痛もあって、思いどおりに動けないことがあるけど、気合を入れ直すいい機会を与えてもらったのかもしれない。





小田亭のお好み焼きと大判焼きを食べに一時帰国するのもいいかもしれません。