今でも、教会や色んな集会で、人前で自分のことを話す時、涙が出そうになって声をつまらすことがあるが、幼い頃から泣き虫だった自分に、何度も親父が言ったことがあった。
「男っちゅうのはのぉ、人が死んだ時にだけ、泣きゃぁええんよ。」
そういう部分では、昭和のオヤジだったようだ。
そんな親父だが、じいちゃんや母ちゃんの葬式では超複雑そうな表情をしていただけで、全く泣かなかったと記憶している。親父が自分の前で泣いたのは2回だけ。姉ちゃんの結婚式と、自分の結婚式。それぞれの披露宴での挨拶の最後の方だ。親父が涙を流した時には、さすがにこっちも戸惑った。
自分のせがれが、本気で悲しかったり辛かったりして泣いてる時と、駄々をこねる際に半分芝居で泣く時の見分けがつくことが多いが、親父の影響からか、後者の場合は、思わず自分も、「それくらいのことで泣くな。」と言ってしまうことがある。その度に、もっと人間の感情を大事にしなきゃと反省してしまう自分がいる。
先週から、イベントが続いたということもあってか、何人かの人達が涙を流すのを見た。
コンサートなどで、曲とか話を聴いていて涙を流すのはよくあること。金曜の夜にも、ちらほらそういう人達を見かけた。自分がその人達を感動させたわけではないが、それでも主催者の1人として、誰かを感動させるお手伝いができたかと思うと、嬉しくなり、神に感謝した。
2日後、別の場所に数人で集まっている時、ある人が泣いてしまうという場面があった。数ヶ月か数年間か知らんが、長い間心の中に押し込んでいたものが、表に出てきて、それを訴えていた。それを見て自分から出たのは、「もっと泣け。ええ機会じゃ。」というセリフだった。一緒にいた人達には乱暴に聞えたかもしらんが、本当にそう思った。
そのまた翌日、別のある人が、聴衆の前で、自分自身の人生を振り替えながら話している途中、声をつまらせて涙をこらえる場面があった。最初にも書いたけど、確かにそういうのって、人前で話す機会の多い自分にもよくあることだ。
それを見て、前日のことを思い出した。涙を流して泣いた人と、涙をこらえて泣かなかった人。2人とも色々な意味で突っ走り続けてるように思えるけど、本当に思い切って涙を流す機会ってあるんだろうか…ってな感じで、ふと考えてしまった。
1人で祈る時、神に向かって泣きまくるのは、実はクリスチャンには簡単なことなのかもしれない。だが、自分の身近にいる人に対して、思い切って涙を見せる機会や勇気が中々ない人達って、割と多いのかもしれない。
前回、「音楽には力がある」ってことを書いた。そこまでではないにしろ、人が見せる涙にも、なんか力があるような気がした。
政治家や会社のお偉いさんが、記者会見などで芝居で泣いたりするのを見ることがあるが、それで騙される人もいれば、更に怒りを感じる人もいるだろう。
それとは逆に、人が嘘のない涙を流す時って、気持が正直で、素直になれてる時だと思う。それを見ると、ほんのちょっとかもしんないけど、その人の気持ちが一瞬で分かったりして、こっちも心を動かされることがある。
人が流す涙を見て、美しさを感じた数日間だった。
Jesus loves y’all.




