あれから10年

[ ニューヨーク / 信仰 ]
2011年9月11日 日曜日

『ツインタワー』こと、世界貿易センター(ワールド・トレード・センター)は、NY在住日本人の間では通称『ワートレ』。

そのワートレが落されてから10年経った。まだ10年かというより、もう10年かって感じ。ホンマ、たったこないだみたいな…。今でもクイーンズやニュージャージーを車で走ると、「そういえばワートレ、ねぇなぁ…。」って思ってしまうことがある。

実はな、今夜は珍しく、自宅でビールだけじゃなく、グラスの三分の一ほど泡盛も(奥様の許可で)飲ませていただいて、調子こいとるもんで、書こうと思えばいくらでも書けるんじゃけど、あまり政治的なこたぁ書きとうないけぇ、やっぱりやめとこ。

ただ、一つだけ書かせてもらおう。

この度、ニューヨーク州が正式に、9-11を記念する旗を作った。

そこには、「We Remember」と書いてある。

身内や知人が亡くなっとるならもちろん、この近辺に当時住んでたなら、忘れられるわけがない大惨事だった。

でも、こうして公式に「私達は忘れない」というようなことを書かれると、「んで、どうするん?」と思ってしまうのである。

覚えていてどうするのか…ってこと。アメリカ人の言う、こういう時の『Remember』を聞くと、やはり真珠湾攻撃を思い出すわけで、どうしても『復讐』という捉え方をしてしまう。

自分は広島県で生まれ育ったが、もちろん原爆のことなんか、資料で見たり体験者から話を聞いたりでしか知らない。でも、うちらは、広島の人間として、原爆も戦争も、日本と他国の問題というより、人類自体の愚かさだという教育を受けてきた。

9月11日というのが、今のように復讐や憎しみで溢れるんじゃなく、8月6日のように平和への祈りの日として覚えられるようになるように願う。

アメリカ政府にそんなこたぁ期待せん。所詮、戦争やってなんぼの国じゃけん。

でも、神様にゃぁ期待してぇな。

そう感じた一日じゃった。


JCFN New York BBQ Party

[ ニューヨーク / 信仰 / 飲み喰い ]
2011年6月25日 土曜日

今日は、2003年から続いてる、毎年恒例JCFN New York BBQ Partyだった。

例によって、昨日、ニュージャージー州フォートリーにある、韓国系大スーパー『H Mart』こと『韓亜龍』(ハナルム)で買出し。肉と野菜をたらふく買ってきた(もしかして、こういう時にゃ、「たらふく」って表現使わんのかな…)。昨年は、自分が間違って少なめに買ってきたので、本番でも多少遠慮気味で喰ったが、今年はこれまで最高の参加者数になりそうだったので、しっかり買いまくった。

肉は昨日仕込んだが、味付けは毎年同じ。前日に仕込みして、一晩漬けておく。ビーフと鶏のドラムスティックは韓国風BBQ用タレで、ポークチョップは塩、コショウ、ごま油。ただ、手伝ってくれた友人の案で、ドラムスティックは、半分をタレに漬けて、もう半分は塩コショウにした。

今回は、参加するとか言ってて来なかった人達が、例年より多かった。が、飛び入り参加もある程度いたので、最終的に大人だけでも参加したのは37人またはそれ以上。子供を入れると、50人近かったと思う。やはり過去最高か?

今回のメッセージは、明日の礼拝を最後にニューヨークを去るうちの教会の牧師。我々はみな神様に招待されてるが、それに受け応えるかどうか、ってことだった。

天気予報では、集会最中の1時ごろから4時ごろまでが雷雨とか言ってた。案の定、途中で、ポツポツ降り始めたので、みんなで協力して、室内に移動。結局、移動する必要のあるほどの雨にはならなかったが、それはそれでよかったかなと。

JCFN New Yorkのリーダーが夏休みで今朝帰国したばかりだったが、ここ毎年やってる集会だし、スタッフのみんなも手馴れたもんで、なんとか順調に進めることができた。食べ物もみんな十分喰えたと思うし、会計の部分でも、自分を含め、買出しに使った費用と牧師への謝礼で、とんとんになったし、全体的にいい集会だったと思う。

ちなみに、今年中には、その『H Mart』、なんと我が家から歩いて行ける距離にできる予定。来年のBBQはニュージャージーやクイーンズまで運転して買出しに行かなくて済みそう。


Alfie Silas Durio @ WCWC

[ Happy Hour / ニューヨーク / 信仰 / 音楽 ]
2011年5月7日 土曜日

夕べは、東日本震災被害者支援コンサートとして、アルフィー・サイラス・デュリオというゴスペル歌手が、ホワイトプレインズにあるウェストチェスター・クリスチャン・ワーシップセンターという教会でコンサートを開催。

アンドレ・クラウチやロン・ケノリーといったクリスチャンのミュージシャンだけではなく、マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストン、バーバラ・ストライザント、クリスティーナ・アギレラといった、大物歌手達のバックシンガーとして活躍してきたらしい。

んで、我々Happy Hourは、前座ってことで、最初にその教会のワーシップチームが数曲賛美を導いた後、三曲ほど演奏。初めてやる『We need a word from the Lord』の後、自分が短く挨拶、そして定番の『God Bless You』と『My Tribute』。実は念のためもう一曲準備してたけど、自分が喋り過ぎたか、与えられていた時間を越えたんで、そこでやめた。

ピアノの調律ができてなかったのと、音響が凄すぎて相方のマイクも実は必要なかったかもってのと、技術的な部分では多少問題はあったけど、集まった人達には喜んでもらえたし、自分達も楽しかった。

アルフィーの歌は、全てカラオケだったが、さすがに多くの人達と共演してるだけあり、上手い。でも生演奏だったら、もっとそのよさが楽しめたかも。

でも最後に『God Bless America』を持ってきたのは、正直ちょっと引いてしまった。せっかく雰囲気いいコンサートだったのに、最後で白けた。なぜかは、愛国心強過ぎのアメリカ人以外の人達や、今このニューヨークの地で複雑な思いをしてる人達ならなら判ると思うので、あえてここでは説明しない。

それはさておき、ご主人共々、すごい『いい人』って感じだった。日本のことを気にかけてくれてる夫婦だってのも、しっかり感じることができた。

今後もこんな感じで、日本人以外の場所でどんどん演奏できたらと思う。

今回、こういう演奏の場を与えてくれた神様に感謝。もちろん、その教会の人達、イベント担当者、聴きに来てくれた人達、そしてアルフィーとご主人にも。


遺伝子

[ 信仰 / 家族 ]
2011年4月1日 金曜日

2008年3月、母が心臓発作を起こし入院した。

1987年4月に渡米以来、一度もホームシックになったことがなかったが、情けないことに、初めて、「親にどう感謝しようか。」ということを考えた。

夏に夫婦で帰国することを決めた。

と同時に、一緒に音楽やってる相方も夏に帰国することを考えてたらしいんで、いっそのこと、両親の前でコンサートやることにした。頼まれたことをやった場合を除いて、初めて、父に、「ありがとう」って言われた。

そんな2008年の夏。自分が、両親とまともに会話する最後の夏となった。両親とは、それまでで最も深い会話だった。

翌2009年春、父が脳出血と脳梗塞を患い言語障害。今まで、自分の両親は、何を自分に伝えたかっことを、これまた情けないことに初めて真剣に考えてみた。んで書いたのがこれ

そして夏には、前夜食事の準備をできてた母が急死。

でも、その時思ったのは、自分ら夫婦には、ちゃんと子供が与えられるってこと。その時は感覚的なものでしかなかったが…。

母の葬式のために、約一ヶ月帰国した。

ただでさえ、話の内容が深すぎるし、そのうえ回りくど過ぎで、なかなか理解してもらえない父が、言語障害ときた。

母もいないし、言わんとしてることを理解してもらえない中、客や業者と一生懸命語り合おうとする父。自分自身は社会的にシカトされてもおかしくないと判ってても、商売を続けて、世話になった人達にお返しをしようとする父の姿に感動した。

とはいえ、両親が自分に伝えようとしてたことなんて、ここで書ける程、安っぽいもんじゃない。

でも、感覚だけでも、少しずつ、ジグソーパズルのピースを合わせていくかのように、両親の想いに気づいてくと、いつの間にか、「じゃぁ、自分も伝える相手が現れるはず。」って思えてきた。

そして今日、1999年秋に結婚した我々夫婦に、初めての子供が与えられた。かなり『訳あり』の親父から数えると、田辺家三代目か。まぁ、全然説得力無ぇけど。

正直、今はまだ、夢心地で、実感が沸かない。

妊娠中から出産までずっと苦しんでた嫁さんの姿と、この子に会わせてやりたかった自分の母のことを思うと、涙が出てしまうんだけどね。

まぁ、今回もまた、オチの悪い投稿になってしまったが、まだ頭の中が混乱状態なんで、簡便してやってくれ。


仙台からの贈り物

[ 信仰 ]
2011年3月13日 日曜日

5年前、うちの教会が開拓10周年ってことで、帰国して東京で記念集会をやったが、日本滞在中、集会に出席できなかった数名に会いにいった。

その中の一人で、12年以上前にうちの教会で洗礼を受けた後帰国、以前仙台に住んでいたけど今は東京に戻ってきているという人がいた。

その後、その人はまた移転したらしく、メールは返ってくるし、こっちが持っていた携帯番号に電話してもつながらなかった。数年間音信普通だったので心配だった。

今朝の礼拝で、賛美のリードを終わらせてピアノを離れ、いつも座ってるとこに戻ると、礼拝堂の向こう側に、その人が座っていたので驚いた。

ただでさえ、その人のことを心配してたので、嬉しかったが、「東京に住んでると思ってたが、もしもこれが実は今再び仙台在住で、なぜか今回NYに来てるとなると…」とか、礼拝中であるにも関わらず、ふと考えてしまった。

そしたら、実際仙台在住らしく、地震が起きた朝に日本を出発し、NYに到着してから事態を知ったらしい。彼のアパートは、市内で最も被害が大きかった区の中の、比較的大丈夫だったとこらしいが、確認はできてない。その人の勤務先の会社の人々も、とりあえず全員大丈夫だが、取引先の大部分は、気仙沼などの被害が大きかった地域で、おそらくやられてるらしい。今回このタイミングでNYに来ていたことについては、「本当に神様によって助けられたと思うので、帰国したら東北の人々のために何かをしたい。」とのこと。

その人がこうやって奇跡的に災害を逃れNYへ、それも約12年ぶりにうちの教会に来てくれたってことは、日本のことで胸を痛ませてる自分にとって励みになったし、教会の人達のために持ってきてくれた大量のカマボコよりも、そのおっさんの訪問自体が、最高のお土産となった。