大学出願

先週末、大学時代、同じ専攻だった数少ない日本人の友人と久々に会った。自分が大学のあるテキサスを去ったのは1995年夏。以来、現在バージニア州に住んでる彼女に会うのは2回目だったが、前回は2011年、ドリカムのマンハッタンでのコンサートのために来て、待ち時間一緒にいた程度。今回はウェストビレッジにある、行き着けのバー居酒屋で一緒に飲み、前回とは違い、結構ゆっくり話せた。

電車の駅まで彼女を送って、ふと思い出したのが、別の友人が時々イーストビレッジのレストランでジャズのセッションをしてるということ。そこはベジタリアンの店で、生ビールも置いてないので、基本的に自分には用事のない店なわけだが、せっかくなんで、その彼女のfacebookプロフィールで当日も演奏予定だということを確認、歩いてその店に向かった。

ハドソン・ストリートからワシントン・スクエアの前を通り、グリニッチビレッジを突き抜けてから1番街まで、30分近く歩いた。これまで何度も歩いてビレッジを横断したことはあったが、毎回その間を歩く度に、同じ看板が色んな場所にあるのが気になる。ニューヨーク大学(NYU)のロゴだ。

郊外や地方にある大学とは違い、マンハッタンの大学は、独自のキャンパスを持たず、特定の地域の中に校舎や寮などの色々な建物があり、その合間に大学とは関係ないアパートや店が並んでいる。

実は、昔からニューヨークに憧れていた自分は、テネシーの高校時代に色んな大学に申し込んでいた時も、テキサスの大学時代に大学院を探していた時も、NYUに願書を出し、2回とも見事に落ちた経験がある。

その日は、大学時代の友人と飲みに行って分かれた直後というのもあってか、あの頃のことを色々考えながら歩いてた。

結局自分が行ったのは、大学も(色々あって途中で断念したが)大学院も田舎にあった州立。私立で、それもニューヨークの街の中にあり、学費も生活費も、 仮に寮ではなくアパートで誰かと同居してたとしても、NYUに行ってたら相当高くつくとこだった。

そして周りには、アイリッシュパブや日系の居酒屋はもちろん、有名なロック系のライブハウス(もしかして死語?)やジャズバー、そして古レコード屋も色々あったわけで、仮にNYUに入れたとしても、勉強そっちのけで遊びまくり、おそらく間違った道を選んでたことだろう。

「っつうか、テキサスでもそうだったじゃねぇか!?」とか突っ込まれるかもしらんが、なんだかんだ言って卒業したし、キャンパス周辺で飲まない限りほぼ全て車での移動だったテキサスと、飲酒運転を気にせずに歩いて色んな種類の店に行けるマンハッタンとでは、比べ物にならん。

「わしなんか、ここに来れんで正解じゃったのぉ…」と改めて感じながら歩いた夜だった。そういう面でも、神様に守られてきたってことなんだろう。

Jesus loves y’all.

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