Jesus: the Gospel according to Hisa:

too late?


2002年2月

2001年9月

  世界中を驚きと恐怖に陥れた大惨事が起きた。 NY郊外に住む自分もその日はさすがに色々考えさせられた。 自分の生活に関連付けられることでまず思ったのが、その日貿易センターにいつもと同じ様に行っていた人々の多くは、夕方自宅に帰って家族に「ただいま。」を言い、奥さん又はご主人に「I love you.」の一言を言って一日を終えるはずだったということ。 自分の愛する人に、いつもの様に「愛してる。」の一言を終えずに亡くなっていった人が多かったはずなのだ。 日本人ってのは感情を表現するのを格好悪いとする人達なのか、その一言を言い難かったりするけど、実は言われたら言われたで結構嬉しいって少なくないはず。
  愛する人にそれを伝えられてるだろうか。 「愛してる。」のたった一言を言えずに後悔してはいないだろうか。

2001年10月

  教会の修養会があった。 その中で、9月の事件の時に貿易センターのすぐそばの建物で働いてた人による話があった。 その人は毎週教会に来てたわけじゃないけど、結構親しくしてる人だ。 毎週会ってたわけじゃないけど、いつでも会えるという様な感覚だった。 あと10、15分逃げるのが遅かったらおそらく命を落としていただろうという生々しい証言だった。 そのお話の中に、「神様が『こっちだ!』と自分に言ってくれてるのがわかった。」という内容の一言があった。 その人の証を聞き終わった後でまず感じたのが、その人が自分の目の前でちゃんと生きてるという嬉しさだった。
  いつの間にか自分の周りの人々は生きてのが当たり前と感じ、神様がくれたその命の尊さを忘れてはないだろうか。

2001年11月

  教会に来てる友人の一人に、ある病気があるということが発覚した。 いつも色々な面で自分を頼ってきてる人だ。 「人生を振り返ると、神様がこういう風に病気にしてくれたんじゃないかと感じる。」と本人が言うくらい結構複雑で深刻、心身両方の病気だった。 いつの間にか色んなことで自分が相談相手になることが多く、聖書にどう書いてあるかで色々なアドバイスをしてきたつもりだったけど、どこかで「自分が言ってやらんと…」という気持ちがあったんじゃないかと思う。 だけど所詮自分の力なんて限られてる。 自分はその人のために本当にしっかり祈ってこれたのか疑問にも感じた。
  いつも多くの人達に社交辞令の様に「祈ってるね!」って言っときながら、身近にいる人のための祈りさえ忘れているということはないだろうか。

2001年12月

  教会に来てる友人の一人から、近いうちに仕事を辞めて日本に帰る可能性があるということを聞いた。 自分とは毎週礼拝の時に前に出てプレイズバンドとして一緒に賛美をリードしてる人だ。 振り返ると知り合って4、5年は経つのではないかと思うが、本当に仲良くなったなと思えるのは1年半くらいだろうか。 一緒に飯喰ってたり話してたりしても、とても楽しいし、とても強い信仰を持った人で、話してるだけで励まされることもよくあるんだけど、それと同時に、数年知り合ってるのならもっと前から仲良くしてたらもっと色々楽しかっただろうなとも感じる。
  誰かがいなくなると分かって初めて、その人の大切さを感じることはないだろうか。

2002年1月

  小学校の一年の時、生まれて初めて「あ、こいつかわいいな。」と思った同級生の女の子がいた。 1・2年と違うクラスなので3年になるまで全然話すことの無かった人だった。 所詮1年生の時のことなんで、そんな感情がいつまでも続くわけがなく、いつの間にか「ただの友達」になってたんだけど、自分が高校1年の後アメリカに留学し、1年後の夏休みに帰国して会った時は、「やっぱこいつってかわいかったんだな。」とも思った。 2001年の夏頃ある友達からその人が癌だという噂があると聞かされた。 その時自分は「伝道しなきゃ。」と思い、その友人に「本当に癌で、それを本人が知ってるならどうしても話がしたい。」ということを伝えたんだけど、その友人は、「余計な騒ぎをたてないでくれ。」ということだった。 それもそうだ。 日本では通常本人には癌の宣告なんかしない。 キリストが約束する死後の世界ってのが無く、死が全ての終わりで、みんな死を怖がりながら生きていってる。 元旦早々、姉からその人が亡くなったということを聞いた。 自分を止めたその友人を責める気は全くない。 止めても、自分が決めたら行動に移すのをそいつもよく知ってるはずだし、人がなんて言おうと、福音を伝えることを『遠慮』したらいけないということは自分だって判ってたはずだから。
  誰かが本当にいなくなってしまってから「一言でもイエス・キリストについて話したかった。」と悔やんでることはないだろうか。

2002年2月

  あるゴスペルコンサートに行った。 NY付近のある黒人教会の牧師によるCDのライヴ録音のためのものだった。 予想よりも1時間以上延び、4時間以上にも及ぶ長時間のコンサートで途中もう帰ろうかとも思ったけど、最後の曲の紹介の時に目が覚めた。 彼にとって貿易センターは大切なものだったが、それが破壊されるまで大切さがわからなかったということを言っていた。 そして観客みんなに、「今隣に座っている人、同じ列に座ってる人達に、『お互い祈ろう。あなたは自分にとって大切だから生き延びてほしい。』と伝えよう。」と語り掛けた。 コンサートが長引いたせいか、自分の右隣に座ってた人はもうその場を去っていた。 そして自分の左隣にはうちの嫁さんがいた。 二人ともアメリカ生活が長いせいか、いつも「I love you.」とか「愛しとるんよ。」(両方広島出身)とか平気で言い合ってるけど、他人に促されるとやはりお互い照れ笑いしてしまう。
  愛する人にそれを伝えられてるだろうか。 「愛してる。」のたった一言を言えずに後悔してはいないだろうか。


San Diego Serenade

by Tom Waits

I never saw the morning 'til I stayed up all night
I never saw the sunshine 'til you turned out the light
I never saw my hometown until I stayed away too long
I never heard the melody, until I needed a song.

I never saw the white line, 'til I was leaving you behind
I never knew I needed you 'til I was caught up in a bind
I never spoke 'I love you' 'til I cursed you in vain,
I never felt my heartstrings until I nearly went insane.

I never saw the east coast 'til I moved to the west
I never saw the moonlight until it shone off your breast
I never saw your heart 'til someone tried to steal, tried to steal it away
I never saw your tears until they rolled down your face.

I never saw the morning 'til I stayed up all night
I never saw the sunshine 'til you turned out the light
I never saw my hometown until I stayed away too long
I never heard the melody, until I needed a song.



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