今週末は、以前ニューヨークに住んでたMが職場の後輩と一緒に日本から泊まりに来ている。彼女にとっては13年ぶりのNY。
数年前に日本でちょっとだけ会ったけど、でもやっぱNYにいたころの小学生の印象が強い。そんな彼女も、今ではうちの嫁さんが結婚した時と同じ歳。彼女が来る時の礼拝では、まだどの牧師にもお話をお願いしてなかったってことを知ると、自分で証をやりたいと言ってきてくれた。
連日、遊びに出て夜遅く帰って来ては、礼拝での証の準備をするM。色んな場面で「相変わらず」だと思わせることも多かったが、さすがに十数年経ったとなると、それなりに成長したと感じることもある。もちろん、自ら礼拝で話したいなどと言ってくるとは、想像もしてなかったんで、嬉しかった。
一方、同じ頃にNYにいたYも旅行で来てるってことをfacebookで知った。当時中学生だったYとは、日本で何度か会ってるが、どうせなら、うちの嫁さんとMの二人を驚かせようってことで、内緒で礼拝に来てもらうことに。
結局、多少遅刻はしたものの、なんとかMの証に間に合うくらいでYが到着。
その証を聞いてると、当然、色んな経験を通して成長してるっていう嬉しさの方が大きいんだけど、それと同時に、彼女が大人になってしまってるってことは自分もそれなりに歳をとってるんだという、ちょっとした寂しさみたいなのもあった。
礼拝が終わった後、常連の何人かが、「やっぱ教会に若い子が多いってのは、いいんだろうね。」って言ってきた。
今のYやMってのは、うちの教会が始まった頃の自分達の年代。あの頃の自分達もそう言われながら、時には「若い連中が生意気に」とか言われながら、この教会で育ってきた。
それで思い出したのは、今の教会にはあの世代が少ないってこと。胸を張って次の世代を育てていると言い難いのが現実。重要課題かな。
それとは別に、もう一つ感じたことがある。
両親がいない今、自分には、本当の意味では日本に帰る場所ってのがない。「いつでも泊まりに来い。」って言ってくれるのは何人もいるけど、限度というものがある。
MもYも、両親がそれぞれご健在で帰る家もある。決して彼女たちは、ここを訪れるのが今回の目的ではなかったわけだけど、ここで教会を続けてこれたから、証もできたし、再会もできた。
中には、うちの教会のことを「心のふるさと」と呼ぶ人達もいる。「今の自分にはここが居場所」って言う人達もいる。
ここに教会があったのは本当によかったと思ったし、今後もそういう人達のために、ここが存在し続けたらいいと感じた。
今うちの教会が複雑な状況に置かれている中、彼女たちが訪れてきてくれたってのは、ただ単に懐かしさだけではなく、それ以上の何かを教会にもたらしたような気がする。
もちろん彼女達は、そんなこと全く考えてなかっただろうが…。(笑)




