手術

[ 家族 ]

ここ数年、教会のことで色々あってストレスが溜まってた。それと同時に、ある事情で、自宅でも落ち着かない時期が何度もあって、それまでだったら教会で仕事したり昼寝したりできたが、一昨年末から、それもできなくなって、落ち着ける居場所がないような気分になることが多かった。

んで1ヶ月半前、ちょっとだが、とうとう体調を崩してしまった。今じゃ酒の量もラーメン喰う頻度も、前の半分以下に抑えとる。野菜は以前の倍以上。そんな感じだったんで、ただでさえ更新が少なくなったブログも、結局先月は全く書かず終い。

だが、手術ってのは、自分じゃなくて、せがれの話。その事もあって、もっと自分もせがれのために元気でいなければ…と思い、色々気を付けることにしたのも正直なところ。

2月に、様子が変なことが一度あって、それ自体は一晩経ったら治まったが、念のため検査に行かせた際、数ヶ月後に再検査してみるという話になった。

そして先日、血液検査や内臓のスキャンなど、再び診てもらったら、ちょっとした手術が必要だとか。よく、「アメリカの医者は保険会社から金もらってなんぼだから、やたら手術したがる。」という意見を聞くが、放置してても絶対良くならない部分らしいし、今回は赤ん坊の頃から何年も世話になってて、普段ちょっとのことじゃぁ薬を出さない小児科医から「凄く薦める」と言われて診てもらった医者なんで、とりあえず信用してみようかと。

癌とか腫瘍とかでもなくリスクもかなり少ない手術だということだが、なんせ6歳の小さな体に全身麻酔となると、全く心配しないというわけでもない。

こっちの病院は余程のことが無い限り、手術しても当日か翌日退院。自分も17年前、脱腸の手術で下腹部に14針縫ったのに同日退院。今思えばそれでよかったと思うが、今回のせがれの場合も、とりあえず翌日の予定。でも、中には調子良けりゃぁ当日退院出来ちゃう子もおるとか。

先週から、手術のことを話して聞かせていた。

「今度の水曜は、学校休んで、病院行って手術じゃ。おなかに穴開けるんよ。でもその前に、寝る薬を飲むんで、痛くないんよ。」

最初は、「こわい。」を連発してたが、3日くらい前に、3~4歳の頃によく見てたノンタンのビデオをいきなり久々に見たいと言い出した。それも、何でもいいんじゃなく、特定のやつ。

ノンタンが遊んでたら、耳を怪我して、医者に行って麻酔を打ってもらって、縫ってもらうという話。たまたま選んだビデオにその話が入ってたのか、手術が近づいてるのを察してあえて選んだのか知らんが、ちょうどよかった。

「見たか? ノンタン寝とったけぇ、縫っとる時も全然痛くなかったろ? ノンタンは注射で寝たけど、今度の手術はマスクで寝る薬じゃ。」

なんか、急に安心したらしい。

だが、手術前夜はやっぱ緊張してたらしく、寝る時に、再び「こわい。」「痛いの好きじゃない。」を連発。

寝る前のお祈りを済ませて、こっちが「おやすみ。」って言うと、話かけてきた。

「父ちゃん…。」

「明日早い言うたろ。もう寝ぇや。」

「父ちゃん、question があるよ。」

「questionは、『質問』って言うんよ。」

「父ちゃん、質問があるよ。」

「なに?」

「『Sleep next to me.』って、日本語で何て言うの?」

「『隣に寝て。』かなぁ。」

「父ちゃん、隣に寝て。」

おいおい、珍しいのぉ…。やっぱ明日の手術が相当こわいか。

隣に寝転がってたら、すぐ眠り始めたが、寝言で「どうして?」とか「もう、わかんない…」とか不満そう。

朝6時に病院に来てくれとのことだったので、昨日の朝は5時に起きて、毎朝のように自分がせがれも嫁さんも起こした。どうせ夜は大人1人しか同伴で泊まれず、自分は翌日朝から仕事なんで別々の車で行く予定だったし、みんな揃うのを待つとどこに行くにも必ず遅刻するということになってる家族だし、そのうえ嫁さんの両親も来るとかで、自分がせがれだけ連れて先に病院に向かった。

当然外はまだ暗い。車の中の時計が5:40くらいだということに気付くと、せがれが言った。

「ピタゴラスイッチ、見ないの?」

平日の夕方6:55からテレビ・ジャパンでやっとるピタゴラスイッチ・ミニ。もしかして外が暗い間に無理やり起こしたんで、朝と夕方の判断ができとらんか?

病院に入り、待合室ではやたらと、

「ママ、遅いね。」

「ママはいつも遅いじゃん。」

その後、呼び出されて、準備室のようなとこに入り、薬を飲ませてもらったり、血圧を測ってもらったりしてると、再び、

「ママ、遅いね。」

「ママはいつも遅いじゃん。」

…と、同じ会話を何度も繰り返す。

しばらくして嫁さんらも到着。そうこうしてるうちに、担当医の先生も来て、いよいよ手術に。

前回の診察で会ってるはずの『ドクター・D』。 姓をなかなか覚えてもらえないんで、こども達には自らそう呼ばせてるとか。正直、自分も、「今日の彼女は何かが違う…」と思ってたが、普段他人の名前を結構覚えるせがれでさえも、

「名前何ていうの? 前に会った?」

と、訪ねた。

「こないだ会ったドクター・Dよ。今朝は早かったもんで、まだお化粧してないからね、前に会った時とちょっと違うかもね。」

どうりで…。

手術室に入って麻酔が効くまでは大人1人同伴していいということだったので、動揺しそうな嫁さんじゃなく、自分が行くことに。なので、自分もスクラブやマスク、帽子を着けるはめに。途中、移送車で運ばれてるせがれがこっちを振り向き、

「父ちゃん、なんでドクターなの?」

「これ着てくださいって言われたんよ。心配すんな。父ちゃんがやるんじゃねぇよ。」

手術室に入り、麻酔が効き始めると、助手の一人が、

「Please give him a hug and kiss him good-bye.」(お子さんを抱きしめて、お別れのキスをしてあげてください)

などと言ってきた。なんか、もっと別の言い方はないんかいな…。

大体出てくるまで3時間くらいかかるとのこと。病院のカフェテリアで朝メシ喰ったが、どうせ待合室に戻っても暇だし、スマホで遊んでてもバッテリーが切れるだけなんで、自分だけ病院を出て、その辺を散歩。

この国では多くの場合、特にニューヨーク周辺で大きな病院があるのは、あまり治安や雰囲気がよさそうじゃない地域で、ここも例外じゃない。電話してるわけでもないのにでかい声で1人で喋ってる奴、大したことでもないのに車から顔出して怒鳴り散らしてる奴、単にクスリでいっちゃってそうで路上に突っ立ってたり座ってたりする連中など、ある意味典型的なニューヨークの物騒な下町っぽい感じだった。

近くの公園のベンチに座ってしばらくぼけぇっとしてたら、他のベンチにいたおっちゃんやおばちゃんらの会話が聞える。どこからか歩いてきて、そこに加わってベンチに座ると、「ハレルヤ…」とか呟いてるばあさん、杖持ちゃええのに一生懸命片足を引きずるようにしながらゆっくりと歩いて来るじいさん、まるで80年代に路上で巨大なラジカセ担いでラップを聴きながら歩いてたかのようなノリで、でっかいスピーカー抱えてR&Bを聴きながらやってくるおばちゃん、色んなのがその輪の中に入ってくる。思わず、「おたくら、どこの教会?」と聞いてみたくなるくらいの、コミュニティっぽいものを感じた。

病院に戻り、手術も終わり、ドクター・Dが出てきた。手術がうまくいったどころか、麻酔が切れるとすぐに暴れ始めたらしく、とりあえず元気らしい。「大人2人までどうぞ」っつうんで、嫁さんと一緒にせがれがいる部屋に行ったら、当然のことながら、体の色んなところにパイプがつながってたり貼られてたり。時々、「痛い!」と叫びながら暴れるもんで、穴をあけて縫ったのが4箇所ある腹に力を入れるわけで、余計に痛がる。

そして泊まる部屋に移動。9階だったんで、窓からはクイーンズやマンハッタンが見える。

同室には何とか歩けるような感じでまだ言葉の喋れない赤ちゃんがいた。昼間に母親らしき女性がちょっと来てたが、夕方から夜まで時々看護師が連れ出す程度で、あとは1人ぼっち。かなり病院慣れしてるらしい。そのうえ、近所の別室の、キモセラピーなんだろうか、髪がかなり短そうで頭に何か被ってる女の子が、点滴を自分で引っ張ってきて、その赤ちゃんの相手をしている。2人とも常連か長期っぽい感じで仲良くしてる。昼間公園で見た「十分生きてきたぞ」と言わんばかりの和気藹々の雰囲気とは相反して、ここには全く違う形のかわいそうな背景の『コミュニティ』があるのかと思うと、うちのせがれの手術なんか屁でもねぇ。

親はそう感じてても、せがれ本人はと言うと、手術後と似たような状況で、普段でも声が人一倍大きいのに、こういう時には更にすごいわけで、夜になっても騒ぎ続け、担当じゃない看護師まで入ってきて、「隣で寝てる赤ちゃんが起きちゃうから、なるべく静かにしててね。」と言われる始末。挙句の果てには、後のことは看護師に全て任せてるはずのドクター・Dを再び呼び出すはめになり、その後も色々と続いたが、なんとか落ち着いたんで、せがれと嫁さんを残して、彼女の両親を連れて帰った。その後、ガソリンスタンドに行って、久々に大好きなブルックリン・ラガーを買って自宅で飲んだ。

そして今日退院。

一部の人達には数日前から手術のことをお伝えしてたが、手術中もずっと色んな人達からSNSやメールなどで声をかけていただいた。みんなの祈りに感謝したい。

当然のことながら、穴を開けた腹や手術したところを痛がったり、トイレに行きたがらなかったり、手がかかる部分もあるが、よくよく観察してると、なんとなく甘えてるだけみたいな部分もあるし、予想してたよりもマシ。

とはいえ、今回はリスクも低く大した手術じゃなかったらしいし、世の中には病気や事故、戦争などで死んでいくこどもたちを身も心も引き裂かれるような想いで見守ってく親が大勢おるっつうのを考えると、全然なんでもないのは判っとるけど、やっぱ自分のこどもが苦しんどるのを見るんは、ええ気分がせんなぁ。

それと同時に、いつも感じることだが、今の自分がせがれを見守る気持ちと、同じくらいの、またはそれ以上の気持ちで自分の両親が自分のことを見守ってくれてたかと思うと、感謝しきれない。

当然、それ以上の計り知れない愛で見守ってくれてる神様には更に感謝。

Jesus loves y’all.


船出

[ ニューヨーク / 信仰 ]

何度か書いてるとおり、うちの教会はここ数年、色んな『困難』を通ってきている。

20年以上使ってきた建物が約1年半前に他教会に売られ、2019年12月まで使わせてもらう契約だったが、結局出て行ってくれとか言われ、建物を売った元所属教団からも独立し、そのうえ現在は牧師もいない。

だが、教団に対する疑問は『9・11』の頃から少しずつ積もってきてたし、教会堂売却が決定した頃から、2017年6月末の牧師先生の3年間の任期終了と共に、建物からも教団からも出るべきというのは、少なくとも自分は既にある程度視野に入れていて、むしろそれを目指すべきだということを他の人達には伝えていた。

だからと言って、実際にそうなるように行動に移したわけでもない。神様がどう導いてくださるか、忍耐を持って待ち望むことにした。結果、教会外の周りの連中がゴタゴタと動いて、決していい形ではないが、自分がある程度頭に描いてたようになった。

とはいえ、先月末、結構突然追い出された形になったんで、しっかりと準備ができてたわけでもなく、7月に入ってから3週は、毎回別の他教会の礼拝に合流させていただいた。そして先週と今朝は教会員宅での家庭礼拝。

つまり先週7月23日が、やっと単立無牧放浪教会として初めて独自での礼拝だったわけで、自分がメッセージを取り次がせていただいた。

現在も時々タイミングを狙って、旧教会堂に残っているうちらの所持品を持ち出しているが、その翌日の月曜も、自分の『音楽の相方』が教会に置いてた荷物を運び出す手伝いをしていた。

彼女が住んでいるのは女子寮みたいな所で、自分が建物に入るとなると手続きなどが必要で面倒で、彼女も自力で車と部屋を往復するって言うんで、自分は車の中で待ってたが、一往復した後、結構大変そうだったので、結局手伝うことにした。

受付で手続きを終わると、彼女に郵便物が渡された。

その中の1通は、移民局からのものだった。思わず2人で顔を見合わせてニヤリとしてしまった。

部屋に荷物を運び入れるのを終え、封を開けた。

数年前から自分が手伝い、法律事務所に依頼せず申請した彼女の永住権。

やっとその通知が来て、承認されたとのこと。

今、うちの教会が置かれている状況のこのタイミングで、それも自分が荷物運びを手伝うという全く別の理由でその場にいて、2人で封筒の中身を確認したというのが、なんとも神様の粋な計らいを感じた。3日後には、グリーンカードの現物も届いた。

そして、今朝の礼拝では、彼女が永住権取得に至るまでの感謝の証をした。

先週も今週も、多くの人達の価値観からしたら礼拝っぽくない礼拝だったかもしらんが、うちらにしては、新しい出発に相応しかったと思う。

礼拝での話はこちらのリンクにあるんで、気が向いた人は聴いてくれたらうれしい。

ほんの数名しかいない小さな群れで、人間的な意味からすると、弱小化したと思われて当然の教会。

でも、負け惜しみとか抜きで、今すごく教会として充実している。礼拝だろうとバイブルスタディだろうと祈祷会だろうと、多分ある程度どんな場所でもできる勢いかも。

よく自分が聴いてるゴスペル中心のラジオ局の番組で、「Don’t just go to the church; be the church! (教会に行くだけじゃねぇ。てめぇが教会になれ!)」という標語みたいなのがあるが、正にそれに近づいてるのかもしれない。

昔、自分がまだ結婚する前、うちの教会の『青年会』の集会で、初代の牧師先生が言ってたのを思い出す。

「世の中には、港から出て行かない船のような、殻に閉じこもったクリスチャンが多い。ちゃんと出て行って、『この世』という海に沈まずに、しっかり進んでいけるクリスチャンに、みんなにはなってほしい。」

まだまだ色々と面倒なことが続いて当分落ち着けなさそうな気はするが、余計な伝統や形式に囚われることなく、「嵐を恐れず、雨の中で踊る」という気持ちで、神様に感謝しながら自由に航海していける教会でありたいと思う。

Jesus loves y’all!


『不沈艦』

[ ニューヨーク / プロレス / 信仰 ]

もしかしたら、今日ほど、たった5分10分程度のために、時間とお金を費やしたことはないかもしれない。

とはいえ、単に夢中になりまくってたわけでもなく、正直あまり期待もしてなかったが、それでも実行しなければいけないような使命感があった。

15年前、自分のウェブサイトに載せるために、ある人にクリスチャンとしての信仰の証を書いてもらいたいと思い、連絡先を知ってそうな色んな人達に依頼してたら、ある日突然本人を名乗る人がメールで送ってきてくれた。今まで会うことがなかったテキサス中部在住のその本人が、今夜ニュージャージーに来るという情報が入ってきたが、その場所が結構我が家から行くのに不便そうだったので、今回もまた会う機会がないと諦めてた。

だがなんと、昼間には、うちからもうちょっと行き易い場所にも来るとのこと。

現在、自分は過去3~4年の間に教会や(直接嫁さんやせがれが原因ではないが)家庭のことで溜まりまくったストレスにより、多少体調を崩していて、車ならば30分くらいで行けるとこだが、ちょっと自信がなかったんで、わざわざ2時間近くかけて電車で行った。

ニューヨーク市のほぼ東端にあるフラッシングという町は、台湾人や韓国人が多く、大部分が中華街または韓国人街っぽかったりして色んな店があるが、今日行った場所は結構外れの方で、特にこれといって何もない地域だった。

そこに小さなプロレスショップがあって、時々新旧の大物レスラーが来てサイン会をするんだが、今日は「有名人に会いに行く」というミーハー気分よりも、どちらかというと、「これを逃すと挨拶する機会がなかなか無いかも。」という思いで行ってきた。

プロレスのTシャツは何枚か持ってるが、今日はやはり故ブルーザー・ブロディのを着ていくしかないと思った。

過去20年近く使ってきた日本語の聖書も持って行くことにした。

そして、15年前に送られてきた信仰の証の英語の原文も印刷してバックパックの中に入れた。

初めて行く場所ということで、念のため早めに行ったもんで、とりあえず事前に友人が薦めてくれてた二件隣のイタリアン・デリで軽く昼メシ。喰い終わった後、店の前で時間を潰してたら、本人が車から降りてきた。

ブロディのシャツを見ると、ニヤっとして、「元気にやってるか?」と声をかけてきた。でも、引退して時間も経ってるし歳もとって縮んだのか、自分より大きいという感じはそれ程しなかった。

少しずつ列ができてきたが、自分より先に来てた二人がメシか何かでどっか行ってたので、自分が最初に入らせてもらえた。

まず、「これ、昔送っていただいたんですが、覚えてますか? 本当にご本人から来たものか、長年気になってるんです。」と言いながら印刷した証を渡した。最初の数秒間、「なんじゃこれ」とか言わんばかりの表情で読んでたが、途中で、「Wow… Oh my goodness… これ、確かに俺が書いたやつだよ。結構前の話だよな。」という返事が返ってきた。なので、プロレスサイト宣伝用の名刺も渡しといた。印刷した証は、本人が持って帰りたいとのことだった。

そして、持って来た聖書を開き、裏表紙にサインするようにお願いした。
聖書

「多分、聖書にサインしたのなんて初めてかも。」

「え? 英語の聖書にも?」

「ないなぁ…。」

「んじゃ、それもまた光栄ですね。大体、日本国外で日本人のクリスチャンってのもなかなか会えないでしょ?」

「確かにな。俺たち夫婦は、大和の教会に行ってたけど。」

「確か、カルバリーチャペルでしたよね?」

「そうそう。素晴らしい牧師だった。」

「いやぁ、本当、やっと会えて嬉しかったっす。」

「だな。驚いたよ。もしかしたら、今後も俺たちは連絡取り合うべきなのかもよ。」

社交辞令かもしらんが、日本で最も活躍した外人選手の中の一人であるスタン・ハンセンが自分にそう言ってくれたのは嬉しかった。

もちろん、業界ではあそこまでのレジェンドが、自分なんか覚えてて連絡してくるとも思えないけど、でも、彼のクリスチャンとしての信仰が、日本語を話す人達に、イエス・キリストを通して現わされた神の愛を伝えていく更なる機会につながってほしいという希望が大きくなった。

Jesus loves y’all!


夕べの夢

[ 信仰 / / 音楽 ]

いや、今朝の夢かもしんない。それはどうでもええとして…。

6月25日、日曜日。いつものように午前中に教会へ。礼拝が始まろうとしてるが、大変なことに。

なぜか、何も全く準備できてない。週報も印刷してなければ、みんなに見せる歌詞も用意してないし、楽譜も全て家に忘れてきた。

自分でも何故かわからん。

が、その時、見るからにいかにも宣教旅行中の日本人大学生グループっぽいのが何人かで教会に入ってきた。

焦ってる我々を見て、「今朝の礼拝、僕たちに任せてください。」とか頼もしいことを言ってくれる。

とはいえ、知らない連中に礼拝丸ごと任せるのもいかがなもんかと、自分は出来る限りの準備を続けてたら、勝手に礼拝を始めやがった。

それも司会をしているのは、昔、神学生時代にうちの教会に来てて、現在京都で牧師をやってる友人。なぜこんなタイミングでわしの夢に出てくる!? (笑)

彼の紹介で、20代前半くらいの男の子がギターを持ってみんなの前に立ち、弾き語りをし始めた。

よくよく聴いてみたら、ザ・バンドの、自分も好きな曲『ザ・ウェイト』じゃねぇか。本人が日本語訳にしてると思われる。そこは素直に面白いと思った。礼拝にそのまま使える歌かどうかは別として…。

ただ、歌もギターも、お世辞でも上手だとは言えない。

そうこうしてるうちに、「あ…。」とか言いながら、やたらと演奏が途中で止まる。

「やっぱ知らない連中に礼拝なんか任せるんじゃなかった…」と苛立ちながらも、「本人達も、一生懸命神様を賛美してるんだ…」と自分自身に言い聞かせ、忍耐を要求される状態に。

焦り始めた時、これは夢かもしれないと思い始めた。

「っつうか、25日って、まだじゃん?」

そうだ、やっぱ夢だ。

目覚める瞬間、もう一つのことに気付いた。

「そういえば、25日は、夕方の礼拝なんで、朝から行かなくていいんだった。」

そう。今度の日曜は、牧師先生帰国前の最後の礼拝で、いつ出ていくか定かでないうちの教会にとっても、約21年礼拝したあの場所に多くの方々をお招きするのは最後。なので、近隣の他の教会の方々にも合わせて、夕方にしたんだった。

自分も数曲演奏する。

なんか、今の教会の状況の中で、自分は疲れてるということを示されたような気にさせられた。

それと同時に、「今の自分にできる最高のものを神様にお献げした。」と自身持って言えるように、ちゃんと練習しないとなぁ…と、そう思わされた夢だった。

そういうわけで、今週末ニューヨーク近辺にいる人達、あの教会堂では最後かもしれない礼拝に来てくれたら嬉しい。

Jesus loves y’all.


海辺で洗礼

[ ニューヨーク / 信仰 ]

昨日、うちの教会は、21年の歴史の中で、初めて海辺で礼拝をした。

洗礼を受ける方がいらして、本人の希望で、海でやることに。いや、本人の希望じゃなくても、海でやるのを提案してたかもしれない。それ以前に、なんで今までやらなかったんだろう、という気がしないでもない。

オーチャードビーチに行った。ニューヨーク市内だがブロンクス区の端の方で、みんなが住んでいて教会もあるウェストチェスター郡ギリギリのとこにある。

ベンチに座り、受洗者の信仰告白を聞いた。

その後、牧師先生がみんなに話してくれたのは、受洗者本人が洗礼を受ける決意ができたのは、前週の礼拝で、うちの嫁さんがみんなと分ち合ってくれた中での「全て神様に委ねるべきだが、無責任になれという意味ではない。」という一言だったとか。それで、決断するのは自分自身だということに気付いたのだという。当日初めて教会のみんなの前で喋ったうちの嫁さんにも凄い励みになったと思う。

海で洗礼

礼拝後は、すぐそばのシティアイランドのシーフードレストランへ。毎年夏に教会の人達と一緒に一、二回は来る場所。

Johnny's Reef

その中で、昨年春、脳こうそくで倒れ、大分回復はしたが未だに言葉をなかなか発せない人が、倒れて以来初めてビールを飲んだ。一人洗礼者が与えられたのも勿論だが、これもまたみんなで喜び合った。

結構和気藹々な教会だが、牧師先生は今月末で帰国。

そしてうちらも、20年以上親しんできた建物から追い出される。

この先どうなるかは、正に「神のみぞ知る」ってやつだ。

そんな中での、楽しく、励まされた一日だった。

Jesus loves y’all.