プロレスラーじゃねぇって。

ジョージア州クラークストン市長トレイ・タイグレット氏が、12月25日、テキサス州で夫人の実家滞在中に急死。40歳だった。
彼と初めて会った時のこと、今でもはっきり覚えてる。
渡米した1987年、英語もろくに喋れない自分は、テネシー州の高校で、ほぼ毎日放課後になるとすぐチャペルに直行し、ずっとピアノを引き続けていた。校長室や事務所がある建物の二階にあったので、生徒達だけじゃなく教職員も、誰がピアノ弾いてんだろう…ってな感じで上がってくることが多かった。
学校が始まって間もないある日、チャペルで一人ピアノを弾いていると、突然後ろの方から、日本語で「チ○ポ!」と誰かが言ったような気がした。
後ろを振り向くと、階段を上がったとこで、人相の悪い奴が、ニッコリともせずにこっちを見ている。そいつのことを見たことはあったにしろ、おっさん臭い顔してたんで(自分も他人のこと言える立場じゃなかったが)、当初は生徒か教職員か判らんかった。目が合った瞬間また表情を変えずにまた日本語で叫んだ。
「オマ○コ!」
唖然として「こりゃさすがに生徒だろ…」と思いながら、そいつの顔を見てたら、「You’re Japanese, right? (お前、日本人だろ?)」って聞いてきた。「Yeah…」って答えたら、再び、下品な単語を連発するもんで、思わず吹き出してしまった。どうやら、彼の叔父さんが仕事か軍隊か何かで日本に滞在してたことがあり、その時に覚えた日本語を、彼に教えてきたらしい。国は違っても、悪いことを教えてくれるのは、『親戚のおっさん』ってことは共通してるんだろうと納得してしまった。
その後も時々英語が下手な自分の話し相手になってくれてた。一年上の先輩だったが、彼の同級生の日本人の女の子が好きだともおしえてくれた。
確かに人相は悪いし、渡米直後でまだ『外人』の顔を見慣れてない自分にとっちゃ、笑顔もなんとなく悪人っぽい感じだったが、親切で、すげぇええ奴じゃった。他の連中とは違って、自分のことを東洋人だからとか、下手な英語を話すからとか、そういう理由でからかったことは一度もなかった。
また、毎年うちの学校では、生徒全員順番に、朝礼で全校生徒の前で、デクラメーションという、物語や有名人のスピーチなどを暗唱させられるんだが、彼はなんと、知る人ぞ知る、アーロ・ガスリーの『アリスのレストラン』を暗記してやってのけた。当時の自分はまだ、なんでみんなが笑いまくってるのかが判らなかったんで、結構イライラしてたが、数年後、レコード屋でガスリーのベスト版CDを見つけ、その時のことを思い出し、すぐに買い、その曲が元になっている映画のビデオも何度も借りて見た。おかげで、アーロは今でも好きなアーティストの一人で、ここにも書いたとおり、3月にマサチューセッツに行った際にもその曲に出てくる教会やレストランの写真も撮ってきた。
親切で面白く、色んな意味で豪快な奴だったが、最も凄かったのは、彼の学年の卒業式の夜の出来事。ある卒業生宅でパーティがあり、みんなで飲みまくった後、うちの学校の生徒のたまり場となってたモーテルに集結。だが、彼がいなかったことにみんな気付く。まぁそのうち来るだろってな感じで、そのまま続けて飲みまくってたら、なんとなんと、彼はもう一人の同級生と共に、『Bell Buckle – City Limit』と書いてある高校の会った村の境界線のでっかい道路標識をモーテルの部屋に持って入って来やがった。さすがに、みんなで大爆笑。その看板がその後どうなったのかは覚えてない。(笑)
彼が卒業した後でも、翌年再び学校を訪れてきた時、車に乗せてくれて、買い物とかに連れてってもくれた。
一昨年、自分が、その高校でのある式典での演奏を頼まれた際、その司式を頼まれてたのが同窓会長の彼だったんで、これまた久々に会えると思って楽しみにしてたが、何らかの理由で、彼は来なかった。
わしも来月で40。小さいとこの市長になってもおかしくない歳なんか…。それ以前に、死ぬのはまだ早過ぎる。
辛かったあの高校での二年間、数少ない楽しい思い出を残してくれた奴に感謝。
RIP…




