Bob Dylan @ Beacon Theatre

[ ニューヨーク / 音楽 ]
Bob Dylan w/ Mavis Staples

夕べはマンハッタンのビーコン・シアターまで、ボブ・ディランのコンサートに行って来た。

ディランのコンサートはこれで3度目。

1度目は、(卒業せずに途中止めした)大学院時代。1997年4月に、キャンパス内の体育館でコンサートをやるという情報が、当時同じ大学で寮に住んでた弟から入ってきた。そんなに大きいとも思えない体育館で、中に入ると、両側に階段式の席があるだけで、椅子も設置されてなかった。「こんなとこでディランがやるんかいな。」と、本人を実際に見るまで疑い続けた。

その時のディランは、期待通りだった。当然バンドも連れてきてたが、中盤にはアコースティックギター一本で『Mr. Tambourine Man』、アンコールには自分の大好きな『Forever Young』や『Rainy Day Women #12 & 35』もやった。なにしろ椅子がなかったんで、終わりの方はディランの表情がはっきり見えるくらいステージに近づいて聴けた。

でも、『普通のディラン』を見るのは、あれが最初で最後だったのかもしれない。いや、ディランに『普通』を求めること自体、間違ってるのかもしれない。

2度目は、2009年11月のマンハッタンのユナイテッド・パレス・シアターで、前座は『The Wanderer』で有名なディオン。

あまりギターを弾かなくなったとは聞いてたが、その日のコンサートは、ディランがギターを弾いたのは確か1曲のみ。後は全てキーボードで、それも、ただでさえほとんどの曲をアレンジし直してるのに、あの声だとあまり聞き取れないんで、途中までどの曲かわからないのが多かった。個人的にはじっくり聴けて楽しかったし、大好きな『Like a Rolling Stone』もやってくれたんで、決して酷いコンサートってわけじゃなかったけど、やはり1度目の印象が強かったんで、あれからも何度かこの近辺でコンサートをするという情報は入ってきたが、「もうディランはええかな。」と思ったのが正直なところ。

ならば、なぜ今回再び興味を持ったのか。

上手く説明できないが、要するに直感だった。

あのステープル・シンガースのメイヴィス・ステイプルズが前座で出演するというのもあったが、それだけでは行く気にならなかったと思う。

そのうえ今回のツアーのレビューも散々。

昨日の昼過ぎギリギリまで迷ってたが、思い切って行くことにした。なぜか行かねばならない感じがした。とりあえず、売れ残ってた中では一番安い値段で二階の二列目という良さそうなのがあったんで、チケット購入。

会場に入ると、自分の席は、一番端っこだったが、ビーコンは基本的に二階か三階なら、どこに座っててもよく見えるというのは知ってたし、予想してたよりもステージに近くて、いい席だった。

メイヴィスは期待以上に盛り上げてくれた。実は元々あまり曲を知らなかったが、殆どがちゃんと歌詞を聞き取れた。観客とのやりとりも楽しかった。

そしてディラン登場。バンドはロックもブルースもカントリーも、そしてジャズっぽい雰囲気の演奏もこなせて凄かったが、本人は全くギターを弾かなかった。去年の映像などを見ると、決して弾けなくなったわけではなく、何等かの理由があるらしい。

多くの曲が、彼のオリジナルを例によってアレンジし直したもので、前回のようなキーボードじゃなく、ピアノを弾きながら歌っていた。当然その方がよかった。

合間に立ち上がって、マイクスタンドを握り、『Melancholy Mood』や『Once Upon a Time』などのフランク・シナトラやトニー・ベネットのカバー、そしてジャズの定番『Autumn Leaves』(枯葉)も歌ったりした。

アンコールの1曲目は、ディランの曲では世界で最も有名な『Blowin’ in the Wind』(風に吹かれて)だったが、それをやけに明るいカントリー風に仕上げてた。最後は『Ballad of a Thin Man』。

メイヴィスとは反対に、ディランはコンサート中一度も語らなかった。挨拶もなければ、曲の紹介も、バンドメンバーの紹介もなし。アンコールが終わると、バンドメンバー達と並んで、ちょっと両手を挙げた程度。もしかしたら、今回はあえてこういう路線にしたのかもしれない。

ディランの歴史を振り返ると、いい意味でも悪い意味でも、ファンの期待を何度も裏切ってきてるような気がする。そういう点では、マドンナや松田聖子、そしてアントニオ猪木にも共通している。って、比べたら怒られるか。(笑)

1960年代初期、アコースティックギター一本のフォーク歌手として人気が出たかと思えば、バンドを起用して、『Like a Rolling Stones』のような曲を出した時、多くのファンを怒らせたらしい。

1979年には、突如クリスチャンアルバムを発表し、コンサートでもイエス・キリストについて語るようになった。多くのファンは『反体制派』のディランが好きだったわけで、当然ブーイングが多かったとか。

かと思えば、クリスチャンアルバムも3枚で終わり。

今回のツアーのようなのも、期待して聴きに行った多くの人達を裏切ってるはず。事実、昔のディランしか知らない人達からは、ギターも全く弾かず、その上ジャズっぽい曲のカバーを歌う姿を見て「ギター弾けなくなったのか?」とか「そろそろネタ切れか?」、「引退した方がいいのでは?」などという意見もあるが、自分はそうは思わなかった。昔から彼の歌声には賛否両論あるが、彼が歌うジャズっぽいスタンダード曲も、ディランなりのセンスがあって、決して悪くないと思う。ポール・マッカートニーやローリング・ストーンズの様に昔のことを中心にやってりゃファンは十分喜ぶのに、年齢を重ねながらも今尚新しいことを試し続ける76歳のディランの姿を見て、「やっぱこの人、すげぇわ…。」と感じた。

そんなディラン、最近出たアルバムが凄そうだ。とはいえ新作ではなく、恒例のブートレグシリーズだが、1979年から1981年の間、クリスチャンとして活動していた期間からのアウトテイクやライブ版、未発表の曲が収録されている2枚組。また、CD8枚+DVD1枚のボックスセットも出ているらしい。

今の混乱した世の中、あえてこのタイミングでこんなのを出すのが興味深いが、『Trouble No More』のタイトルどおり、これを機に、ディランが歌うゴスペルから、一人でも多くの人達が何かを感じ取れたらと思う。

Jesus loves y’all.


思い出

[ プロレス ]

1984年2月のある日、自分はいつも以上に楽しみにしながら、テレビで全日本プロレス中継が始まるのを待っていた。見たかった選手の3年ぶりで3回目の来日だったからだ。

だが、放送のオープニングで、いきなり彼の遺影がアップで映し出された。シリーズの初日、ホテルで死体で見つかったらしい。

当時は、近所の駅の売店には東京スポーツ新聞はもちろん、大阪スポーツも福岡スポーツも売ってなく、テレビとプロレス専門誌でしか情報入手ができなかったので、亡くなったということを全く知らなかった。とはいえ、自分はまだ中学一年、エロネタの多いスポーツ新聞なんて買ってたら、どちらにしても親に叱られてたはずだが。

驚きのあまり、しばらく声が出なかった。翌週の放送だったかもしらんが、あのブルーザー・ブロディが涙を流しているのを見て、更にショックだった。

それから5年後、自分はテネシーの高校を卒業すると、早速、大学の夏の授業を取るためにテキサスに移った。寮が開くまで泊めてくれてた同じ大学の卒業生の友人にバーに連れて行かれ、彼の友達を何人も紹介してもらった。

入寮してからは、週末は大抵キャンパスの脇にあるピザ屋でその連中と飲んでいた。その中の一人は、スティーブという、色んな意味で変わった奴だった。

ある日、うちらの仲間にある女性が加わった。どうやらスティーブに彼女ができたらしい。

テキサスの夏の暑い夜。みんなピザ屋の中と外を、飲み物を持ったまま出たり入ったりしていた。

歩道に座ってビールを飲んでいる自分の横に、彼女が座ってきた。

「あんた、どこから来たの?」

「日本。」

「あたしの旦那、日本に行ったことあるよ。」

「ふ~ん。(んじゃスティーブはなんやねん…とはあえて突っ込まずに) 仕事か何か?」

「うん。プロレスラーだったの。」

「プロレス好きだから、知ってるかも。誰?」

「デビッド・フォン・エリック。」

絶句とはあの時のことを言うのだろう。次第に自分の目には涙が浮かんできていた。

何かを察したのか、彼女が慰めるかのような口調で言ってきた。

「本当にプロレス好きなんだね。馬場正平、知ってるでしょ? 彼のとこで試合してたの。」

「そんなん知っとるわい!」と言わんばかりに、彼女に、半泣きで、デビッドを見るのが待ち遠しくてテレビを見てた日のショックについて語った。当時の自分は渡米3年目で、英語もまだまだ。でも彼女はちゃんと聞いてくれた。

デビッドが亡くなってから5年しか経ってなかったし、その時はスティーブと付き合ってたから、それ以降はあえてプロレスの話題は出さなかった。

その後、二人は別れ、スティーブにも新しい彼女ができた。それからずっと彼女とは音信普通だった。

デビッドは、父親のフリッツ、兄のケビン、弟のケリー、マイク、クリスが皆プロレスラーだった。弟達は全員自殺、父親も亡くなったが、ケビンはしばらく現役を続けていた。

10年以上前だったか、ケビンのウェブサイトを見つけた時、思わず彼女についてメールで問い合わせてしまった。「実は我々も知らない。」という返事だった。

5年前、facebookのあるプロレス関係のページに、ちょっとした伝記っぽい文章と共にデビッドの写真を投稿していた人がいた。

その投稿に対するコメントの中に、彼女と同じファーストネームの人から、「デビッドのこと、覚えててくれてる人達がいて、嬉しい。」というのがあった。

20年以上音信不通だった友人と、再び連絡をとれたわけだが、彼女曰く、「普段はプロレス関係のとこにはコメント残さないけど、あれはいい文章だったから。」とのこと。自分もたまたまその投稿を見つけたわけで、もしも見てなかったら、彼女と再び連絡をとることはできなかったかもしれない。しばらくすると、今度はスティーブも亡くなったというニュースが入ってきた。

そして今日、彼女から小包が届いた。中に入ってたのは、エルトン・ジョンのベスト盤のカセットテープ。それもパッケージが日本語。

エルトン・ジョン

彼女からの手紙も入ってた。

「こないだ掃除してたら、デビッドのテープコレクションが見つかったの。このテープを見て、日本語だし、ピアノだし、すぐあんたのこと思い出してさ。どちらかというとビリー・ジョエルのファンだってのは知ってるし、今更テーププレーヤーも持ってないだろうけど、記念に持っておくのもいいでしょ。」

確かにエルトン・ジョンは大ファンってわけじゃないけど、こういう彼女の気持ちが嬉しかった。

今とは違う形で、『スポーツ』としてプロレスにのめり込んでたガキの頃や、無責任に遊びまくってた大学時代のことなど、色々思い出して、よくまぁこんな自分がここまでやってこれたなぁと、つくづく神様に感謝した。

Jesus loves y’all.


有名人

[ 音楽 ]

これって、人によるんだろうけど、自分の場合、歳をとるごとにに、いわゆる『ミーハー』というやつじゃなくなってきてる。

いや、「昔はミーハーだった」というより、元々田舎育ちなもんで、何もかもが物珍しかったからこそ、若い頃は自然にそうなってたような気がする。

今や日本の山奥に住んだ時間以上をニューヨーク郊外で過ごしてて、自分の持つコネなどを考えると、本気になって努力すれば、結構な数の有名人に会えるはず。色んな知人の話を聞いてると、アントニオ猪木ビリー・ジョエルも、そして某元米国大統領も、自分にとっては『知り合いの知り合い』らしい。

ということは、この世に存在する有名人や著名人の大半が『知り合いの知り合いの知り合い』っつうことか。あくまで『友人の友人の友人』ってわけじゃないんで、誤解されてもらっても困るけど。

その反面、というか、そのせいか、歳をとるごとに、そこまで有名人に会いたいという願望が、かなり薄れてきた。元々、権威や地位というのに対して冷めた見方をしているってのもあるのかもしらんが、昔以上にそういうことが気にならないのかもしれない。ほんの数年前なら、「死ぬまでに一度は会ってみたい」って有名人が数名いたけど、今では殆どが「別にええかな」みたいな感じ。

でも、今もまだ、一人だけ、マネージャーや取り巻きの方々には遠慮していだいて、ミーハー心全く抜きで、それも本人の仕事の話題も抜きで、「この人って、実際どんな人なんだろう」っつう感じで、サシでじっくり一緒に飲んでみたい人がいる。色んな話聞いてると、既に酒飲んじゃいけない体になってそうな気がしないでもないが。(笑)

場所はやっぱ、席数少ない、あの店のカウンターかな…。


裏方

[ プロレス / 信仰 ]

先週の月曜、宣教師として日本に行く準備をしているという韓国系アメリカ人の女の子と出会い、色々話をした。

ニコニコして明るい感じの子で、大学を卒業して、まだ2、3年しか経ってないようだ。うちの姪達より歳下か。日本語を勉強して宣教師になるなら、再来年あたりには、もし自分がその子を人前で紹介することがあれば、「~先生」とか言うんだろうと思うと、不思議な気もした。

世界的に大学のキャンパスを中心に活動している有名な宣教団体で働いているんで、クリスチャンじゃない学生達に直接話をしていくのが彼女の活動の中心になるんだろうと思う。

会話の中で、自分はむしろどちらかというと反対で、直接口頭で誰かに福音を伝えたり教会に誘ったりするのは、実は苦手だということを明かした。

確かに、人前で喋たったり演奏したり、礼拝やイベントの司会もしたりで、正直目立つ活動も結構ある。でもそういうのは全て、会衆の前でやってるわけで、色んな人達を個人的に相手にしているわけではない。

自分みたいに、見た目が胡散臭く、不愛想な雰囲気の奴は、誰か知らない人に個人的に『神の愛』とかについて話すよりは、教会や宣教団体の事務仕事、またはイベントやウェブサイトの手伝いなど、裏方の仕事の方が向いてるような気がするということを語った。

丁度3ヶ月前、プロレスラーのスタン・ハンセンについて書いたが、それもまた、自分自身の言葉ではなく、せっかく自分のプロレスのウェブサイトの人気が出てきてたので、福音を伝えるのに利用しない手はないと思って、プロレスラー達の信仰の証を載せ始めようとしたのがきっかけだった。

そのページに載せてる殆どは、プロレスファンでないと解らない選手ばかりだが、さすがにハンセンくらいになると、プロレスファンでなくても名前くらいは聞いたことがあるという人が多く、影響力もある。

かれこれ15年近く前になるが、テキサスの大学にいるというアメリカ人の学生からメールが来て、「こないだ日本人のプロレスファンの友人がクリスチャンになった。色んなやり方でイエスのことを伝えてきたけど、その中でもハンセンの証を見せたのが大きかったような気がする。」とのことだった。自分がやってきたことが誰かの役に立ったと喜んで神様に感謝した瞬間だった。

6年前には、あるミュージシャンからも、同じくハンセンの証を読んだということで連絡をもらった。

そして昨日、見知らぬ人からfacebookに友達申請が来た。10年前にハンセンの証を読んで感動したが、最近ご本人もハンセンと似たような状況になったらしく、改めて励まされたとのこと。実は自分のブログも読んでくれてるとか。

人前で音楽を演奏していると、「誰か一人から感想を言われたら、その人だけではなく、何人も同じことを感じている人がいると思え。」と、何度か言われたことがある。何年もかけてではあるが、ハンセンの決して長文ではない証だけで数人連絡をくれたってことは、もっと多くの人達が、それによって励まされてると理解していいんだろうと思う。

プロレスのサイトとは別に、うちの教会のウェブサイトを始めたのも、そこに信徒達の証を載せようと呼びかけたのも自分だが、それもまたこれまで何人もの人達から励まされたという連絡をもらった。

先週の日曜は、近所の他教会で日本からの特別ゲストが来て話すっていうんで、うちの教会も合流したが、その先生が言ってたことの中に、「祈ってても神様から方向性が示されないこともあるが、そういう時は、無視されているのではなく、自分が今やってることを地道に続けろということ。」というのがあった。

確かに最近は、教会のことも、それ以外の自分が関わってる伝道活動にしても、祈ってても何も聞こえない。ならば、裏方の仕事だろう何だろうと、実際に何人もの人達にいい影響が与えられてるらしく、何等かの形で色んなとこで撒いた種が芽生えているようなんで、これまでどおりコツコツやってくってことでいいってことか。

色々と励まされた一週間だった。

Jesus loves y’all!


手術

[ 家族 ]

ここ数年、教会のことで色々あってストレスが溜まってた。それと同時に、ある事情で、自宅でも落ち着かない時期が何度もあって、それまでだったら教会で仕事したり昼寝したりできたが、一昨年末から、それもできなくなって、落ち着ける居場所がないような気分になることが多かった。

んで1ヶ月半前、ちょっとだが、とうとう体調を崩してしまった。今じゃ酒の量もラーメン喰う頻度も、前の半分以下に抑えとる。野菜は以前の倍以上。そんな感じだったんで、ただでさえ更新が少なくなったブログも、結局先月は全く書かず終い。

だが、手術ってのは、自分じゃなくて、せがれの話。その事もあって、もっと自分もせがれのために元気でいなければ…と思い、色々気を付けることにしたのも正直なところ。

2月に、様子が変なことが一度あって、それ自体は一晩経ったら治まったが、念のため検査に行かせた際、数ヶ月後に再検査してみるという話になった。

そして先日、血液検査や内臓のスキャンなど、再び診てもらったら、ちょっとした手術が必要だとか。よく、「アメリカの医者は保険会社から金もらってなんぼだから、やたら手術したがる。」という意見を聞くが、放置してても絶対良くならない部分らしいし、今回は赤ん坊の頃から何年も世話になってて、普段ちょっとのことじゃぁ薬を出さない小児科医から「凄く薦める」と言われて診てもらった医者なんで、とりあえず信用してみようかと。

癌とか腫瘍とかでもなくリスクもかなり少ない手術だということだが、なんせ6歳の小さな体に全身麻酔となると、全く心配しないというわけでもない。

こっちの病院は余程のことが無い限り、手術しても当日か翌日退院。自分も17年前、脱腸の手術で下腹部に14針縫ったのに同日退院。今思えばそれでよかったと思うが、今回のせがれの場合も、とりあえず翌日の予定。でも、中には調子良けりゃぁ当日退院出来ちゃう子もおるとか。

先週から、手術のことを話して聞かせていた。

「今度の水曜は、学校休んで、病院行って手術じゃ。おなかに穴開けるんよ。でもその前に、寝る薬を飲むんで、痛くないんよ。」

最初は、「こわい。」を連発してたが、3日くらい前に、3~4歳の頃によく見てたノンタンのビデオをいきなり久々に見たいと言い出した。それも、何でもいいんじゃなく、特定のやつ。

ノンタンが遊んでたら、耳を怪我して、医者に行って麻酔を打ってもらって、縫ってもらうという話。たまたま選んだビデオにその話が入ってたのか、手術が近づいてるのを察してあえて選んだのか知らんが、ちょうどよかった。

「見たか? ノンタン寝とったけぇ、縫っとる時も全然痛くなかったろ? ノンタンは注射で寝たけど、今度の手術はマスクで寝る薬じゃ。」

なんか、急に安心したらしい。

だが、手術前夜はやっぱ緊張してたらしく、寝る時に、再び「こわい。」「痛いの好きじゃない。」を連発。

寝る前のお祈りを済ませて、こっちが「おやすみ。」って言うと、話かけてきた。

「父ちゃん…。」

「明日早い言うたろ。もう寝ぇや。」

「父ちゃん、question があるよ。」

「questionは、『質問』って言うんよ。」

「父ちゃん、質問があるよ。」

「なに?」

「『Sleep next to me.』って、日本語で何て言うの?」

「『隣に寝て。』かなぁ。」

「父ちゃん、隣に寝て。」

おいおい、珍しいのぉ…。やっぱ明日の手術が相当こわいか。

隣に寝転がってたら、すぐ眠り始めたが、寝言で「どうして?」とか「もう、わかんない…」とか不満そう。

朝6時に病院に来てくれとのことだったので、昨日の朝は5時に起きて、毎朝のように自分がせがれも嫁さんも起こした。どうせ夜は大人1人しか同伴で泊まれず、自分は翌日朝から仕事なんで別々の車で行く予定だったし、みんな揃うのを待つとどこに行くにも必ず遅刻するということになってる家族だし、そのうえ嫁さんの両親も来るとかで、自分がせがれだけ連れて先に病院に向かった。

当然外はまだ暗い。車の中の時計が5:40くらいだということに気付くと、せがれが言った。

「ピタゴラスイッチ、見ないの?」

平日の夕方6:55からテレビ・ジャパンでやっとるピタゴラスイッチ・ミニ。もしかして外が暗い間に無理やり起こしたんで、朝と夕方の判断ができとらんか?

病院に入り、待合室ではやたらと、

「ママ、遅いね。」

「ママはいつも遅いじゃん。」

その後、呼び出されて、準備室のようなとこに入り、薬を飲ませてもらったり、血圧を測ってもらったりしてると、再び、

「ママ、遅いね。」

「ママはいつも遅いじゃん。」

…と、同じ会話を何度も繰り返す。

しばらくして嫁さんらも到着。そうこうしてるうちに、担当医の先生も来て、いよいよ手術に。

前回の診察で会ってるはずの『ドクター・D』。 姓をなかなか覚えてもらえないんで、こども達には自らそう呼ばせてるとか。正直、自分も、「今日の彼女は何かが違う…」と思ってたが、普段他人の名前を結構覚えるせがれでさえも、

「名前何ていうの? 前に会った?」

と、訪ねた。

「こないだ会ったドクター・Dよ。今朝は早かったもんで、まだお化粧してないからね、前に会った時とちょっと違うかもね。」

どうりで…。

手術室に入って麻酔が効くまでは大人1人同伴していいということだったので、動揺しそうな嫁さんじゃなく、自分が行くことに。なので、自分もスクラブやマスク、帽子を着けるはめに。途中、移送車で運ばれてるせがれがこっちを振り向き、

「父ちゃん、なんでドクターなの?」

「これ着てくださいって言われたんよ。心配すんな。父ちゃんがやるんじゃねぇよ。」

手術室に入り、麻酔が効き始めると、助手の一人が、

「Please give him a hug and kiss him good-bye.」(お子さんを抱きしめて、お別れのキスをしてあげてください)

などと言ってきた。なんか、もっと別の言い方はないんかいな…。

大体出てくるまで3時間くらいかかるとのこと。病院のカフェテリアで朝メシ喰ったが、どうせ待合室に戻っても暇だし、スマホで遊んでてもバッテリーが切れるだけなんで、自分だけ病院を出て、その辺を散歩。

この国では多くの場合、特にニューヨーク周辺で大きな病院があるのは、あまり治安や雰囲気がよさそうじゃない地域で、ここも例外じゃない。電話してるわけでもないのにでかい声で1人で喋ってる奴、大したことでもないのに車から顔出して怒鳴り散らしてる奴、単にクスリでいっちゃってそうで路上に突っ立ってたり座ってたりする連中など、ある意味典型的なニューヨークの物騒な下町っぽい感じだった。

近くの公園のベンチに座ってしばらくぼけぇっとしてたら、他のベンチにいたおっちゃんやおばちゃんらの会話が聞える。どこからか歩いてきて、そこに加わってベンチに座ると、「ハレルヤ…」とか呟いてるばあさん、杖持ちゃええのに一生懸命片足を引きずるようにしながらゆっくりと歩いて来るじいさん、まるで80年代に路上で巨大なラジカセ担いでラップを聴きながら歩いてたかのようなノリで、でっかいスピーカー抱えてR&Bを聴きながらやってくるおばちゃん、色んなのがその輪の中に入ってくる。思わず、「おたくら、どこの教会?」と聞いてみたくなるくらいの、コミュニティっぽいものを感じた。

病院に戻り、手術も終わり、ドクター・Dが出てきた。手術がうまくいったどころか、麻酔が切れるとすぐに暴れ始めたらしく、とりあえず元気らしい。「大人2人までどうぞ」っつうんで、嫁さんと一緒にせがれがいる部屋に行ったら、当然のことながら、体の色んなところにパイプがつながってたり貼られてたり。時々、「痛い!」と叫びながら暴れるもんで、穴をあけて縫ったのが4箇所ある腹に力を入れるわけで、余計に痛がる。

そして泊まる部屋に移動。9階だったんで、窓からはクイーンズやマンハッタンが見える。

同室には何とか歩けるような感じでまだ言葉の喋れない赤ちゃんがいた。昼間に母親らしき女性がちょっと来てたが、夕方から夜まで時々看護師が連れ出す程度で、あとは1人ぼっち。かなり病院慣れしてるらしい。そのうえ、近所の別室の、キモセラピーなんだろうか、髪がかなり短そうで頭に何か被ってる女の子が、点滴を自分で引っ張ってきて、その赤ちゃんの相手をしている。2人とも常連か長期っぽい感じで仲良くしてる。昼間公園で見た「十分生きてきたぞ」と言わんばかりの和気藹々の雰囲気とは相反して、ここには全く違う形のかわいそうな背景の『コミュニティ』があるのかと思うと、うちのせがれの手術なんか屁でもねぇ。

親はそう感じてても、せがれ本人はと言うと、手術後と似たような状況で、普段でも声が人一倍大きいのに、こういう時には更にすごいわけで、夜になっても騒ぎ続け、担当じゃない看護師まで入ってきて、「隣で寝てる赤ちゃんが起きちゃうから、なるべく静かにしててね。」と言われる始末。挙句の果てには、後のことは看護師に全て任せてるはずのドクター・Dを再び呼び出すはめになり、その後も色々と続いたが、なんとか落ち着いたんで、せがれと嫁さんを残して、彼女の両親を連れて帰った。その後、ガソリンスタンドに行って、久々に大好きなブルックリン・ラガーを買って自宅で飲んだ。

そして今日退院。

一部の人達には数日前から手術のことをお伝えしてたが、手術中もずっと色んな人達からSNSやメールなどで声をかけていただいた。みんなの祈りに感謝したい。

当然のことながら、穴を開けた腹や手術したところを痛がったり、トイレに行きたがらなかったり、手がかかる部分もあるが、よくよく観察してると、なんとなく甘えてるだけみたいな部分もあるし、予想してたよりもマシ。

とはいえ、今回はリスクも低く大した手術じゃなかったらしいし、世の中には病気や事故、戦争などで死んでいくこどもたちを身も心も引き裂かれるような想いで見守ってく親が大勢おるっつうのを考えると、全然なんでもないのは判っとるけど、やっぱ自分のこどもが苦しんどるのを見るんは、ええ気分がせんなぁ。

それと同時に、いつも感じることだが、今の自分がせがれを見守る気持ちと、同じくらいの、またはそれ以上の気持ちで自分の両親が自分のことを見守ってくれてたかと思うと、感謝しきれない。

当然、それ以上の計り知れない愛で見守ってくれてる神様には更に感謝。

Jesus loves y’all.