前日の夜には、父と、盆帰りをしていた弟のために、肉じゃがを作り、三人で夕食を共にしたと言う。
日本から、緊急入院なので帰ってきてほしいと連絡があり、飛行機の予約と荷物の準備を済ませ、とりあえず寝ようとした時、再び日本からの電話で、最も聞きたくない一報を耳にした。自分以外の家族はみんな、その瞬間その場にいた。自分のことを待ってくれなかったのは、おそらく一番自分が取り乱してただろうと思われたからなのかもしれない。
病状が酷く言葉を上手く発せない父は、「全部終わったんよ。どうでもええがの。」と口では強がってた割には、病室を出るまで、彼女の手を離そうとしなかったらしい。そして彼女も、電話で連絡すること以外は携帯の使い方をあまり知らなかったようだが、本人が撮ったと思われる、事務仕事をしている父の横顔の写真が一枚だけ、大切にされてるかのように入っていた。
合計約20時間の旅を終え、夜11時頃自宅に着き、すぐに自分の育った教会に向かった。前回この教会に来たのは昨年7月、Happy Hourのコンサートの時。今思うと、あの時、彼女の大好きなサイモンとガーファンクルの曲を演奏できて、本当によかったと思う。
姪の一人が髪を染めたり化粧してくれてたとはいえ、棺の中の彼女の顔は、マジで可愛いと思えた。だが元々『超』が付くくらいの天然だ。今にも、事態を把握せず、「あれ…?」とか言いながら起きてきそうな気がした。長旅直後の自分には、現実のものだと思えなかった。
彼女も自分もクリスチャン。地上での最後の息は、永遠の命での最初の息。いつか再会できるのは判ってる。
でも、確かに健康状態が悪かったとはいえ、自分の心のどこかで、この町に帰ってくる度に彼女が喜んで迎えてくれるのがいつまでも続くという、そんな錯覚というか、夢を見てた部分もあった。
葬式には、座れない人がいたくらい多くの人達が集まってくれた。
前の晩、牧師から、父が喋れないので自分が遺族代表挨拶、そして何か一曲演奏してくれないかということを頼まれた。
この曲しかなかった。本当は、弟のギターと競演したかったけど、あまりにも急だったんで、一人でピアノの弾き語りをした。
彼女が50年通い続けたこの教会で、多くの人達に囲まれながら、天に送り出され、本人も喜んでくれたと思う。
我家は、この世の基準から見ると、呪われてるんじゃないかと思われてもおかしくないくらい問題が山積み。でも、彼女も自分も、そして他のみんなも、この家族で幸せだった。
しばらくすると、またNYに戻り、彼女が目の前にいなくて当たり前の生活に戻る。今までどおり、いつでも実家に戻ると会えそうな、彼女が作った肉じゃがも一緒に喰えそうな、そんな気分になるのかもしれない。
彼女が長年使ってた鏡台の脇には、22年前自分が渡米するためにこの町を出発した時の写真が置いてあった。
今年3月に書いた証しを通して、生きている間に彼女に感謝できてよかったと思う。
でも、やっぱ面と向かって言いたかったな。
夢も思い出も含めて全部、「母ちゃん、ありがとう。わしも幸せじゃったよ。」って。
Jesus loves y’all.





1度お会いしただけでしたが、美人さんなお母様でした。
お父様が病に再び倒れ、やっと回復されつつある矢先でしたのに
お母様の急な訃報に大変驚きました
ご家族やたくさんのご友人に見送られての旅立ちは
お母様が皆さんに優しい方だったからですね。
信仰は違いますが、ご冥福を深くお祈り申し上げております
物静かでも、
御家族という扇子の要であられた
お母様を失われた皆様のお悲しみは
どれほどかと
胸が押しつぶされそうになります。
しかし扇子の要は
天に引き上げられました。
御家族を引き上げる天の祝福の要として
今も要として
お母様はつねに見守っていてくださいます。
お一人お一人がお母様に心つなげて
天に目を向け、神様に目を向け、
大きく羽を広げて
ご活躍くださいますように。
お母様がおられる天を見つめて、
神様を見つめて、
歩いてくださいますように。
天からのお慰めを、祈っています。
大切な人をなくした悲しみはご家族にしかわからないと思う,でも私たちクリスチャンって,いつかまた必ず再会できる,っていうのが約束されているのが一番の慰めだよね。
はれるや。
神様に祝されたお母様のこの世での人生,本当に神様に感謝します。
びっくりです。日本に帰省してるので緊急事態知りませんでした。(今もですけど)
まだ広島にいるんですか?時間あるようだったらhotmailに電話番号入れてください。お話できるようならば、迷惑でないなら・・・。ヒサさん、大丈夫?
お母様他界されたんですか・・・。謹んで哀悼の意を表します。
私も7月に帰国し祖母に会い8月10日祖母が他界しまして日本に居ました。
落ち着いたら話しましょう。今は君と同じキャリアの携帯です。