キャッチボール

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幼い頃から運動は苦手。何をやっても上手くいかないし、がんばってみたスポーツもあったけど、怪我も多く長続きしなかった。特に球技なんて全くだ。キャッチボールだって、一生懸命投げても、まず相手に届かない。届いたと思いきや、全然違うとこに投げている。投げるのも下手だが、捕るのも下手なんで、キャッチボールをやろうと誘われても、相手がすぐ飽きてしまう。そういうことが繰り返されると、ボールを受け取るのも怖くなり、ボールを投げるのも無気力になってしまう。

『言葉のキャッチボール』という言い方がある。自分の意思を相手に受け取ってもらうために言葉として投げ、相手がその言葉を受け止めてちゃんと投げ返してくれる、ってことなんだと思う。

これができない人が結構多い。ストレートに言うことにも言われることにも慣れてないもんだから、言うのも遠慮し、言われても答えを避けたり、個人的に取って傷ついてたりする。質問してきた相手が、どういう答えを期待しているのか考えてない。ストレートな質問をしても、のらりくらりとかわした遠まわしの返事しか返ってこなかったり、一般論だということを強調しながら語っても、本人の個人的なことを言ってると勘違いされたりする。『はい』か『いいえ』で答えれることを、何百、何千もの言葉で返してきたりで、「だから結局何が言いてぇの?」と思うことも多い。相手の話してることの本質を理解しようともせず、言われた言葉の上辺だけに対して上げ足をとったり、自分を主張することばかりを考えてるというのが多いのも事実。これじゃぁ会話成立は無理。

自分もクリスチャンである以上、自分の限界を無視してまで全てに対応しようとせず神様に委ねるのが必要なんだけど、どうしても自分がその類の人達を相手しないといけないことも時々あり、どう対応したらまともなコミュニケーションが取れるのか全く判らなくなることが多い。まぁ、自分の場合は、抱え込んで悩み始める前に、疲れて面倒になって投げやりになることが多いから、抱え込みやすい人達よりはまだ楽なのかもしれないが…。

かと言ってそういう『言葉のキャッチボール』ができない人達を見下す気はない。人それぞれだし、世の中のみんなが同じ様に創られてるわけでもない。でも、もしそういう人達が、自分が過去の経験から運動としてのキャッチボールを嫌がってる様に、トラウマなどの理由で『言葉のキャッチボール』を怖がる程に心を閉ざしているのならば、それは心の病気と言ってもいいんだと思う。だとしたら、自分の許容範囲を超えてまで相手する必要は無いにしろ、そういう人達のために祈り続けるのは必要だ。

昔KDDのテレビ用CMでオノ・ヨーコが、「私は人と話す時、もしかしてこれが最後じゃないかという気持ちで話しています。」という様なことを言ってた。そこまで色々な人達とのコミュニケーションを大切にしてるという意味なんだろう。

呆れたり疲れたり、やりきれないこともあるけど、やっぱ今後も『言葉のキャッチボール』ってのは続けていきたいと思う。