上田馬之助 (1940 – 2011)

[ プロレス ]

自分がプロレスを見始めたのは、新日本プロレスでアントニオ猪木が一連の異種格闘技戦に一段落付け、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンといった外人レスラー達と抗争してたころ。タイガーマスクもまだ出てきてなかった。

そんな中、髪を金髪に染め、シンと共に悪の限りをつくしていたのが上田馬之助。シンがサーベルを持ち、上田は竹刀を振り回していた。

1981年、シンが全日本プロレスに移籍すると、上田も間もなく全日へ。正直、あまり上田のよさは出てなかったような気がする。

その後再び新日本プロレスに戻るわけだが、自分の印象に残ってるのは、長州力がジャパンプロレスを結成し新日本を脱退し、前田日明ら数名も新日を去り新団体UWFに参戦した後、レスラー層が薄くなった頃に猪木が藤波辰巳とシングル戦を行った時。試合後、悪役だったはずの上田が両者の腕を上げて称えた。

そして新日側の一員として、前田日明や藤原喜明ら旧UWF出戻り組と抗争していた頃は、ベテランっぽいいい味を出していた。

1996年に交通事故で体が麻痺して以来、車椅子生活を続けていたが、今日71歳で亡くなった。

親は牧師だったらしく、その影響があったのか、現役中は、悪役であるにも関わらず、老人ホームなどを訪問し寄付をし続けていたという。もちろん、それが当時のマスコミで報道されることは殆どなく、上田自身悪役レスラーとしてそれを望んでなかったという。

アメリカでは、マサ斉藤など悪役として大活躍した選手達はいたが、日本国内では、上田こそが最高の日本人悪役レスラーだったと思う。

RIP.



上田馬之助 (1940 – 2011)』には1件のコメントがあります。

  1. 上田の死はテレビ、一般新聞でも報道された。

    彼は移動中巡業のバスが事故にあい、半身不随となり、病院で

    ずっと車イスだった。

    彼の思い出は、広島の試合の時、彼が場外で切れて、相手を殺すのではない

    かと思う程の攻撃をした時、「あぶない!上田を止めろ」と

    必死で叫んだレスラーがいた。

    札幌の町での乱闘事件の時、柔道何段の警察官が彼にヘッドロ

    ックを掛けたが、びくとも動かなかったと語っていたこと等が思い出された。

    この、「極悪レスラー列伝」は闘魂ショップでも直ぐに売り切れて
    探してた。有難う。ついでに、馬之介特集も注文した。

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