Jesus: the Gospel according to Hisa:
めぐみ幼児園
2003年7月
今年の3月、急遽帰国した。約一年半ぶり、たった一週間ほどの帰国だった。
他のページからも判ると思うけど、自分は広島県の山奥にある東城という町の出身だ。隣は岡山県と鳥取県という、本当に県の端っこにある田舎町。自分はその『僻地』に、16歳でアメリカ留学するまで住んでいた。今でも家族はそこに住んでいる。
驚くことに、そんなとこにも教会がある。その教会が属するアライアンス教団は、日本では元々、広島を中心に開拓伝道が行われてたんで、広島県や愛媛県を中心に、少々小さな町でも教会が建てられた。広島県の山奥で教会というと、アライアンスか日基(日本で最大規模の『日本基督教団』の略)くらいと言っても過言ではないくらい。もちろん『日本アライアンス教団・東城キリスト教会』は、町で唯一の教会だ。
そしてその『東城キリスト教会』の付属幼児園が『めぐみ幼児園』だ。っつうか、だった。
自分は、両親がクリスチャンだったということもあってか、町内の他の公立幼稚園や保育所には行かず、物心つく前くから、この『めぐみ幼児園』に通っていた。ド田舎にあるクリスチャン系の施設だ。別のページにも書いてるけど、登園・帰宅途中によく他の幼稚園や保育所の子供達にからかわれたり、いじめられたりした。小さい規模で、園児数もそんなに多くはなかったので、小学校に入学した時には、自分だけ仲間はずれの様な気もした。だがその分、信仰をベースにした施設だからということもあってか、牧師夫婦は本当の親の様に、園児の一人一人の面倒を見てくれてた。卒園して何年経っても、牧師夫婦は、短期間しか通園してなかった子供達のことまでも、一人一人のことをはっきり覚えてくれている。もちろん自分にとっても第二の両親みたいな人達だ。
2002年のある日、姉から連絡があった。その『めぐみ幼児園』が2003年3月の卒園式をもって閉鎖するとのことだった。時々他の人達の助けもあったものの、ほとんど牧師夫婦二人だけで約30年運営してきた。今の東城は、過疎化が進み、子供の数も少ないし、他にも諸事情で、そろそろ潮時だったのだろう。あまり驚くことじゃなかったけど、それでも、自分の幼年期に重大な役割を果たしてくれた施設がなくなるのは、とても寂しいことだった。だが、3月という、アメリカでは中途半端な時に、その卒園式のためだけに帰国というのは、正直言ってその時の自分の状況からすると無謀だったんで、帰国するということは選択肢にもなかった。
それから数ヶ月、正式に(?)その最後の卒園式への招待状が来た。牧師夫婦に内緒で、連絡先が判っている卒園児全員に姉が出したものだった。そんな時、ふと気付いたのが、自分が何年も加入している航空会社のマイレージプログラムに、既に日本へのチケットが無料でもらえるくらいのマイルが貯まってたということ。いたずら心に、ちょっとみんなには内緒で、いきなり帰って驚かせてみるか、という気がでてきた。ついでじゃないけど、家族の周りにも色んなことが起きてたので、一度帰国するいい機会だった。でも、本当の目的は、その卒園式で、おそらくクリスチャンじゃない人の方が多いだろうと思われる中で、一言でもいいから証をするためだ。
なんとか、成田行だったが無料切符が入手できた。が、その頃は、アメリカ政府によるイラク侵攻計画が進んでた時で、おそらく自分が飛行機に乗る日が攻撃開始かと言われていた。ただ、ちょうどその日あたりが、イスラムの祭日か何かだったので、いくらアメリカ政府でも、それは避けて週明けに始めるだろうという読みだったんで、結構安心して飛行機には乗れた。第一、たった一言とは言え、証するために帰国するんだから、そう簡単に神様も自分を死なせないだろう、という勝手な思い込みもあった。
ところが成田に着くと、みんな号外を持って歩いてた。「げ、攻撃開始かいな…。とんでもねぇ時に、太平洋横断しとったんじゃのぉ。」と、正直ちょっとビビったのを覚えている。
当日教会に行くと、みんなさすがに驚いてた。だが礼拝直後に卒園式だったんで、ドタバタしたまま時は過ぎていった。実際のその場では、殆ど強引に出しゃばって証をさせてもらった。そこにいたクリスチャンじゃない人達にどれだけ届いたか判らない。むしろ、言いたかったことの2/3くらいしか言えなかった。でも帰国前に神様に頼んでたのは、「一言でええから…。」ってことだったんで、自分は結構満足してた。
思えば『めぐみ幼児園』に通ってた頃、毎日の様に繰り返させられた聖書の言葉があった。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」 (詩篇第23編1節)
この一行を、毎日毎日、飽きるほど繰り返させられてた時期があったのを覚えている。でも、そんな幼い時には『牧者』とか『乏しい』という言葉なんて判りにくいし、羊飼い(牧者)ってのも日本のガキ共にはまずピンと来ないのが事実だ。が、幼い頃に覚えさせられたので、いくらあまり聖書を読まない自分でも、覚えてる箇所だった。
もちろん、この続きってのがある。いつの日だったか、詩篇第23編をたまたま見つけた時に、その出だしで「あ、そういえば昔覚えさせられたとこだっけ…。」と思いながら読み続け、そして4節には、
「たといわたしは死の陰を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」
と書いてあるのを見た。「そういや、ガキの頃に覚えたところ、こういう勇気付ける事が書いてあったんか…。」って思った。それ以来、1節よりも、この4節の方が自分にとって一番好きな箇所の一つになっている。このページでも書いてるとおり、親が行ってたということで、いつの間にか教会に通うようになった自分だが、自分自身の信仰を持つまでには時間がかかった。だが、やはり神様は、そういった幼年期の『めぐみ幼児園』で学んだことを、しっかりと自分の中に植えつけてくれていた。
教会こそは残っていて、牧師夫婦もまだまだ元気だが、そういう神様の素晴らしい教えを、東城では唯一、子供達が幼児期に偏見や疑いを持たずに学ぶことができていた『めぐみ幼児園』も、今ではもうない。
政治とビジネスの全ての中心を同じ場所に集中させるというのが日本政府のやり方だが、その犠牲になっている過疎地ってのが日本中にあるわけで、その中でクリスチャン施設や教会は、どんどん減ってるんではないだろうか。小さな町だからこそ、クリスチャンも増えにくいだろうし、教会も安定しない。旧約聖書の創世記で、神様は、滅ぼされてもおかしくない町に関して、たった10人でも正しい人がいれば滅ぼさない、とはっきり言ってるが、それがこういう場合にあてはまるのか別として、もっと強い信仰を持って、そういう過疎地のために祈っていきたいもんだ。
もしもこれを読んでくれてて、この『めぐみ幼児園』や、それに似た様な状況にある施設に関わってた人がいたら覚えといてほしいことがある。
一つは、そういった施設に、園児として通った経験がある人に。昔クリスチャン系の幼稚園や保育所に通ってたのは偶然だったんだろうか。物心がつくころの環境ってのは、成長してもどこかで自分の存在の基本になってるはずだ。そこで福音を学んだという事実も偶然ではなく、神様の計画だったはず。
もう一つは、そういう施設を運営していたことがある人に。人間的な目で成果がない様に思ってるかもしれない。施設が成長せずに、無駄働きをした様な気分になってるかもしれない。だけど、卒園していった子供達全員が、成長して今どこで何をやっているか、実際に知ってるのだろうか。中には、「え、あいつが?」とか思ってた子が多少成長して伝道してたりするかもしれない。知らないところで、教会に行ってたり、家族や友人関係、でなければインターネットなどを通して福音を伝えようとしてる奴がいるかもしれないのだ。
この自分みたいな奴が。
2005年3月追記
結局今月でその牧師夫婦も引退して遠くに引っ越すらしい。前回の様な緊急帰国ってのができず、送別会に参加できなかったのが悔やまれるとこだ。せめて面と向かって感謝の言葉を伝えたかった。
そして同じく今月で、我が東城町も合併し、『比婆郡』はなくなる。合併後は隣の町が中心地になるので、故郷東城も今に増して過疎化が進むだろう。
引退する牧師夫婦のため、残されて隣の町の牧師が兼牧で引き継いでいく教会のため、そして全国の過疎地にあり存続が危ういと思われる多くの教会のために、今後も祈り続けていけたらと思う。
In My Life
by John Lennon
There are places I'll remember All these places had their moments But of all these friends and lovers Though I know I'll never lose affection Though I know I'll never lose affection In my life I love you more |
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