今日はネットやテレビのニュースを見ながら、2012年12月のサンディフック小学校での事件を思い出していた。コネチカット州ニュータウンには、我々夫婦の友人家族が住んでいて、そこの息子さんも当時小学生。数マイル先の別の学校だったが、それが判っても他人事とは思えなかった。
そして、今日はワシントンDCを中心に米国内だけではなく、世界各地で銃規制のための行進があった。
「生徒じゃなくて、実は役者じゃねぇの?」
「どうせリベラルの連中に利用されてんだろ。」
「それでも憲法修正第2条にある銃の権利ってのは大事なんだよ。」
「ガキどもに何が解る。」
被害者なのに、『大人』達に色々言われ、いじめられ続ける、2月14日のフロリダでの高校銃乱射事件で生き残った十代の生徒達。
先日も似たようなことを書いたが、悲しいことに、『人々のための憲法と権利』ではなく、『憲法と権利のための人々』ってのが多いのが、この国の現実。
だが、被害者達が幼過ぎたサンディフックの時とは話が違い、高校生ともなれば行動力が半端じゃない。その生徒達が中心となって始まった運動が、ここまで大きくなった。
ニューヨークではセントラルパークの脇にあるダコタハウスの近くで、ポール・マッカートニーも行進。何故参加を決めたのかというテレビのレポーターの質問に、「人々のためだ。自分の親友の1人も、この辺りで銃犯罪によって殺された。自分にとっては、今日参加するだけではなく、今後も続けていくことが大事なんだ。」と答えた。
ワシントンDCでは、キング牧師の9歳の孫、ヨランダ・レネエ・キングがステージに立ち、「私にも夢がある。この世から銃がなくなること。」と語った。
そしてDCでの最後は、2008年10月、母親、兄、甥の3人が射殺されたジェニファー・ハドソンが、ボブ・ディランの曲を歌った。
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『時代は変わる』
さまよう人々よ、集まろう。
周りの水かさが増していることに気付き、
そしてもうすぐ骨まで浸み込んでいくことを認めるがよい。
もし自分にとって時間というものが大切なら、
すぐに泳ぎ出さないと、石のように沈んでいく。
時代は変わりつつあるのだから。
筆を使って予言したがる作家や評論家たちよ、
機会を逃さず、目をよく開いて見るがよい。
車輪はまだ回り続けているのだから、
すぐに口を開こうとするのではない。
今の敗者がそのうち勝利するのだから、
誰のことかもわからないだろう。
時代は変わりつつあるのだから。
政治家たちよ、
叫び声に耳を傾けるがよい。
入口に立ちはだかったり、
廊下を妨げるのではない。
傷つく人間が、立往生してしまう。
外での激しい戦いが、
そのうち窓や壁を揺さぶってくる。
時代は変わりつつあるのだから。
国中の大人達よ、
理解できないことを批判するのではない。
こども達は巣立ち、
昔のやり方も古びたものになる。
手を貸してやれないのなら、
道を開けてやるがよい。
時代は変わりつつあるのだから。
線は引かれ、呪いはかけられる。
現在がいずれ過去となるように、
遅い者がやがて早くなる。
秩序は瞬く間に失われ、
先頭の者がやがて最後になる。
時代は変わりつつあるのだから。
…と、勘違いしてる部分もあるかもしれないと思いながら、なんとか頑張って訳してみたが、「さて、自分には何ができるんだろうか」と考えた時に、とりあえず、さっさと市民権取得して投票できるようにならんとなぁ…と、改めて感じた。
Jesus loves y’all.




