前回の続き。
今のニューヨークの教会には、1996年に創立した頃から関わっている。教会を始めた牧師先生は、20年以上も前にニューヨークからワシントンDCに移られたが、自分がまだ20代だった頃、教会の青年会の集会が当時ニュージャージー州にあった先生宅で行われた時、こんなお話をされた。
「船に乗りながらも、居心地よく港に留まったままで、船出をしないクリスチャンが多い。みんなには、神様を信じて、思い切って海に出ていくような信仰を持ってほしい。」
あの頃その先生が話したことの幾つかがずっと自分の心に残っているが、これもその1つ。そして近日中に、その先生も本帰国されるらしく、いつも会ってるわけではないが、やはり寂しいものがある。
寂しいといえば、先日、長年うちの故郷の教会で牧会をされた『隊長』が天に召された。
引退以来関東に住んでいた隊長だったが、遺言により、分骨して、その広島県北の山奥の教会の共同墓地にも入ることになったらしく、今日は納骨式だった。現牧師先生の計らいで自分もオンラインで出席させていただいた。
日本時間で午後2時開始なんで、こっちは午前1時。土曜の夜だが、あくまで礼拝出席ということもあり、今夜はビールの量も多少控えめにした。
「ええ式じゃのぉ。」という感動みたいなのと、「なんでわしが、あそこにおらんのじゃろ。」という悔しさが混じって、複雑な気持ちだった。
隊長の末っ子次男は自分の1学年下だが、自分が1月生まれで彼が5月生まれなんで実際には同い年。それぞれの母親の胎内にいる時からの付き合いみたいなもんだ。遺族挨拶でまず彼が前にでて喋った。
聴いてて、「こりゃ、やっぱ飲もうかの。」と思い、結局いつのもブルックリン・ラガーを開けた。
式が終わり、みんなが墓地へ向かう前、ほんの少しだが隊長のご家族にも挨拶させていただいた。
最後通話を切る前にその次男が言った。
「ひさくんのご両親と一緒になるけぇな、今から行ってくらぁ。」
あの共同墓地には数十年間教会員だったうちの両親も納骨されている。墓石の『復活』というのは、うちの親父が題字を書き、業者が刻んだものだ。

日本には帰る場所がなくなった自分だが、両親と隊長が同じとこに入ってるとなると、時々は帰郷する理由が増えたかな。
今日の納骨式では、隊長が好きだったという聖歌597番『沖へ出でよ』が歌われた。
- 父なる神の恵みは 限りなき海ぞ
ともづなを解きて沖へ 漕ぎ出でて見よや
沖へ出でよ 岸を離れ
主の恵みのただ中へ いざ漕ぎ出でよ - 世の人は岸に立ちて 沖をば見るのみ
主の恵みの深さなど あえて知らんとせず
沖へ出でよ 岸を離れ
主の恵みのただ中へ いざ漕ぎ出でよ - ある者はわずか漕ぎて 遠く乗り出さず
返る波に呑まれたり 船ともろともに
沖へ出でよ 岸を離れ
主の恵みのただ中へ いざ漕ぎ出でよ - 乗り出だせ沖を指して 恵みの潮の
瀬に流されてすべてを 主に任すまでは
沖へ出でよ 岸を離れ
主の恵みのただ中へ いざ漕ぎ出でよ
その昔ニューヨークの牧師先生が語られたことと、隊長が好きだった歌と、自分の人生に大きな影響をもたらした2人の牧師先生の間の不思議なつながりを感じた。神様に何か念を押されとるんかもな。
あ、3時半過ぎてしもうた。明日…っつうか今朝はこっちの教会で礼拝じゃ。さっさと寝にゃぁいけんのぉ…。
Jesus loves y’all.




