Paul McCartney @ Yankee Stadium

[ ニューヨーク / 音楽 ]
2011年7月17日 日曜日

うちの故郷のスーパーの屋上のアイドルショーを除くと、自分が初めて行ったコンサートは、高三の春休み、ハリウッドで聴いたジャズのサックス奏者、故スタン・ゲッツんで、初のロックコンサートは、大学に入った年の秋、ダラスの何万人も入るフットボール場で、前から八列目で観たローリング・ストーンズ

以来これまで、本当に色んなコンサートに行ってきたチャック・ベリーレイ・チャールスといったパイオニア達、ロックだけではなく、フォークやジャズ、カントリーの巨匠、そして数々のゴスペル・アーティストと、ライブで聴きたかったのは殆ど制覇しかけていた。

が、あと二人、どうしても一度でええからコンサートに行ってみたいのがいた。

一人はマドンナ。別にファンじゃないんだけど、ライブは絶対楽しいんじゃないかと思う。

そして、もう一人はポール・マッカートニービートルズ解散後の彼の曲はあまり詳しくないけど、それでも好きなのが幾つかある。もちろんビートルズ時代の曲ならば、思い入れの強い曲も多い。

夕べ、ついに、ヤンキースタジアムで、ポールのライブを観ることができた。息子は嫁さんの友人に預けてった。

ステージの構造が、なんか下手で、真正面から見てないとバックの映像が見えず、ちょっとでも横だと、やたら見えない部分が多い。事実、うちらが座ってたセクションからだと、ポールがピアノに座ったら、全く見えず、ステージの脇の大スクリーンで見るしかなかった。とはいえ、どっちにしろ双眼鏡が無いと明確に見えないほどの距離なんで、そんなに苦ではなかった。

全体の半分がビートルズ時代の曲だったが、もちろんウィングスの曲やソロのもしっかりやってくれた。

そして、本来ジョン・レノンジョージ・ハリソンが歌ってた曲も演奏。ジョージの『Something』をポールが歌ってる時には、さすがに少し涙が出た。

グランドピアノで、『Live and Let Die』や『Let it be』などの名曲が続いた後、真ん中にド派手なアップライトピアノが用意され、『Hey Jude』で一旦引っ込んだ。実は、ニューヨークで、それもヤンキースタジアムってことで、途中特別ゲストを一人期待してたが、この時点で、あきらめてしまった。

アンコールは全てビートルズの曲だった(何か忘れとるかもしらんが)。ステージ中央のアップライトピアノを引き続き使って『Lady Madonna』。

そして、ポールが「ニューヨーク出身の友人を紹介しよう。」ってんで、自分は心の中で「きたぁ~!!!」って叫んだ。ビートルズの最初のアルバムの一曲目『I saw her standing there』。当初は、コンサートの中盤あたりになるんじゃないかと予想してたが、まさかここで来るとは。期待どおり、ビリー・ジョエルが登場、ピアノでポールとデュエット。一曲だけだったが、アンコールの一部だったし、それはそれでよかろう。

そして、『Get Back』で再度ステージを去る。

二回目のアンコールはポール一人でアコースティックギターを持ち『Yesterday』。その後、打って変ってハードな『Helter Skelter』。最後はアビーロード・メドレーでシメ。

ある程度流れが予想できたが、かえってそれが良かったんだろうし、それでも所々「こう来たか…。」とか思わされたり「あ、この曲があったじゃねぇか。」ってのもあって、全体的に凄く楽しめた。年齢からして当然老けてるわけだが、とても69歳とは思えないパワーだった。今回が最初で最後かもしらんが、行けてよかった。

亡くなったも連れてきてやりたかったって思った。息子もいつか連れてきたいって思ったが、あいつをコンサートに連れてこれる頃には、もう既にポールもコンサートなんてやってられないだろ。そんなことを考えてると、自分の人生の中で心に残るコンサートになったような気がする。


Clarence Clemons (1942 – 2011)

[ 音楽 ]
2011年6月18日 土曜日

ブルース・スプリングスティーンが、デビュー前から行動を共にしていたサックス奏者クラレンス・クレモンズが今日、脳梗塞により69歳で他界した。

ブルースのバックを勤めるザ・Eストリート・バンドには、欠かせない人物だった。バンド唯一の黒人メンバーとしてステージでも目立ってたのも確かだが、それ以上に、彼のサックスがあったから、スプリングスティーンとバンドの音楽が、アメリカン・ロックとして完成していたような気がする。もちろん、ライブでの観せる部分でも、重要な役割を果たしていた。

もちろんブルース本人も凄いが、Eストリート・バンドあっての彼の演奏であることも事実。とてつもなく大きな穴が開いてしまった。

Rest in peace, Big Man.


Alfie Silas Durio @ WCWC

[ Happy Hour / ニューヨーク / 信仰 / 音楽 ]
2011年5月7日 土曜日

夕べは、東日本震災被害者支援コンサートとして、アルフィー・サイラス・デュリオというゴスペル歌手が、ホワイトプレインズにあるウェストチェスター・クリスチャン・ワーシップセンターという教会でコンサートを開催。

アンドレ・クラウチやロン・ケノリーといったクリスチャンのミュージシャンだけではなく、マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストン、バーバラ・ストライザント、クリスティーナ・アギレラといった、大物歌手達のバックシンガーとして活躍してきたらしい。

んで、我々Happy Hourは、前座ってことで、最初にその教会のワーシップチームが数曲賛美を導いた後、三曲ほど演奏。初めてやる『We need a word from the Lord』の後、自分が短く挨拶、そして定番の『God Bless You』と『My Tribute』。実は念のためもう一曲準備してたけど、自分が喋り過ぎたか、与えられていた時間を越えたんで、そこでやめた。

ピアノの調律ができてなかったのと、音響が凄すぎて相方のマイクも実は必要なかったかもってのと、技術的な部分では多少問題はあったけど、集まった人達には喜んでもらえたし、自分達も楽しかった。

アルフィーの歌は、全てカラオケだったが、さすがに多くの人達と共演してるだけあり、上手い。でも生演奏だったら、もっとそのよさが楽しめたかも。

でも最後に『God Bless America』を持ってきたのは、正直ちょっと引いてしまった。せっかく雰囲気いいコンサートだったのに、最後で白けた。なぜかは、愛国心強過ぎのアメリカ人以外の人達や、今このニューヨークの地で複雑な思いをしてる人達ならなら判ると思うので、あえてここでは説明しない。

それはさておき、ご主人共々、すごい『いい人』って感じだった。日本のことを気にかけてくれてる夫婦だってのも、しっかり感じることができた。

今後もこんな感じで、日本人以外の場所でどんどん演奏できたらと思う。

今回、こういう演奏の場を与えてくれた神様に感謝。もちろん、その教会の人達、イベント担当者、聴きに来てくれた人達、そしてアルフィーとご主人にも。


キャンディーズ

[ 音楽 ]
2011年4月23日 土曜日

55歳って若過ぎる。

大ファンだったうちの姉貴が今でもブログで時々ビデオを載せてるんで、思わず自分も観たりするが、今になって見てると、三人の中じゃ一番かわいかったと思う。

このデビュー曲からシングル数枚は、真ん中で歌ってたらしい。彼女達を育てた番組『8時だョ!全員集合』から。

昭和の広島県民にとっちゃ、遊園地っつうたら、やっぱり今は亡き『ナタリー』じゃのぉ。

コントもしっかりやるアイドルなんて、最近じゃいないのでは? これももちろん『全員集合』から。

ピンクレディのカバーもやってたりする。こっちの方が色気あるような気がするが…。ちゃんとオチがあるところが、この人達らしい。

1970年代の世界的ヒット曲も、ちゃんと英語でこなしてる。

彼女達三人の活動が収められてる一曲。時々観客やスタジオにカメラが切り替わる瞬間が時代を彷彿させて思わず噴出してしまうが、かなり貴重な映像。

Rest in Peace.


揺れ動く地に立ちて

[ 信仰 / 音楽 ]
2011年3月12日 土曜日

同じ広島県出身クリスチャンのMOMOさんが、ブログである聖歌を載せてたんで、こちらでも紹介したい。

が、その前に…。

23年前、以下のビデオの二曲が入ったアルバムを、お偉いさん達は発売中止にさせ、もみ消そうとした。レコード会社の親会社が、原発機器を開発していたからだといわれてる。

そして、東京の某民放FM局は、アルバム収録曲を全て放送禁止にした。その原発機器の納入先の電力会社が大株主だったからだといわれてる。

でも、これらの曲を通して警告されていたことが、とうとう起きてるのかもしらない。その電力会社所有の原子力発電所も、今回の大地震で大きな影響を受けているからだ。

癌で死にたくないとか、長生きしてえとか、その願いはかなわなかったけど、彼らの叫びは、今こそお偉いさん達も聞いてほしいもんだ。

さて、本題の聖歌。

「とおきくにや」聖歌397番
“There’s a light on the cross”
J.V. Martin (1923)

J.V.マーティンは自作の手書きの原稿をわたしながら次のように語った。「東京大震災の9月1日(1923年)の夜、多くの罹災者が芝白金の明治学院の運動場で夜をむかえました。九死に一生を得た人々に蚊やとろうそくが支給されました。その夜、たまたま東京にいた私は明治学院に見舞いに来たところ、蚊やの中で点火されたろうそくの火が丁度、暗の中の十字架に見えたのです。私はさっそくペンをとりこの詩を書きあげ、その後大阪に帰ってこの曲をつけました」と。その後中田羽後の訳でロードヒーバーが横浜のYMCAで歌ったのが世界の初演であった。作者マーティンは大阪市立高等商業学校(今の市立大学)の英語講師で大阪に在住していた。

(聖歌の友社 聖歌撰の解説より転載)

遠き国や海の果て いずこにすむ民も見よ
なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けり

なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ

水はあふれ火は燃えて 死は手ひろげ待つ間にも
なぐさめもて変わらざる 主の十字架は輝けリ

なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ

仰ぎ見ればなど恐れん 憂いあらず罪も消ゆ
なぐさめもてかわらざる 主の十字架は輝けリ

なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために

揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けリ

くめさゆり (久保田早紀)による歌はこちらをクリック(埋め込み無効らしい)。