疲れてんだけど…

[ 信仰 ]

これまでも、自分の証や、両親に関するブログでも書いてきたが、ここんとこ、自分の中で、今まで以上に、『宗教』と『信仰』が分離化されてきてるように思える。

『宗教』って言っても、学者の数だけ定義がありそうなんで、本当のところは何とも言えないんだが、自分が求めてる『信仰』とは、なんかやっぱ違うような気がする。

大統領選挙が近づき、周りが色んな道徳的なことでやかましくなってるから…ってのもあるのかもしれない。とはいえ、所詮この国なんて、政治家達が宗教を利用して、人々を駒に将棋してるようなもんで、そのプロパガンダとしか思えないものに、教会や教派も操られてると感じられるわけだが、そんなの今に始まったことじゃぁない。この国だけじゃなく、世界各地で大昔から行なわれてることだ。

今、うちの教会は大きな転換期に来てるんだけど、内外の人達が色んなことを言ってくる。自分も疲れてるんで、許容範囲が狭くなってるのかもしらんが、その多くが、実際うざいし、アホ臭い。何が面倒かと言うと、色んな人達が「自分が基準」みたいな感じのことを押し付けようとしてくる。人を攻撃するのに、わざわざ聖書箇所を利用する、たちの悪いのケースある。

とにかく、聖書を読めば読むほど、『キリスト教』とかいうのと、イエス・キリストが教えようとしてることが、かなり違うんじゃないかという気がしてくる。少なくとも、新約聖書の中で、やたらとイエスに嫌がらせをしているパリサイ派と呼ばれる人達ってのは、現在のキリスト教を象徴してるとしか思えない。イエスが否定したのは、ユダヤ教の一部なんじゃなくて、『宗教』そのものなんじゃないかと、今ではそう信じてしまってる自分がいる。

実際かなり疲れてるわけで、時々、礼拝以外の、教会に関する全てが面倒になって、投げ捨てたくもなる。

でも、そんな時に限って、昔うちに来てて今は帰国して何かしら悩んでる人達と連絡することになって、やっぱ、うちの教会で神様に出逢ってったり、共に礼拝した連中は、大切にしたいわけで、そう感じる瞬間って、この教会に関わってなきゃならないんだな…と実感しちゃったりして、改めて活動力になってしまう。建物でもなければ宗教団体でもない、『心』という意味での教会かな。

どうやら、神ってのは、なかなか逃げさせてくれないらしい…。(笑)