日本滞在中は、母の携帯を使うことにした。自分が出る時に解約かな。
元々緑内障で目が殆ど見えてなかった母は、前回書いたとおり通話以外で携帯を使うことがなかったにも関わらず、唯一、仕事中の親父の写真だけは保存していた。
そして着メロは、自分が大好きなビリー・ジョエルの『Piano Man』だった。母は別にビリーのことって好きでもなかったはずで、そう思うと、人前なのに涙を流してしまった。
当分はこういうことが続くんかなぁ…。
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暫く続くだろうなー。涙ぐむのが。地上から去ってしまって悲しみ、泣くことができる人がいるって、ヒサは幸せだよー。 だって、愛されたんじゃない。 私も祖父母が亡くなったときは長いこと号泣したし、幾年か経った今でも目頭が熱くなるときってあります。でも、祖父母という存在を与えてくれた神様に感謝してます。祝福されたんだと思います。
お父様とお母様には一度、ひさとちかちゃんの結婚式のときにお会いしたことがありますが、そのとき、ちかちゃんがヒールを脱いでダンスしている姿を見て、「アメリカじゃあお嫁さんもこうやって踊れるだなんていいねー」ってなことを言ってたのが凄く印象的でした。きっと天国からそっと見守ってくれていると思いますよ。