Jesus: the Gospel according to Hisa:
両 親
2009年3月
日本には「遠い親類より近くの他人」とか「銭の切れ目が縁の切れ目」ということわざがある。 周りを見ると、血縁関係だろうが、長年共に暮らした間柄だろうが、色んな理由をつけては、「なにも、ここまで…」と思う程の仕打ちをし合っている人達が多く、悲しいことに、大抵の場合は金絡みだ。
自分は両親や兄弟と仲がいい方だとは思ってるし、これからも仲良くしたい。どんどん年老いていく両親のことも大切にしてるつもり。それがどれだけ本人達に伝わってるかは判らんが、少なくとも、尊敬しているし、これまで自分にしてきてくれたことについて感謝している。こんなとこに書くだけでは、本当に足りないくらいだ。
親父は言葉数が多く、普通の人だったら一言で終わるところを5分くらいかけて話したり、5分で終わりそうなとこを30分とか、平気で延々と喋る。自分にも幼い頃から数多くのことを言い聞かせてきてくれた。言い方が回りくどいせいか、自分が明確に覚えてるのは、長々とではなく、一言で終わらせてくれたことが多い。
その中の一つ。小学校に入ったころまで、自分と弟は両親と同じ部屋に寝てたんだが、その部屋の壁に、「絶えず祈れ」と書いてある札が貼ってあった。確か新約聖書の『テサロニケ人への手紙』からだったと思う。とりあえず平仮名だけは読めた自分は、なんて書いてあるのか気になり、親父に聞いた。『祈り』というと、手を合わせて目を閉じて言葉を出すことだと思ってた自分は、思わず、「風呂入っとる時も、便所に入っとる時も、祈らにゃぁいけんのん?」と聞いた。「ほうよ。」と親父が一言。当時はようわからんかったけど、今では、常に神様に心を開きコミュニケーションをとっている状態にするということだと理解できてるが、親父の超簡単な説明(?)がなかったら、心に刻まれてなかったかもしれない。
二つめは、小学校に入り、勉強するのが嫌だった自分に言った一言。「教室に入ったら、あきらめて、勉強せぇ。」 これも、ある程度成長して、やっと理解できた。「郷に従え」ってわけではなく、もがいてもしょうがない状況ってのが必ずあって、与えられた中で、やるべきことをやれってことだ(多分)。 また、ある状況に置かれ、神様に全てをゆだねないと…と思う時に、これを思い出すこともある。
そして三つめ。勉強だけじゃなく、一・二年と担任だった先生も嫌いで、そのうえ多少虐められていた自分が、学校に行きたくないと嘆いていたら、「辛い時は神様に試されとると思え。」 んなこと、7、8歳のガキに言ったところでわかるわけないんだが、自分がクリスチャンとして少なからずも成長していくなかで、やっと判ったような気がする。
もちろんそれ以外にも多くのことがあったが、この三つは、親父自身が覚えてるかどうか知らんが、自分にとっては、今の信仰生活の基本になっている重大な『しつけ』だ。
一方、母親はというと、親父が口数多い分、あまり多くを語らず、それどころか、時々何を考えてるかわからないくらい『天然』。
留学してからの数年は、今ほど便利じゃなかったんで、日本から色んなものを送ってもらうことが多かったが、例えば、10の物を送るように頼み、届いた小包を開くと、大抵頼んだうちの8、9しか入ってなく、空いた場所には気を利かせてカップラーメンとかを入れてくれてたりしてた、とてもかわいい母ちゃんだ。
そんな母も、自分が留学してからずっと、結婚してからも、毎年メロディ付きのバースデーカードを送ってくれていた。数年前に緑内障で目が見えなくなるまでは…。
教会にも深く関わり、目が悪くなってからも、親父が用意してた超拡大コピーの賛美歌の歌詞を、時々全く見ることもなく 覚えてたまま歌えたりする。繰り返すが、口数少なく『天然』なもんで、普段はよくわからないが、時折その信仰の深さを感じることがある(十分褒めてるつもり)。
それとは別に、母が自分に与えてくれたもっとも大きなものの一つは、アメリカ文化の影響だと思う。英語は全く喋れないが、とにかく洋楽・洋画が大好きで、『スクリーン』や『FM STATION』などの雑誌も色々買っていた。今は出版されていない『Reader's Digest』日本語版まで購読していたし、特集記事によっては『PLAYBOY』の増刊号を買うこともあった。『We Are the World』のビデオが初めて日本のテレビで流れてた時には、色んなミュージシャンを見ながらやたらと、「この人かっこええなぁ。誰?」と聞く自分に、「こりゃぁブルース・スプリングスティーンじゃろ。」とか、「ボブ・ディランじゃが。知らんかったん?」とか言いながら教えてくれたりもした。
母が一番好きなのは、ニューヨーク出身のサイモン & ガーファンクル。時々FM番組を録音したりで、カーペンターズとかも聴いてた。自分が本格的に音楽にはまったのは、同じくニューヨーク出身のビリー・ジョエルがきっかけだが、母のおかげで、幼い頃から自分は広島県北の山奥で、アメリカの音楽を聴いて育ち、次第にアメリカの文化に興味を持つようになった。
教育とか、経済的なこと、道徳的なことはもちろんだが、ここに挙げた文化的なことや信仰の面だけではなく、覚えてないことや気づいてないことも含め、数え切れないことを両親から与えられてきた。
これを書いている時点では、自分には子供がいない。でも、もし神様が一人でも与えてくれるなら、必要以上に甘やかすとか過保護になるとか、そういうんじゃなく、親が自分にそうしてくれたように、厳しさを踏まえた愛を与えたいし、尊敬してもらえる親になりたい。
Bridge Over Troubled Water
by Simon & Garfunkel
When you’re weary, feeling small, When you’re down and out, Sail on silvergirl, Like a bridge over troubled water |
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