『死ぬ』ということ

昨日も書いたが、人生、いつ何が起こるかわからない。

自分自身、2012年12月、2013年9月と、一年以内で二度車をぶつけられ廃車になるくらいの事故に遭った。一度目なんか、高速道路だったし、二度目は、車が360°一回転した。180°で止まってたらどうなってたことやら。

この辺を運転していると、道路の脇にリスや鹿、アライグマなどの動物の死骸がしょっちゅう転がってる。そういうのを見る度に、せがれに、「あれ、死んどるなぁ。かわいそうに。」って語りかける。「死んでるねぇ。」とか「かわいそうだねぇ。」とか、とりあえずこっちが言ってることを繰り返してはみるが、実際『死ぬ』ということについて理解があるとは思えない。

ペットとか飼ってればまだわかるのかもしれないが、我が家では飼わないことにしてるので、今のせがれに『死ぬ』ということについて理解させようにも、なかなか難しい。

最近、よく、誰がどこに住んでるか、説明したがる。

「○○さんは、日本帰ったね。」
「grandpaとgrandma(本人にとって母方の祖父母)も日本行ったねぇ。」
「○○はマンハッタン。」
「Uncle ○○○とAunt ●●●(叔父夫婦)はメリーランド。」

ここまではよく言ってることなんだが、この間、突然、

「(父方の)じいちゃんも日本だねぇ!」

とか言ってきた。

「もうおらん。死んだ。」
「死んだ…? もう来ない?」

「うん。もう来りゃぁせんよ。死んどるけぇ、日本にもおらん。」
「マンハッタンいる? 飛行機乗ってる?」

「いや、どこにもおらん。」
「……???」

別に焦ったわけじゃないが、こればかりはなかなか説明してわかってもらえる話じゃない。

自分が今のせがれくらいの年齢だったころは、既に『死』ということについて多少の知識はあったと思う。日本のこども向けのテレビ番組は戦闘物が多く、大抵最後には敵が死ぬし、時として、主役の仲間さえも死ぬことがあるからだ。また、現代のアメリカと違い、こども達だけで川や山に遊びに行くことができたので、カエルや虫をわざと殺してみたり、何匹も捕って家に持って帰って、対して面倒も見ずに死なせてしまうこともあった。

もちろん無理して教える気もないし、そのうち学校かどこかで学んでくるだろう。

でも、人や物を「大切にする」ということの大事さってのに、気付くのは早い方がいいし、目に見える全てのものにはいつか終わりが来るってことは、なるべく早く理解してもらいたいとは思う。

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