Jesus: the Gospel according to Hisa:

白 と 黒


2002年4月

   ここ数年間は色々な面で、『トラウマ』に苦しんでる人達と接する機会があった。 昔あった事件や幼いころの忘れたい経験など色々あり、本人がそれに気付いてさえいない例もあるが、多かれ少なかれ色んな経験によって自分の人生に何らかの『壁』を作ってるのはそれらの人達にある共通の問題だ。 そんな中で、その人達の問題とは比べ物にならないにしろ、自分にもトラウマみたいなものがあることに気付いた。

   よく「白黒つけろ!」っていうセリフを聞く。 中途半端な状態に対してはっきりしろ!ってことだと思う。 それとは別に、長渕剛は過去に『白と黒』という、本音と建前の差に関する歌を書いている。 だが、ここでいう白とか黒ってのは、いずれでもない。 そのまんま、『色』としての白と黒。 それも肌の色。 かなりsensitiveなトピックである、『人種』についてだ。

   自分は渡米して最初の8年は南部に住んでいて、そこで酷い暴力こそ受けなかったものの、警察やその他公務員、銀行員、バーで飲んでる白人達、そして大学の受付で働いている人達など、あらゆるところで色んな職の人達による人種差別を体験・目撃した。 そのせいか、かなり人種の違いに関して敏感になっている。 白人の友達も何人かいたけど、南部を去って何年も経ったいまでも、入ったお店の客が白人ばかりだと一歩引いてしまうこともあるし、白人の人に冷たい態度を取られると、自分個人に対してではなく人種的な理由だと考えてしまう(もちろん実際そういうケースも結構あると思う)。 人種差別には反対なはずなのに、そういった経験の反動で、いつしか心の奥底で白人差別をしてたのかもしれない。

   よく「目は物を語る」と言うが、その人達の相手を蔑む目というと、それだけで映画の悪役ができるのではないかと思わせるくらい醜いものだ。 だけど自分が気付いたのは、幼いころ教会が運営する幼児園に通ってた自分に対して、「お、あいつキリスト(教会)に行っとるやつじゃ!」とか言って指をさしたり、時には帰宅途中の道を妨げたり、唾をかけてきたりする、他の幼稚園や保育所の子供達と同じ目をしていたということだ。

   イエス・キリストが『何人』か考えてみたことあるだろうか。 ユダヤ人だと言われてるけど、ユダヤ人でも欧州人(いわゆる、一般に言う『白人』ってやつ)にしか見えない人もいるし、ちょっと日焼けしたら黒人ミュージシャンのリトル・リチャードみたいになっちゃう人も結構いる。 世間一般には、ルネッサンスの頃の画家によって、イエスは金髪・青目のバリバリの白人だったという様な印象を持ってる人が多いと思うけど、あの当時のあの地域で生まれたユダヤ人とされる人が、あんなルックスだったわけがなく、第一、人類を本当に肌の色で分けて考えてみた場合、白人ほど歴史の中で、それも世界中で悪いことしてる連中はいないし、そのうえ多くの国に対して宗教としての『キリスト教』を西洋化の道具にしてたりして、イエスが白人だなんて納得できない!   ……という様な考えを自分は長年持っていた。

   その一方で、90年代だというのに未だ差別に苦しむ人達が日曜日に教会で歌ってるゴスペル音楽に対する興味も増してきていた。 奴隷としてアメリカに連れてこられたアフリカの人達が、苦しみや悲しみの中からもキリストの中に希望を見出し、それが遺伝子となって今尚世界中の人達に希望と喜びを与えているのがブラック・ゴスペルだ。 自分の周りも、いつも自分がどこから来たのか色々聞いたうえで馬鹿にし始める白人達と、英語さえ話せりゃ親しくしてくれるという黒人の友達が多く、そのせいかキリストにアフリカの血が何らかの形で混じってて(実際そうだったかもしれないけど)、黒人に近かったならよっぽど気が楽だと感じてたこともあった。

   多くのクリスチャンの方達には単純なことなのかもしれないけど、この2~3年間色々な形でその気持ちが癒されるまで自分の中では大きな問題だった。 そんな悩みにとどめをさしてくれたのが、現在ブラック・ゴスペルで最も人気のあるミュージシャンの一人、カーク・フランクリンの『Rebirth of Kirk Franklin』というアルバムにある『The Blood Song』という曲だ。 とはいえ、例によってカークは殆ど歌わずいつものとおり『合の手』を入れてる程度で、実際に歌ってるのは ドニー・マクラーキン(黒人)と クリスタル・ルイス(白人)、ジャッキ・ヴァレスケス(ヒスパニック)の三人。 その曲のテーマは、自分達はキリストの肌の色ではなく、血の色によって救われたということ。 その他にも目を覚まされた点がこの曲にはあったけど、たとえ人間としてこの地に来たとしても、イエスは人種や思想の違いという問題なんかよりもっと上の次元にいるってのを、どこかで忘れてた様な気がする。 実際これが数年前の自分で、仮にイエスが白人だったということが判明してたとしたら、ちょっと「引いて」いたかもしれない。 たった一曲で考えが変わる単純な奴だと思われるかも知れないけど、自分にしてみりゃ長年引っ掛ってたことをそのたった一曲で解決してくれた神様に感謝したい。


The Blood Song

by Kirk Franklin

You have the power
to make the seasons change
The river flows for You
the wind whispers Your name
For me left Your throne
and traded crown for thorns instead
I'm saved within not by Your skin
but because Your blood was red

Some say You're black, You're white
They question if You're real
We treat You like we treat ourselves
I wonder how You feel
to see Your children fight in spite
of the tears for us You've shed
Doesn't matter what color You are
as long as Your blood was red

For it's strong enough
to wash away my sins
and it's pure enough
to cleanse me deep within
and it's real enough
to find me when I'm lost
Great enough
to die upon the cross
It doesn't matter what color You are
as long as Your blood was red

We may be different but
the God we serve is the same
Yet every Sunday we separate
and bring the Father pain
Your name is higher than any other
Yet you took my place instead
and now my sins are washed away
because Your blood was red

For it's strong enough
to wash away my sins
and it's pure enough
to cleanse me deep within
and it's real enough
to find me when I'm lost

Great enough
to die upon the cross
It doesn't matter what color You are
as long as Your blood was red

Oh precious is the flow
that makes me white as snow
No other fount' I know
It doesn't matter what color You are
as long as Your blood was red

It doesn't matter what color You are
as long as Your blood was red

It doesn't matter what color I am
as long as my blood was red



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